3話
朝は誰よりも早く! 休憩も取らず! 夜は終電が無くなっても意識が飛ぶまで! ひたすらに働いた。
幾日が過ぎたか、私は部長に呼ばれた。
一分一秒の時間も惜しい私は、急いで用件を済ませようと部長室のドアをノックして直ぐに入り込む。どうせ、昇進とか昇給とかの話だろう。はん! そんなモノは不要だ!
「アンッ!」
其処には、部長と数人の役員が居た。
「彼方此方のお客様からクレームの電話が凄いんだよ! なんでも、うちからアンアン鳴いている電話が何度も掛かってくるらしいんだ。これ、君の仕業だよね?」
何と云う事だ。誠意を込めて仕事をしていたというのに。こんな場面では、生まれ変わった私のヤル気が奇跡を呼んで色々と都合の良いように上手い事いく展開ではないのか……。
「ア……アン……」
「ふざけるのも大概にしろ! もういい! もう会社に来なくていい!」
何故だ。頑張ったのに。
むかついた私は、犬の様に部長室で小便をぶちまけてから会社を出た。
会社を出ると、私にはあの魔窟へ帰るしか無い。また、私の存在は無いものとされるのだろうなぁ。
私の人生とは何だったのか。
思い起こせば蘇る淡い記憶……娘がまだ小学生だった頃……。
「お父さんはかっこよくないし、臭いし、普通のお父さんだよね」
そう、言われた事があった。
その時は腹立たしかったが、今に思えば私を“普通の父”として見る娘の存在。それこそ至福ではないか。
もう一度、もう一度だけで良い。娘に“ただいま”と言いたい。それが例え無い者とされても構わない。他に何も必要無い。
何れ程の時間をさ迷っていたのか。気が付けば夕闇が訪れていた。ちょっと女王様の所へ行きたい気持ちをギリギリの所で抑える。
邪念を払いのけ、我が家へと辿り着いた。
この扉の向こうには、妻と娘。犬と化した私に、起これ奇跡ッ!!
「……ァン」
ダメだ。やはり犬だ。もう二度と娘とは言葉を交わすことができないのか。あの日、私は犬になりたいと懇願した。熱く願った。今一度、願おう。
私は、父になりたい。
“ただいま”その一言を娘に。頼む、ろくでもない私だが、神様仏様女王様、頼むッ! 声よ戻ってくれ!!
重い扉のドアノブを掴み、脳裏に浮かべるのは娘の笑顔。妻は忘れた。
開けた先には、丁度風呂上りの娘が居た。
最後に娘と風呂に入ったのはいつだったか。初めて一緒の風呂を断られた時は、一人風呂で涙を流したなぁ……。
思い返して呆けていると、娘は眉間に皺を寄せている。嫌な所が妻に似たな。
いや、いかんいかん。私には大義がある。さあ、言うんだ。喋るんだ。声に出すんだ。そう“ただいま”と、父として人間に戻るんだ。
「……ァ…ァ……ア」
「……なに」
「ア……た……だァ…ンぃ」
「だから、なに」
「……ただいま」
やった! やったぞ! 戻った! 喋る事ができた!
正直、これはダメな展開かと思った。情けなく間抜けな犬の鳴き声を上げる私に侮蔑の眼差しで娘は去るのかと思った。そう思って、ちょっと興奮してた。
しかし、言えたぞ! 言えた! 我ながらよくやっ……
「ってかさ、父さん犬臭ッ」
――え、なに、どうなっているんだ?
「マジで犬臭い。あと小便臭い。一生近寄らないで気持ち悪い」
嗚呼、そうだな。今日も風呂場へ直行だ。




