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そのお願い事を聞いて、私は驚いてしまった。奇想天外な事をお願いされるならまだしも、そんなことでいいの?と聞き返してしまうような単純なものだったからだ。
意図が掴めないままに、早乙女君を残して一人で視聴覚室から出て、廊下で待っている三輪さんにある事を質問する。
そして、お願い事に込められた意味を知る事になった。
質問を終えた後、一旦は三輪さんをその場に待機させておいて、視聴覚室に入って早乙女君に結果を報告する事にした。
視聴覚室に入る為に扉を開く。廊下から差し込む、自然の光に反応して、早乙女君がこちらに視線を向けた。三輪さんを廊下に残して私だけが視聴覚室に入った後、ガチャリという扉の閉まった音に合わせ、視聴覚室は静寂に包まれる。
「どうだった?」
早乙女君が言葉を出す。だが、私に残された疑問が多すぎるため、尋ね返す事になってしまった。
「どうして、嘘付いてるって分かったの?」
「やっぱりそうだったんだね。確信はなかったけど、それしかないかなと思ってたんだ。詳しく聞かせてもらえるかな?」
私は早乙女君から、もう一度行動に嘘がないか確認してほしいと頼まれていただけだった。そして、その事実が判明した。
三輪さんは私達に嘘をついていたのだ。といっても、悪意のある嘘ではない。
「どうも、最初にトイレに行った時間は30分くらいかかってたみたい。しかも、トイレに行く前にA棟の教室に寄ったらしいの」
「なるほど、やっぱり報告していた事以外にも、していた事があったんだね」
「えっと……。できれば、なぜ分かったのか教えて欲しいんだけど……」
私の質問に対して返答がないので、催促する。
「あぁ、ちょっと長くなるけど説明するよ。まず、三輪さんが教えてくれた行動を全部検証しても、鍵がみつからなかった。しかも、三輪さんの報告内容からは、視聴覚室の外に鍵があるとも思えない。そこまでは分かるよね。」
「うん」
「だとしたら疑問があるのは、報告内容だ。僕達は、ただ単に【三輪さんの報告内容を整理】していただけにすぎない。つまり、何らかの要因で報告ミスがあった、もしくは嘘をついていると考えるのが妥当なんだよ」
私は自然と大きく目が見開いた状態になっていたと思う。確かに、私達は三輪さんの行動を直接見ていた訳ではなく、三輪さんの言葉を信じて調査しているだけだった。早乙女君が言葉を続ける。
「三輪さんは、嘘を付くような性格には見えなかった。だとしたら、個人的な感情が邪魔して違う情報を伝えてしまった……。その可能性が僕の中で浮上したんだ。そして嘘を付かないといけなくなった要因があるとすれば……僕しかいない。だから、長谷川さんに頼んで、三輪さんの嘘偽りのない行動記録を確認してもらったんだよ」
そう、三輪さんの嘘とは、トイレに行った時間を偽っていたというものだった。その理由は、人によっては少し恥ずかしいと思ってしまう事だったからだ。
三輪さんは、掃除の途中で女子特有の生理現象が始まってしまったのだ。そして、教室まで急いで生理用品を取りにいくことになってしまった。トイレにかけた時間も、それに合わせて伸びてしまったようだ。
だが、三輪さんはその事実を報告する際に、男の子である早乙女君の前で言うのを躊躇ってしまった。
「えっと……トイレにかけた時間が多かったのは……」
「それは言わなくていいよ」
下を俯きながら説明する私に向かって、早乙女君は強制的にそれを終了させた。どうやら、ちゃんと分かってくれているらしい。
「女の子は大変だね」
「それ、ちょっとセクハラだと思う」
笑いながら言う私の言葉を受け、早乙女君はちょっと困ったような表情をした。さて、三輪さんをこの場に呼び戻さなければならない。
私は、外に出て三輪さんに事情を説明することになった。早乙女君はそんな事を茶化したりしないから大丈夫だよ、とフォローして、視聴覚室に入ってもらえることになった。
早乙女君と対面した三輪さんは、泣きだしてしまった。クシャクシャの顔になりながら、謝りだした。
「ごめんなさい、嘘ついて……」
どうやら、大きい罪悪感を感じていたようだ。そして、恥ずかしいという感情も合わさって、瞳は涙で溢れていた。ヒックヒックという声が視聴覚室に響く。
座っていた早乙女君は、立ち上がって三輪さんと対面しながら言葉をかけた。
「大丈夫だよ。こちらこそ、嫌な事を無理して聞いてごめんね」
とっても優しい声色だった。早乙女君自信も、怒涛に質問をしてしまった事に罪悪感を感じていたのだろうか。今まで聞いたことのないような、包まれるような音色に感じた。
三輪さんはフルフルと首を横に振り、「そんなことないよ」とジェスチャーで返事をした。時間をかけ、徐々に落ち着きを取り戻したようだ。
早乙女君が、それに合わせて再スタートを切る。
「さて、これでようやくスタートラインに立てた」
「今から教室も調べにいくよね?」
私の一般的な提案に、なんと早乙女君は、
「いや、多分それは意味がないと思う。時間もかかるし、教室に行く途中で落としたという仮説の検証は辞めにしよう」
と、驚くような否定を見せた。
「じゃあ、どうするの?」
当たり前の質問を、私は早乙女君に投げかけた。
「多分、鍵は見つからない」
「え……? 見つからないってどういうこと?」
私と三輪さんは、放心状態になる。早乙女君が説明を始めた。
「ある仮説がたったんだよ。外に出た時間が、5分から10分という短い時間から、30分という長い時間に変わったことで、ある事が出来るようになってしまったからね」
「ある事……?」
