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 生暖かい風が扉から入り込み、学生達の間を駆け抜けていく。腕と足から覗かせる、肌のたくさんのベージュ色が私に夏を感じさせる。


 キュッキュッという室内シューズと床の摩擦音。手で打ち出されるバレーボールが、体育館の空に弧を描く。


 私はコートの端で三角座りをして、ただそれを見上げている存在だ。


 今日は二年生のみで球技大会が開催されている。男子は外でサッカーをしていて、女子は体育館でバレーボルだ。クラス毎でチームを組み、対抗戦を行う。


 ちなみに今、目の前で繰り広げられているのは、私のクラスと藤井さんのクラスが行っている試合だ。何故、自分のクラスが試合をしているのにそれを眺めているだけかというと、それは単純明快だ。


 15分前に行った違うクラスとの対戦で出場したのは良いものの、相手が放ったサーブをレシーブしようとした瞬間、私はビクリと後ろに仰け反ってしまった。運良く手に当たったボールは、その後、運悪く私の顔面に直撃してしまった。皆に心配された私は、端の方で大人しくしている事にした訳だ。


 私は運動神経が良くないのだ。


 観戦するのは大好きなので、色んなスポーツの知識はある。けど、自分が上手くプレー出来るかというのは、全く別の問題である訳である。


 そんな私は、敵チームである藤井さんを観察していた。邪魔になる髪の毛を今日はポニーテールにして、活発に体を動かす彼女。


 目は猫にようにクリクリと大きて可愛らしく、それでいてキリリと鋭い。歩いたり、走ったりする姿は自信に満ち溢れ、細かい仕草は優雅で、それでいてしなやかだ。


 彼女の元へとトスが上がった。


 ネット際でアタックする為に、手を振り子のように後ろへと振って、膝を曲げながら溜めを作る。そして、トスされたボールが彼女の元へと飛んできた瞬間、手で反動を付けて床を踏み込みながら、彼女はそれに向かって飛んだ。空中で彼女の膝は、ジャンプ後に再度曲げられた状態になってバランスが取られた。


 右手でボールを弾くその瞬間、背中にグッと力が入り、打ち出す方向と逆の方向に膝を伸ばした。


 細い手足が、鞭のようにしなった。そのエネルギーは無駄なく右手へと伝えられ、大きな力に変換される。口元は、息を瞬間的に吐くような動作が見られた。


 その次の瞬間、相手コートにダンッというボールが叩きつけられる音が響き渡る。華麗に着地する彼女は綺麗な笑顔になった後、チームメイトと元気よくハイタッチをした。


 ゲームセットだ。


 私のクラスには運動部の女子があまり居ない為、藤井さんのクラスにコテンパンにやられてしまった。負けてしまった私のクラスメイトは、仕方ないね、頑張ったね、などと励ましあっていた。


 私はクラスメイトに向けて拍手を送った。そして、藤井さんの好プレーに対しても、賞賛の拍手を送る。


 そんな私に気付いたのか、藤井さんがこちらに歩んできた。そして、私の横に座りながら声をかけてくる。


「みゆちゃんは、観戦だけ?」


 前かがみになって私の顔を覗き込みながら、そう言った。藤井さんの目線が上目遣いになって私に飛び込んでくる。藤井さんは仕草が本当に可愛らしい。


 私は説明をする為に少し前の自分を思い出し、それによって自分を冷笑しながら言葉にした。


「さっき試合に出たんだけど、ドジしちゃって……それからは観戦だけ」


「あ、それ見てた。痛くなかった?」


「あはは、大丈夫」


 私達は互いに顔を見ながら微笑みあった。


 遊園地に一緒に行って以来、私達は良く喋る仲になった。藤井さんはあまり気を使わなくて良い相手だから、喋るのがとても楽な気分だ。クリッとした瞳でジッと見られると、心を見透かされるような気分になる。だから私自身、彼女に対して取り繕ったりはしない。彼女も私に思った事を口にするので、お互いに本音で喋る事ができる相手だった。


