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迷路対決を終えた私達は、最後に皆で乗ろうと決めていた観覧車に向かった。
目の前で、黄色の骨組みをした高く聳える観覧車が姿を見せ付けてくる。園内で一番高いアトラクションという事もあり、圧倒的な存在感だ。
入口で従業員の人にチケットを見せた後、4人で一斉に乗り込む。遠くから、オレンジ色の夕日が差し込んでくるのに、何だか心が落ち着くような、昂ぶるような感覚を覚えた。
下にいる園内を歩く人たちが、どんどんと小さくなっていく。透明の壁越しに下を覗き込む私達は、高いね、などと最初は興奮した様子だった。
その後少し時間が経つと、4人とも静かな空間で落ち着きを取り戻す。そんな中、藤井さんが気になっていた事を早乙女君に質問した。
「迷路の事だけどさ、ゆう君も何かしてたんだ?」
「何かって、何の話だ?」
中川君が割り込んでくる。藤井さんは中川君に、迷路であった事の説明を行った。
それを聞いた中川君は、
「えー! なんだよそれ、ズルイな!」
と、反応を見せる。それを見た私達は、つい笑ってしまった。
早乙女君が口を開いた。
「僕もね、左手探索のアルゴリズムを使ってたんだよ。ただし、他の手法も組み合わせていたんだ」
「他の手法?」
私の言葉に早乙女君がコクリと頷き、説明を続けた。
「左手探索、もしくは右手探索のアルゴリズムは、スタートとゴールが外壁に沿っている場合に使用すると、必ずゴールにたどり着ける手法だね。けど、今回僕達がしていた【競争】……つまり、生産性が求められる状況下では、その探索手法は適さないんだよ。なぜなら、その探索アルゴリズムは、片っ端から道を探索していく手法だからね。もしそれがゴールへの道筋じゃないとしても、行き止まりまで探索してしまうから、時間がかかるんだ。運が悪ければ、一番最後に探索した道筋が正解だという事もありえる」
「え、けど他に方法ってある? 目印も付けられないし……もしかして、一回来た事があったり?」
藤井さんの想定に、早乙女君は首を振る。
「いや、ここに来たのは初めてだよ。僕が使ったのは、【遺伝的探索のアルゴリズム】っていう手法なんだ」
「遺伝的探索? 早乙女……お前いっつもそんな難しい事考えてんのかよ」
中川君のつっこみに、早乙女君が少し笑みになった。その笑みのまま、説明を続ける。
「遺伝的探索のアルゴリズムは、近似アルゴリズムの一つなんだ。近似解……つまり、正解ルートに近いと思われるルートを優先的に探索する手法なんだけどね」
その説明を聞いて、私は謎が深まってしまう。なぜなら、それはおかしいからだ。
「近似解から探索するって、あらかじめ答えを知ってない限りは、無理なんじゃないの?」
私の質問に、早乙女君が答える。
「普通は無理だね。けど、状況や環境によっては出来るんだ。遺伝的探索のアルゴリズムは、一度探索したルートを評価して、それを基に更に探索していく手法なんだけどね。評価できる情報さえあれば、正解に近いところから優先して探索できるんだ」
それを聞いた私は、やっと気付かされた。そう、評価できる情報はあるのだ。
「そっか……他のお客さんだ……!」
私のその言葉に、早乙女君がウンウンと頷いた。
「そうだね。他のお客さんが同時に迷路を楽しんでいたから、それを評価したんだ。もし、探索している途中に、向いから人が戻ってくるような事があった場合、そのルートの探索は辞めにした。後、分かれ道に差し掛かった時は、ちょっとだけ待機して、人が戻ってくるルートを調べたんだ。人が戻ってこないルートは、正解のルートの可能性が高いからね」
私はスタート直後の早乙女君を思い出していた。早乙女君はスタート位置から動かずに、他のお客さんが行き止まりのルートから戻ってくるのを確認していたのだ。