自分の提案が否定された事で、ちょっと反感を持っていた私は、早乙女君の言葉の意味を考える事をやめてしまっていた。
そして、それを感じたのか、早乙女君が驚く事を私達に伝えた。
「恐らく、盗まれたんだよ」
「盗まれたって、鍵が……?」
視聴覚室に、三輪さんの声が小さく広がった。
「うん。最初は、外部要因によるカギの盗難というケースを排除していたんだ。けど、30分も視聴覚室を離れていたとなれば話は別だ。誰にも見つからずに鍵を盗んで、その場を立ち去る事は容易だよ」
急に話が飛躍したことで、三輪さんと私は、その現実を受け入れる事が出来ない。だが確かに、視聴覚室から鍵を持ち出した記憶が無い三輪さんがいる。そして、何が起こったのか分からない、空白の30分。
私達は、反対意見を出すことができない。
「そ、それだったら早く犯人を捜しに行かないと…」
「どうやって?」
焦りから発せられた私の言葉に、早乙女君が素早く返事をした。その問いに答えることができず、唇を噛んで悔しがるような状態になる。
早乙女君が、フゥと息を吐きながら、状況を整理しだした。
「とりあえず落ち着こう。僕達は無くなった鍵を捜すために行動をしていた訳だけど、状況が一遍してしまったようだね。一旦、鍵の捜索は凍結して、暫定対応に着手しよう」
早乙女君が、私達を置いて一人でどんどん先へ先へと思考を進めていくのを感じた。私は、必死にしがみ付こうとする。
「暫定対応ってどういう事?ちょっと意味が…」
「あぁ、ごめん。分かりにくかったね。もうかなりの時間が経ってしまっているから、疑問に思った先生が視聴覚室に来るかもしれない。もしその時に、今の僕達が得ている情報だけで、先生に【鍵が盗まれた】と報告したら、どうなると思う?」
「あ…」
私は、その質問でようやく理解ができた。
「そう、信じてもらえる訳がない。間違いなく言い訳をしていると判断されてしまうよ。しかも、視聴覚室の掃除当番じゃない僕達二人が関与してしまっている。最悪な事に、<<解決部>>なんて名前まで貰っている訳だから、三輪さんに対して、言い訳の提案でもしたんじゃないかって疑われるだろうね。僕達はまず、【三輪さんの無実を証明する】事を優先しなければならなくなった」
後先考えずに、犯人捜しをしようとした自分が情けなくなった。
「ごめんなさい、何も考えずに犯人を見付けようなんて…」
「悪いことをしてないんだから、謝らなくていいんだよ。思考や感情をシェアするのはとても大切なことだからね。長谷川さんは、とても大切な事をしてるよ。むしろ、もっともっと自分の思ったことを口にするべきだ」
失った自信が、少しだけ回復したような気分になる。そうだ、私は早乙女君の相棒だ。前向きに考えなければ。
私達は、並んだ固定椅子に腰掛け、机を使って会議をする体勢となった。早乙女君が、胸ポケットから小さなメモ帳を取り出して机の上に拡げる。
「さて、無実を証明する為に準備をしないといけないんだけど、何から着手するべきかな…。こうなると5W1Hの観点から、一つずつ疑問を埋めていくしかないかな…」
口に出す言葉に、いつもの自信さを感じられなかった。早乙女君もかなり戸惑っているようだ。
「えっと…。 Who What When Where Why How だっけ」
内容を早乙女君に確認するような形で、認識を摺り合せる。そして、私達の間で以下の情報がシェアされた。
---------------------------------------メモ内容---------------------------------------
・ Who 不明
・ What 鍵
・ When 掃除中
・ Where 視聴覚室
・ Why 不明
・ How 三輪さんの不在中に、視聴覚室に侵入して実行したと考えられる
--------------------------------------------------------------------------------------
「さて、プロセスとしては Why を検討していく過程で、 Who を描いていくのが良さそうだね。その2つをある程度、辻褄が合う内容で埋めることができれば、先生に納得してもらえる可能性が高い」
早乙女君が、今の一番大きい問題を掬い上げてくれた。
「ミステリ小説で言う、ホワイダニットだよね…こんなの本当に分かるのかな…?」
「やるしかない」
私の不安を、早乙女君が気合論の返事をする。論理的じゃない早乙女君を見るのは初めてかもしれない。いつも落ち着いた表情を見せる早乙女君が、険しい顔になっている。
「思考を発散させるしかない。【ブレスト】しよう。ただし、時間の関係もあるから、反対意見が出た場合はその瞬間に言葉に出してほしい」
ブレインストーミング法を使用し、動機を推察することになった。三輪さんは私達の勢いに気圧されてしまい、言葉を発するタイミングを完全に失ってしまったようだ。
だが、配慮している時間は無い。私達は二人で、検討を進めることになる。
「三輪さんに対する嫌がらせという案はどうだろう?」
「うーん、恨まれたりするような人じゃないと思う。クラスの中ではトップクラスで好印象なんじゃないかな」
「なるほど、客観的な意見は参考になるね。他のクラスの人は?」
「三輪さん、どう?」
私が三輪さんへの架け橋となる。オドオドとした雰囲気を出しながら、小さく返事をする。
「えっと…他のクラスの人とはあんまり喋らないかな…」
「そっか…なら、嫌がらせの線は無さそうだね」
私の結論を受け、早乙女君の動きが止まる。もしかして、否定された事でちょっと落ち込んでるのだろうか?
