ヒーロー誕生 前編
坂崎家の父、坂崎晋平の話。
今日は仕事が完全休みの日曜日だ。坂崎家の父・晋平は薬品会社に勤めている47歳。昨日は土曜の休日にも関わらず、何故か国のお偉いさん達と朝から晩まで会議をしていた。晩御飯が高級店での食事で良い酒だったのか酔いが回るのが遅く、大量に呑んでしまった為か家に帰ってからの記憶が無い。風呂に入っていないのか自分から微かに酒の匂いがして気持ちが悪くなり、布団から体を起こした。
枕元に置いてある眼鏡をかけ、目覚ましに目をやると朝の8時を指していた。いつもの日曜日なら昼まで寝ていられるのにと思い、軽く舌打ちをする。隣には気持ちよさそうに眠る妻。出会った頃は金色だった髪の毛(地毛らしい)は、最近染めても無いのに黒色に変化している。そんな彼女の頭を起こさないように優しく撫で、乱れている布団を直し、チカチカ点滅している携帯を握ってそろそろと寝室を出た。
居間に向かう途中に眠い目でメールを確認しようと携帯を開けると、不在着信99件の文字が目に入り驚いて眼鏡の位置を正す。どこからどう見ても99の数字。すべて会社の上司である松谷さんからだった。松谷さんは晋平より五つ年上であるが、若い部下にも気を遣い、会社よりもプライベートを重視した方が良いと考えている良く出来た上司である。その為休日に、しかも朝早い時間帯に部下である晋平に電話をかけたりは絶対にしないのである。勿論松谷さんは優しい良い人なため晋平も尊敬はしているが、休日に会うような間柄ではない。晋平は自分が何か仕事で失敗を起こしてしまったのか、まさか昨日の食事会で失態を犯したか……不安な気持ちが頭を駆け巡る中、折り返しの電話を掛ける。1コールで出た。
「坂崎です。何度もお電話を掛けていただいたみたいで、申し訳ございま「すこーーーし坂崎君に頼みたいことがあって。すぐ終わるかは分からないけど、昼までには終わらしたい案件なのだよ。詳しいことは会社で話すからすぐに来てくれないか」
晋平が言い終わる前に松谷さんは言葉を被せてきた。
いつも穏やかで何でも来いと構えている松谷さんの早口が、焦っているのだと電話越しでも伝わってきた。晋平は只事ではないと感じ取り、居間の時計を見ながら逆算をする。
「承知いたしました。しかしたった今起床したので、会社に着くのは1時間後になりそうです」
「構わないよ、すまないね。これのお礼は必ずする」
緊張の糸が解れたのか、松谷さんはいつもの穏やかな口調に戻り、晋平も肩の力を抜いた。「なるべく早く向かいます」と伝え、通話を切った携帯をソファに置き、酒臭い身体の洗浄と、眼と頭を確実に覚ますため風呂場へと向かう。
軽くシャンプーをしながら昨日の会議の事を考える。会議の本題は迫り来ている地球外生命体についてであった。地球以外に人が住めるであろう惑星の存在を確認できたのは、今から数か月前の事だ。その惑星の調査をする段階に差し掛かろうとしていた時、惑星から宇宙船のようなものが地球に向けて発射されたのだ。晋平はなんだかSF小説を読んでいるような感覚だった。しかし、自分には関係がないと思い込んでいた。政府がどうにかするだろうし何も仕掛けなければ一般人が被害を受ける事も無いだろう。それに、もしかしたら共通の敵が出来ることによって世界が団結し、世界平和も夢ではなくなるのではないか。そんな夢物語を考えたりもした。
風呂から上がってスーツに身を包んだ晋平は、これが自分の戦闘服だ。地球ではなく家族を守るぞ。と、鏡の前で意気込み、机に書置きを残して家を出た。携帯を鞄に入れていないことに気が付いたのは、会社の前に着いた時だった。緊張していた晋平は軽く深呼吸をして会社の敷居を跨ごうとすると、松谷さんが外で待ち構えていた。遠くからでも分かるくらいの汗を流しながらキョロキョロしている。晋平は小走りで向かった。晋平に気が付いた松谷さんの顔が明るくなる。
「よく来てくれた!電話したんだけど電車だった?」
「申し訳ございません。携帯を家に置いてきたみたいで……」
「持ち物確認は社会人にとって必須だよ~?まあいいや。社長が待ってるから急いでね」
「しゃ……しゃちょ……社長ですか!?」
「慌ててる坂崎君を見るのは新米だった時以来な気がするよ」
状況がいまいち呑み込めていない晋平を尻目に、松谷さんはケラケラと笑いながら早歩きで社内へと向かう。
「ちなみに、今回坂崎君を呼んだのは社長命令なのだよ。ほら、君の部下に近藤っているだろ?彼にちょっと言わないといけないことがあるんだけど、その報告を坂崎君にお願いしたいのだよ」
「はあ……」
松谷さんは何も変なことは言っていないというように話したため、晋平にはさほど重要な話には聞こえなかった。しかし、何度か頭の中でその言葉を繰り返す内に、だいぶ重要な任務を任されているのではと気が付いた。