 他の女子にはない魅力的なものを感じるのは、彼女が相手に対して、一歩踏み込んだコミュニケーションを取ってくるからだと思う。


「さてと、次まで時間あるし、外に見にいかない?」


 藤井さんがそう言った。私はよく分からず、「何を?」と返事をしたが、彼女はやれやれといった顔つきになってしまった。

そして、私に今日という日がどういう日かを説明してくれる事になった。


「試合している子以外、ほとんど体育館に居ないでしょ?」


「あ、そういえば。何処に行っているのかな?」


「そりゃもう当たり前、男子を見に行っているんだよ。今日の女子のお目当ては、ほとんどそれなんじゃないかな。バレーボールにだけ熱中している人なんて、そんなに居ないんじゃない?」


 そうして彼女は、体育館の外扉に指を差す。


 扉から外を見てみると、女子がグラウンドの方向を向き、男子達の活躍を熱心に観戦している姿が見えた。グラウンドに引かれた白線まで近付いている女子も居た。


「あ、そっか。そうなんだね」


 そんな事少しも頭に無かった私は、無意識に乾いた笑顔が出てしまう。私に向かい、藤井さんが言う。


「さ、私達も見に行きましょう、早乙女君がプレーしてるかもよ?」


 彼女の口元が三日月のように滑らかに曲がり、目が細まった。ムフフと笑うような、その表情を見て私は顔が赤くなる。恥ずかしさと共に、藤井さんに連れられ、私は体育館から外に出る事になった。


 外に出ると、日差しはそこまで強くはなく、空に白い雲が多く浮かんでいて光はほとんど遮られていた。これは絶好のサッカー日和。もとい、観戦日和だ。


 男子達の大きな声が、耳に届いてくる。グラウンドをチラリと見ると、砂埃が舞っていて、男子達の動きの激しさを物語っている。

 ゴールネットが揺れた瞬間、近くの女子がキャッキャと高い声を出していた。


 私達はグラウンドの全体を見渡せる場所へと移動した後、グラウンドの端に腰を下ろした。一息ついた後、改めてグラウンドを見渡す。


 そうすると、私のクラスと中川くんのクラスが試合をしている事が分かった。中川君がボールを足元に、ゴールへとドリブルする姿が見え、そして、それに対して早乙女君がマッチアップしている様子があったからだ。


 中川君の無造作にはねる黒の短髪が、動きに合わせて大きくなびいている。切れ長の瞳が獲物を狙う獣のような雰囲気を漂わせ、威圧感を放っていた。180cmに届くその体躯を力強く、それでいて俊敏にうごかす。


 激しく体をぶつけ合いながら、サイドを駆け上がる二人。身体面で劣る早乙女君が、怯みながらも一瞬の隙をついて、中川君とボールの間に体を滑り込ませる。その後、大きくサイドラインを割るようにボールを蹴りだし、クリアリングをする事で難を逃れた。


 プレーが途切れると、早乙女君は手を膝に置いて息を荒げていた。


 光沢のある黒髪を、今日は両側の耳にかけている。運動する為に邪魔になるから、今だけそうしているのだろう。いつもは片方だけを耳にかけ、片目が少しだけ隠れるような髪型をしていた為、随分と雰囲気が違って見えた。そして、冷静さを感じる凛とした大きな瞳が、疲れからか細く見開かれている。ふぅ、と息を吐きながら、きめ細かく美しい肌に流れる汗を、腕で拭う姿にはとても艶があった。


 そんな彼に対し、体力面で優勢である中川君が直ぐに息を整え終えた。対照的な二人は少し何かを見つめながら喋った後、持ち場に戻っていく。


 早乙女君は後衛の最後尾まで下がって、全体を見渡しだす。まだ汗を多くかいているらしく、着ている体操服を引っ張り、顔の汗を拭いている様子が伺えた。捲られたシャツの下から、臍の辺りが見えた。私はたまらずドキリとしてしまう。


 私はブンブンと頭を振り、もう一度全体の様子をしっかりと見渡した。どうやら、中川君はオフェンス。そして、早乙女君はディフェンスを担当しているらしい。


「おぉ、ゆう君凄いねー、りゅうじにあれだけ体当てられて勝っちゃったよ」


「けど、遠くから見てもぜぇぜぇ言ってるの分かるね」


 運動系の部活動に所属していない早乙女君は体力に難ありといった感じだった。タッタッタッと軽快にボールを取りにいく中川君に対し、ノソノソと小さな動きで自陣を守っている。チームメイトはほとんど攻めあがっていた為、早乙女君が一人でポツンと孤立している様だった。