さぁ、次は私の意見だ。
「先生が、鍵を持って行ったというのはどうかな?」
「それは無さそうだね。もし誰も居ない視聴覚室を確認したとしたら、教師としては一旦鍵を閉めて、鍵を持ち帰ると思う。鍵だけ無くなるのはおかしい」
「でも、それは早乙女君の仮説だよね?」
「……確かにそうだね、一応は検証しよう。ただし、鍵を確認しに行くだけだ。先生に相談をするのは絶対に無しだ」
「わ、私見に行ってくる……!」
三輪さんが、小さいが勢いのある声を出し、その瞬間に廊下へ飛び出していった。鍵の確認は彼女に一任することにし、私達は議論を続行する。
「鍵マニアの犯行とか…?」
言った後に、何を言ってるんだ私は…と、恥ずかしい気持ちになった。だが、早乙女君はその言葉を聞いた瞬間に、携帯電話を取り出して、勢い良くそれを操作しだした。
どうやら、律儀に鍵マニアが存在するのかどうか調べているようだ。数秒後、彼は操作を終えて私に報告する。
「いなくはないかもしれないけど、一般的ではなさそうだよ」
「あはは…そうだよね…」
乾いた笑いを出す私を見つめ、早乙女君がウーンと唸りだした。
「もしかして、ミスリードしているのかもしれない…」
「ミスリード?」
「もうちょっと、5W1Hの情報を細分化してみよう」
そう言うと、早乙女くんは先ほどの結果に、少しだけ情報を付け加えた。
--------------------------------------------メモ修正内容----------------------------------------------------
・ Who 不明
・ What 【視聴覚室】の鍵
・ When 【三輪さんが、一人で視聴覚室を掃除している最中】
・ Where 視聴覚室【の中で】
・ Why 不明
・ How 三輪さんの不在中を【恐らくは見計らって】、視聴覚室に侵入して実行したと考えられる
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「あれ…これってもしかして…」
私に、少しの閃きがあった。
「何か分かった?」
「ちょ、ちょっと待って…何か分かりかけてるような……。なんだろう、もっともっと発散させていけば分かるような……」
先行きの不安になるような夜の海。そんな思考の海原に、ダイブするような感覚になった。
盗まれたのは視聴覚室の鍵……。三輪さんが、一人で掃除をしている最中……。不在中を、見計らった犯人の計画性……。
犯人がその時考えていたこと……。いや、違う。そうだ。その先に考えていたことだ。
<<ガチャン>>
静寂を切り裂くように、扉が開く音が鳴り響いた。廊下から差し込んだ光が、オレンジ色を帯びている。それが目に入り、かなりの時間が過ぎてしまったことが把握できた。
三輪さんが、廊下から顔を見せるような形で、私達を覗き込んだ。
「長谷川さん、早乙女君、ごめんなさい…」
小声でそう言うと、三輪さんの影から小鳥先生が姿を現した。
「こんな遅い時間まで、何やってるの?あれ、早乙女君と長谷川さん?今日って当番だっけ?」
鍵の返却が遅すぎる事を察知した小鳥先生が、職員室にいた三輪さんに気付いてしまったようだ。二人で、視聴覚室まで来てしまった。
「しまった……間に合わなかったか……」
早乙女君が、ガクリとした表情を見せた。
「早乙女君……多分、間に合ったよ」
私は、机の上に置かれた早乙女君の手をとってそう答えた。
「えっ!?」
早乙女君が似合わない大声を上げる。
確証のない推理だが、辻褄は合う。けど、それにしてもこれは……。
感じた疑問と不安を、早乙女君に伝える。
「でももし、私の推理が正しかったら……。何人かの退学者か停学者が出ちゃうかもしれない」
そして、それは現実となってしまった。