第十九話 暗躍、そして、最終日
闇夜の中、一人の女が一軒の料亭を見る。
そこでは、先ほどブラックローズが入って行き、今頃楽しく食事会をしているであろう事は想像に難くない。
その楽しい時間を今から壊そう。完膚無きまでに壊してやろう。それがオレの役目だ。それがオレの仕事だ。
意気を篭め、一歩踏み出す。しかし、その進行方向上に二つの影が立ちはだかる。
「「何するつもり?」」
重なる二つの声に、女は驚く。が、それも一瞬。冷めきった声で尋ねる。
「ーーっ! ……それはこっちの台詞だぜ。お前ら、いったいどういうつもりだ?」
声は冷めきっているのに、闘志だけは剥き出しになっている。
圧倒的威圧感を放つ女に、しかし、二つの影は動じない。
「「……わかんない」」
「はぁ? わかんねぇだぁ? はっ、なら退け! 目的も無くオレの前に立つんじゃねぇ!」
苛立ったように、女が言う。
「「わかんないから、少しだけ時間が欲しいんだ」」
「そうか、なら好きに考えてりゃ良い」
言いながら、歩き出す。
「「待って」」
「待たねぇ」
「「待ってよ!!」」
「待たねぇよ!! 俺達の敵が目の前にいんだ!! 誰が待つか!!」
「「む~~~~っ!!」」
唸りながら、二つの影は臨戦体勢をとる。
その瞬間、女から少しだけあった優しさが消える。
スッと目に冷たさを宿し、二つの影を見る。
「お前ら、自分がなにしてっか分かってんのか……?」
冷たい声。けれど、二つの影は退かない。
「「分かってる! でも……」」
「でももくそもねぇ!! オレ達を裏切んのか? 双子座?」
「「裏切る……訳じゃない。ただ、僕達は……!!」」
「……その辺にすると良い」
対立する二人と一人。その間に、すっと一つの影が入り込む。
「てめぇ……何しに来やがった?」
「……仲裁」
「んなこたぁ見りゃ分かる。そうじゃねぇだろ? なんでお前がここにいる? 持ち場はどうした?」
「……もう終わった。だから、様子を見に来た」
「ならすっこんでろ。今からオレはブラックローズと戦うんだからよ」
「……後にする。今は、まずい」
「はぁ? なんでだよ」
女の質問に答えず、視線をある方向に向ける。
「……出て来ると良い。出歯亀は良い趣味とは言えない」
そう言えば、すっと影から姿を現したのは、変身用のベルトを装着した深紅だった。
「なっ!? クリムゾンフレア!?」
「「ーーっ」」
驚愕する女と二つの影。けれど、割り込んだ女だけは驚かない。当たり前だ、なにせ、気付いていたのだから。
「よく分かったね、俺が隠れてるって」
「……お前の考えなどお見通し」
「へぇ……」
冷めた視線を向ける深紅。深紅は、相手に最大限の警戒を向ける。
「はっ! 丁度良い!! クリムゾンフレアとブラックローズをいっぺんに仕留めるチャンスじゃねぇか!!」
「……やめておくのが吉。チェリーブロッサムも、近くに居る」
「だからどうした! 三対三だ!! 丁度良いじゃねぇか!!」
「……双子座に戦意は無い。そして、私も戦うつもりは無い」
「はぁ!? なんでだよ!!」
「……今戦う事程無意味な事は無い。私は双子座を連れて帰る」
「あぁ!?」
「……双子座、帰る」
「「……うん」」
「うん、じゃねぇ!! おい、マジで帰んのか!?」
割り込んだ女が淡い碧色の魔力で練られたゲートを開く。
両手で二つの影の手を引きながら、割り込んだ女はゲートの中へと歩き出す。
「「……バイバイ、お姉ちゃん」」
名残惜しそうに料亭の方を見ながら言って、三人はゲートの中へと消えた。
「あ、おい!! くっそ!! おい!! 次に会ったら覚悟しておけ!! 次は、次こそは問答無用でぶっ殺すからなぁ!!」
消えて行った三人を見て、女は捨て台詞を吐きながら、慌てて三人の後を追ってゲートを潜った。
四人がいなくなり、殺気立った空気が無散すれば、俺はようやく緊張を解いて変身ベルトを外す。
危なかった……アクアリウス級の敵が三人も居たんじゃ、さすがの俺もキツイわ……。
まぁ、黒奈と桜ちゃんを頼れば良いんだけど……二人とも楽しんでる真っ最中だしなぁ。
「はぁ……俺ってば貧乏くじ」
言いながら、俺は自身のスマホを見る。
そこには差出人不明の謎のメールが届いていた。
『ブラックローズを護れ』
それだけの、簡潔な文。
差出人が不明だし、ただのイタズラメールかとも思ったけれど、こんなにピンポイントで俺に関連するイタズラメールがあるか? もちろん、まったくの偶然かもしれない。けれど、意図された物かもしれない。
差出人の意図通りに動くのは癪だけれど、黒奈に何かがあっても嫌だったため、変身ベルトを装着して見張っていた。そうすればどうだ? メールの通りに怪しい影が到来したじゃないか。
あいつらが何者だったのかは定かではない。予想は付くけれど、予想の域を出ない。
しかし、実際にブラックローズを狙おうとしたのは事実だ。このイタズラメールの差出人が何を考えて送って来たのかは知らないが、嘘を言っている訳ではない事は証明されてしまった。
「……ったく、何がなんだか……」
何か、思わしくない事態が進行しているのかもしれない。そう考えると、自然と溜息が出る。
それに、持ち場と言っていた。担当地域があるのか? それに、終わらせたと言っていた。何をした? 何をするつもりだ? 何が目的なんだ?