そして、私が進んだ左手のルートと、藤井さんが進んだ右手のルートから人が戻ってくるのを確認した瞬間、中川君が進んだ直進ルートを選んだのだ。
説明を聞いた私達は一斉に、おぉ、と声を出した。
「すっげぇなそれ! やるなぁ!」
「なんだかちょっとセコイ気もするけどね」
藤井さんはちょっと納得がいってないようだ。どうやら、彼女には負けず嫌いなところがあるらしい。
「確かにちょっとセコイかもしれないね。まぁ、正解に近いルートの探索を優先すると言っても、他のお客さんが間違った情報を持っている可能性もあるから。だから、本当に運が良かったんだよ」
「ちなみにゴールまで何分かかったの?」
藤井さんの問いに対し、早乙女君が驚く数字を発表した。
「確か7分か、8分くらいだったかな。10分かからなかったと思う」
私達の半分以下だ。それを聞いた藤井さんは、流石に負けを認めるしかなかったようだ。むぅ、といった表情をした後、深くため息をつき、やれやれと首を振った。
探索の無駄を省くという点に着目した、早乙女君の大勝利である。
早乙女君の説明が終わると、負けを認めた藤井さんが声を出した。
「さてとっ、優勝賞品のお願い事は何にするつもりなの? ゆう君。なんなら、個人に宛てたお願いでも構わないよ? 何でも言う通りにしちゃうよー?」
藤井さんがそう言うと、私の方を向いてニヤリとした。その表情を見て、私は理解した。
なるほど、これが目的だったのだ。最初のダブルデートの発言と言い、どうやら私の早乙女君に対する感情に藤井さんは気付いている。私と早乙女君に、何かさせるつもりだったのだ。
もし、藤井さんが優勝していたらと考えて、ゾッとしてしまった。そんな事を考えていると、顔に熱を帯びていくのを感じた。
顔は赤みを帯びていたと思うが、夕日のせいもあり、恐らくは気付かれていない。少しだけ俯き加減の状態で、私は横にいる早乙女君の顔を覗き込んだ。
綺麗な肌が、夕日を反射しているように見えた。横から見た瞳は、キラキラと美しく輝き、睫毛は女性のように長い。
はぁ、と溜息が出るように、その横顔に見惚れてしまう。そんな彼が口元に手を置き悩んだ後、少し照れたような表情をして、そのお願いを私達に伝えた。
「また遊びに誘ってほしいな」
私達はキョトンとしてしまった。特に向いに座っていた藤井さんは、「はぁ?」という表情をしている。私はというと安心したというか、残念というか、そんな複雑な気分だった。
少しの無言が続いた後、中川君が笑いながら早乙女君に答えた。
「あはは、そんなの当たり前じゃん! また誘うって! っていうか、お前から誘えよな! 絶対行くから!」
「つまんなーい、そんな普通のお願いダメだよー」
藤井さんがぷっくりした顔つきで早乙女君に拗ねていた。その二人の返事に、早乙女君は少し驚いた表情をした。
ハッとするような、何かに気付いたような表情。それは徐々に、柔らかい笑顔に変わっていった。
その笑顔は、とても優しく、それでいて何処か寂しさを感じる笑顔だった。夕日で輝く瞳は少しだけ、水気を帯びているように、私は思った。
中川君と藤井さんの笑いに、部屋が包まれる。早乙女君が私の方に視線を向けた。
目が合い、少しだけ動揺してしまう。そんな心情の中、私も早乙女君に伝えた。
「そうだよ、友達なんだから、そんなの当たり前だよ」
寂しさを感じる笑顔は、徐々にしっかりとした笑顔に変わった。歯を見せないようにする、早乙女君らしい笑顔の姿勢になる。
あはは、と笑いながら、彼はこう言った。
「うん、そっか、そうだね。ありがとう、また遊びに行こう」
不思議の多い男の子だ。私達は、この人の事を何も知らない。そして、普段から彼に対して壁のようなものを感じていた。
その壁が少しだけ壊れたような気がして、私は嬉しかった。