「ちょっと待ってください。社長が僕に?いや、それ以上に近藤に何をお願いするのですか?彼はまだ入社二年目の新人ですよ?」
「若いからお願いするのだよ。まぁまぁそんなに焦らずに……詳しいことは社長室でゆっくり話すから」
エレベーターの最上階を押した松谷さんの笑顔は誰かに口角を無理矢理上げられているように見えた。社長室の前まで来たとき、晋平は深く息を吐き、松谷さんは強ばった顔で重いノックをした。「失礼致します」と松谷さんと一緒に無駄に大きい部屋に入ると、どっしりと椅子に座る社長と共に、どこかで見たことがあるような渋い顔をした晋平より年上であろう男性がその隣に立っていた。
「坂崎くん!!待っていたよぉ、急に呼び出して悪かったねぇ」
ニコニコ……嫌、ニヤニヤといたずらっ子ぽく笑う社長は、隣の男性に「彼が坂崎くんです」と紹介した。男性は「なるほど」とちらりと晋平に眼をやり、
「では、時間もないので早速本題へと参りましょうか。えぇと、迫り来ている宇宙船……と呼ぶべきものを破壊するための薬品を積んだロケットに乗ることについてですが……」
と一気に喋ったが、誰も着いて来ていないことを察した男性はぐるりと部屋を見渡し、「何か?」と言った。何を言われているのか何一つ理解出来ていない晋平の頭の中では、ロケットに乗って他の宇宙船を大破する近藤の映像が、アニメ調にコミカルに流れていた。しかし、松谷さんの理解は早かった。
「ちょっと待ってください。我々は化学薬品を作ったまでです。坂崎くんを呼んだのも、その化学薬品を作った張本人である近藤くんの上司だったからではないのですか。私はそう社長から聞かされています」
男性の視線は社長一択となった。社長は冷静に、ゆっくりと松谷さんに語り掛けた。
「松谷くん、彼を呼んだのは近藤くんにロケットに乗ってもらう説得をしてもらうためだよ。間違っていない。君が疑問に思っているのは近藤くんの事かな?彼は化学薬品の話にお金を付けたら喜んで引き受けてくれたんだ。思い出してごらん。あの一つの惑星を大破するであろう威力をもつ薬品を率先して作ったのは彼だ。そんな危険なものは、作った張本人が持っていくべきだと思わないか」
「しかし、彼はそのようなものを作った意識がないのではないですか?だとしたら、彼が適任だとは思えません」
いつもながらに強い主張だった。渋い顔の男は言い返そうとする社長を制し、松谷さんに近づいた。
「彼はアメリカの大学院で薬品の研究をしていて、その時に宇宙の研究をしている者から地球に類似した惑星が存在することを極秘に教えてもらっていたそうです。彼はどうにかして関わりたかったそうですが、宇宙については専門外ですから、関われないことが残念だったようです。なので今回、彼にとって迫りくる異物を排除することに関われることはとても喜ばしいことなのです。でも、上司である貴方が言うのであれば、もしかしたら適任ではないのかもしれませんね。どうします?貴方が乗り込みますか?」
にこやかな問いだった。松谷さんは何も答えないで目線だけを床に落とした。
晋平は何が起こっているのか、そして何が決められて自分がここにいるのかを1ミリぐらいだが理解することができた。数年前、近藤くんが嬉しそうに作っていたアレは危険なものだったのか。彼は自分が危険な沼に片足を突っ込んでいることに気が付いているのだろうか。どちらにしても、今から晋平が彼をその沼地に確実に落とさなければならないということだけが、誰の目から見ても明らかであった。
「坂崎くん、といったかな?じっくりと説得してくれたまえ」
晋平の肩を掴んだ男の分厚い手の熱がスーツ越しにも伝わった。こいつ、最近総理大臣の側近になった男だ。テレビで見たことがある。アメリカで宇宙工学を学んだエリートだ。晋平はこの数年間、知らず知らずのうちにこの世界でSF小説めいた事が起こっていたのだということに絶望した。しかし、それでも自分が今出来ることは、家族との変わらない幸せを守ることであり、それは変わらない。家のローンもまだ残っている。長女の大学費用を最後まで出してやらねばならない。次女の大学進学資金もだ。そして愛する妻との穏やかな老後が待っているのだ……近藤くんには悪いが、自分が宇宙船に乗っている暇などない。
「承知致しました。近藤はどこに?」
晋平はまっすぐと男の眼を見据えた。松谷さんも家族を守らねばならない。そのことをよく理解していた晋平は、この人の為にも近藤くんには確実にロケットに乗ってもらわないといけないと決意して出した答えだった。
社長は今度こそにっこりと笑うと、「隣の部屋だ」とジェスチャーをした。晋平は3人に頭を下げてから社長室を出て、重い足取りで隣の部屋へと向かった。
少し長くなったので前編・後編にしました。
後半は近藤くんを説得する話です。