疑問と謎が増えるばかり。まったく、解決編はいつになるやら……。
「っと、そろそろ俺も戻るか。……方々に上手く使われてんなぁ、俺」
近くに止めてあるバイクまで向かう。
はぁ……夏休みだってのに、全然休んでない。
〇 〇 〇
ピピピ、ピピピ、ピピピ。
耳障りな電子音が耳朶に触れる。
「ん、ぅ……」
なんだろうと思って手で周囲を探るけれど、返って来るのは柔らかい感触だけだ。
「……んぅ?」
……なに、これ? やわい……。
「……あんた、なにしてんの……?」
呆れたような声が聞こえて来る。
ん、誰だ……? でも、聞き覚えが……。
俺は声の正体を確かめるべく、重いまぶたを開く。
そこには、声の通り呆れた顔をしている東雲さんの顔があった。あぁ、東雲さんか……って、東雲さん!?
俺は思わず飛び起きる。眠気なんて遠い彼方に飛んで行ってしまった。
「なんで東雲さんがここに!?」
「なんでって、ここ私の部屋だし」
言いながら、東雲さんも起き上がる。そう、東雲さんは寝そべっていたのだ。どこに? 決まっている、俺の目の前にだ。
……なんだ。俺は何を触ってしまったんだ……!?
い、いや、それよりも! ここ東雲さんの部屋なのか!? なんで俺はここにいるんだ!?
「あんた、昨日の事憶えてる?」
東雲さんが眠たそうに目を擦りながら聞いてくる。
昨日の事? ……確か、料亭に行って……。ひえっ!? お、おおおおおおお思い出した!! 思い出してしまったぁあ!!?
昨日仕出かしてしまった事を思い出した俺は、ベッドの上で東雲さんに土下座をする。
「ご、ごごごごごごめんなさい!! 東雲さんにとんだご迷惑を……!!」
「ああ、憶えてるのね。まぁ、場酔いだったし」
くわぁっと欠伸をする東雲さん。
「……怒って、ないんですか?」
ちらりと頭を上げて見てみれば、なんでもないふうに言ってベッドから降りる東雲さん。
「別に? 可愛いあんたも見れたしね。あ、でも、あんた二十歳になっても男の前でお酒飲んじゃダメよ? 良い?」
「? 分かりました……」
なんでダメなんだろう? ま、いっか。
東雲さんが許してくれたので、俺は土下座をやめる。そして、改めてお礼を言う。
「えっと、あの、ありがとうございます。ここまで運んできてくれて」
「いいわよ、別に。それよりも、体調は大丈夫そう? 頭とか痛くない?」
「大丈夫です。よく食べてよく寝たので、とても元気です」
「そ、なら良いわ。さて、今日は頑張るわよ~! もう今日しかチャンス残されてないしね!」
ん~っと伸びをしながら張り切る東雲さん。
その姿は、昨日、一昨日よりも、活力に満ちあふれているように見えた。
「コンディション抜群!! やる気満々!! 天気良好!! うん!! 絶好の撮影日和じゃない!!」
言って、ばっとお服を脱ぎ捨てる東雲さんーーって、なんで脱いでんのぉ!?
思わず顔を手で覆ってしまう。けど、これが正しい判断だ。指の隙間なんて開けない。ぴっちり閉じて俺の視界を塞いでやる!! バッチリ見えちゃったけどさ!!
「ねぇ、黒奈」
「……なんですか?」
「絶対に成功させましょう。……ううん、違うわね。絶対に成功させるわ。誰が見ても、完璧な絵を仕上げてみせるわ」
こちらを振り返る気配。俺は、目隠しをしているのが失礼に思えて、手をそっと下げる。
そうすれば、真摯な瞳が俺を射抜く。今までで一番真に迫る、モデルとしての格の違いを思い知らされる、そんな瞳。
「だから、あんたも私に応えて欲しい。私とあんたなら、最高の一枚が出来るわ。最初はそうは思わなかったけど、今はそんな気しかしないの」
「……はい。私も、同じ気持ちです」
東雲さんとなら、最高の一枚が出来る。おかしな話だけど、確証は無いのに確信がある。
俺の返事を聞くと、東雲さんは花が咲いたように笑う。
「そ、気が合うわね、私達」
「はい」
頷き、そっと目隠しを再開。だって、東雲さん下着姿なんだもん!!
「ぷっ……なにしてんの?」
「目隠しです」
「なぁに? 恥ずかしいの?」
「とっても!! 早くお洋服来てください!!」
「ふふっ、はいはい」
笑いながら、バスルームに東雲さんが消えていく気配。
「あっ、黒奈」
「なんでしょうか!?」
目隠しを外そうとしたタイミングで、東雲さんがバスルームから出て来る。もう、この人は、もう!
「詩織が悔しがるくらいの、最高の一枚を撮りましょう」
一瞬、頷けなかった。それは、この撮影に来れなかった東堂さんに対して、余りにも酷なんじゃ……いや、そうじゃない。最高の結果に終わらせるなら、どちらにしろ、最高の一枚を撮らなくてはいけないのだ。それを、東雲さんも分かっているのだ。
東堂さんにとって酷だろうと、東雲さんは最高の一枚を撮る。それは、東雲さんの覚悟の表れだ。
「……分かりました。最高の一枚、絶対に撮りましょう。いえ、撮ります」
「ふふっ、その意気よ」
笑って、東雲さんは今度こそバスルームに入る。
俺は再度気合いを入れる。
よしっ! 頑張るぞ!!
そうして、ポスター撮影、最後の一日が始まった。なんでか、もう失敗する気はしなかった。