「ゆう君、一人で守ってるね」


「大変そう」


 大きなロングボールが中川君の胸元に届いた。ボールの勢いを上手く緩和すると、足元にボールを置き、クルリと振り向く。また早乙女君と一対一となってしまった。


 しばらく見つめあった後、中川君は右足で大きくステップ・オーバーをして、左足で空いているスペースにボールを運んだ。

早乙女君はそのフェイントについていく事ができず、あっという表情をしながら、膝からガクリと崩れ落ちてしまう。


 崩れ落ちた状態から直ぐに立ち上がり、スペースに入り込む中川君を阻止しようと試みたようだが、とても追いつかない。

大きく助走距離を取る事に成功した中川君は、そのまま左足でシュートを放った。ボンッという鈍い音が響き、空気を切り裂くようにボールが空を翔ける。


 ゴールキーパーは未経験者だ。強く放たれたそれは、ゴールネットの端に突き刺さった。


 大きな歓声が上がった。近くにいる女子陣も、カッコイイと大きく声を出していた。私もパチパチと手を叩きながら、言葉を述べた。


「中川君、すごーい」


「ふふっ、流石はりゅうじね」


 膝に手を当てながら俯いている早乙女君が、やられたなという表情になる。中川君の方に視線を向けた後、何かを言っているようにみえた。口を読み取ると、先ほどのプレーに対して「凄いね」と言っているようだった。中川君は早乙女君の背中をパンパンと叩き、互いを認め合うような雰囲気を見せた。その後、二人とも自陣へと戻っていく。


 点数を見ると、2対0で中川君のクラスが勝っているようだ。流石にディフェンスが一人というのは、ちょっと可哀想な気分になる。


 その後も、早乙女君がディフェンスに徹しながら一進一退の攻防が続く。そして、遂にチャンスが訪れた。


 私のクラスのチームがセンターリングでゴール前にボールを運んだ後にシュートを放ったが、それがディフェンスに拒まれてしまう。あぁ、やはり駄目だったかという空気が流れ、中川君のクラスの攻めに変わる。


 チームの前線が一気に駆け上がるのにあわせて、ボールを持っていた選手が前線へとパスを出した。ボールは土の上を転がり前線の元へと転がっていく。だが、それをインターセプトした人物がいた。大きく足を伸ばし、ボールの行く手を遮る。その反動で耳にかけていた髪は解け、ハラリと宙を舞う。早乙女君だ。


 チャンスを感じ取り全員が攻めあがろうとしていた為、ディフェンダーの人数は少なく、突破するスペースが大きく残っていた。一気にカウンターのチャンスになる。


「おぉ! チャンスだ!」


「いけ、ゆう君!」


 だがしかし、ボールを確保した早乙女君は、周りをキョロキョロと見渡しながら、ゆったりと落ち着いたドリブルをしている。

残っていた四人のディフェンスの内、三人が早乙女君を囲んでしまった。


「あぁ、囲まれちゃった」


 そんな言葉が横から聞こえ、私も諦めかけていたその時だった。


 早乙女君はノロノロとした動きから、一転してトップスピードへと切り替えた。


 ディフェンスの動きを置き去りにする程に緩急が凄まじく、誰もついて行く事ができない。そしてそれは、観戦する私達の思考すら置き去りにしてしまう程だった。


 中へと切り込む鋭いドリブルに、残っていた逆サイドに居たディフェンダーが慌てて対処する。そのディフェンダーが焦った表情をしながら、早乙女君の元にたどり着こうとするその瞬間だった。早乙女君は一切見る動作もなく、ヒールで逆サイドへとパスを出した。ノールックパスだ。


 そのパスは逆サイドに居た、同じクラスのテニス部男子である、上島君の足元へと吸い込まれる。ディフェンスが早乙女君に気を取られて引きつけられている最中、彼は上島君がマークの剥がれたのを見逃さなかった。


 ボールを受け取った上島君は、すかさずダイレクトでシュートを放った。劇的なカウンターゴールだ。おぉっという声が、グラウンドを包み込む。


<<ピッピッピー>>


 しかしそのゴール後、無常にも試合終了の笛が鳴り響いた。2対1で中川君のクラスの勝利だ。


 両チームのメンバーが、疲れの見える雰囲気で、グラウンドの外に向かって歩いてくる。ゴールを決めた上島君がいち早くコートを出ると、数人の女子が彼に声をかけていた。上島君は、まぁ当然だよと、そんな言葉を発しながら周りの女子に対して得意気になっている。それを見た私は、ちょっと複雑な気分になった。


 するとそれを察した藤井さんが私に向かって言ってきた。


「夫の仕事が評価されない嫁の気分って、今のみゆちゃんみたいな気分なのかな?」


「も、もう、何言ってるの……!」


「だってさー、あれってどう考えてもゆう君が凄いじゃん」


 私は赤くなった顔をパタパタと扇いで冷静を取り戻しつつ、早乙女君の一連のプレーを思い出し、頭の中で映像として再生していた。


 それを分析しながら、早乙女君の凄さを再確認する。


「うん……そうだね。上手く緩急を使って囲まれたディフェンダーから抜け出した後、逆サイドのディフェンダーをギリギリまで引きつけて、逆サイドのマークを引き剥がして、フリーになった選手にノールックでヒールパスするなんて凄いと思う。凄く視野が広いんだなって思ったし、ゲームメイクが上手いよね」


「おぉ、流石は元サッカー部マネージャー。私はよく分かんなかったけど、解説してもらえると改めて凄さが分かるね」


「けど、やっぱりパサー……アシストメインのプレイヤーは、素人から見たらただの引き立て役みたいな所あるしね。どうしてもゴールを決めた人の方がカッコよく映るんじゃないかなぁ」


 手を顎につけながら、藤井さんはなるほどという顔になった。そしてグラウンドから引き上げるメンバーに視線を戻した彼女は、何かに気付き、少しだけ驚いたような声を出した。


「あらら、どうもちゃんと評価されてるみたいだよ?」


 その言葉を聞いて、私も視線を向けた。早乙女君と中川君は一緒になってコートからゆっくりと戻ってきていたが、その先に大勢の女子が待ち構えていたのだ。


 よくよく見ると、1年生の女子が多く混じっている。どうやら休み時間になり、2年生の男子のプレーを見ていたらしい。


 そんな女子達の視線を中川君は上手くかわしながら、目があった私達の元に走ってきて声をかけてきた。


 汗で重みのある体操服を指でつまみ、風を送るようにパタパタと扇ぐ。


 額はまだ汗で濡れていて、激しく動いた様が分かった。彼は早乙女君の方を見ながら、歯をみせてニコリと笑顔になる。


「早乙女のやつ目立ってるなぁ」


「中川君も相当目立ってたと思うけど?」


「いやぁ、俺は彼女いるし逃げてきたよ」


 彼は藤井さんの方を少し見ながら、当然のようにそう答えた。なるほど、それもそうだ、彼には藤井さんという女性がいるのだ。


 彼はアハハと声を出して笑いながら続けて話した。


「まぁ、一人でディフェンスしたり、早乙女のやつ大変そうだったからなぁ。逆に目立ってたよな。しかも、最後のプレーとか凄かったし、この人気も納得だな」


 それを聞いて、私は少し気になっていたことを聞いてみた。


「なんで早乙女君一人でディフェンスしてたんだろう?早乙女君が攻めて、他の人が守ってたほうが勝てたかもしれないよね?」


 中川君はちょっと呆れたような口調になりながら、答えてくれた。


「いやぁ、だって女子がこれだけ見てたら、目立ちたいだろ。だから、皆攻めてディフェンスしないから、早乙女が仕方なしにやってたんだよ」


 私はそれを聞いて納得した。少ない学校行事の中で女子に対してアピールできるチャンスだ。私が男の子なら、そうしていたかもしれない。


 そして、同時に早乙女君らしいなと思った。自分の役割を常に考えて、主役より補佐役に徹するなんて中々できないことだ。

そこまで考えを巡らせた後、早乙女君の方を見てみた。遅れて歩いてくる彼には多くの女子の視線が集中する。


 おどおどとする彼は逃げ場を求めるように、こちらを一瞬だけ見たようにも思えた。それを見た藤井さんが、


「早くしないと、ゆう君取られちゃうかもよ?」


 と、私を焦らせるような発言をする。確かに最近、早乙女君は明るくなって人当たりが良くなってきたと、女子の中でも評判だった。


 早乙女君って彼女いないのかな、と友達から聞かれる事もしばしばある。


 私はよく分からない気分に陥っていた。彼が周りの皆から認められて嬉しいような、早乙女君を取られてしまうという焦りのような。


 そんな感情が、私の心を掻き乱していた。

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