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午後の授業が全て終わり、放課後となった。私は、A棟の非常階段を箒ではいていた。
A棟とは一般教室が集約する建物のことで、他にもB棟、C棟とある。それぞれが平行に建てられており、丁度漢字の「三」のような形を表している。
そして、建物の左右にはそれぞれ非常階段口が設置されており、直ぐに外に出られるようになっている。そこには、一階から三階まで、螺旋状のコンクリート階段が連なっており、それを覆うように壁がそびえている。非常階段というよりかは、塔のような雰囲気だ。
今日は、その非常階段の掃除当番だった。
お昼休み以降、なんとなく早乙女君とは喋りにくい雰囲気になってしまった。私が冷たく当たってしまったのを気にしてか、早乙女君は私に対して話しかけてこない。
そして、運が良いのか悪いのか、掃除当番が一緒だった。他にも掃除当番の子が2人いたのだが、反対側の非常階段口の掃除をしていた為、二人きりになってしまっていた。
昼間の失敗を思い出しつつ、階段に溜まった埃などをまとめていく。それを綺麗に取り除こうと、塵取り箱を手に取ろうとした。
すると、早乙女君がそれに気付いたのか、手に持っていた箒を壁に立てかけ、私が手に取ろうとした塵取り箱を取って、歩み寄ってきた。
私より段差の低い位置に陣取り、ゴミを受け止める姿勢となる。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
その光景は、さながら執事にエスコートされる貴族の淑女のようだ。まぁ、それは掃除をしているという前提条件が無ければの話だ。
気を使ってくれている早乙女君に対し、自分勝手に大人気ない対応をしていた事に、徐々に申し訳ない気分になっていった私は、素直に謝ることを決意した。
「お昼はごめんなさい、ちょっとイライラしちゃって……」
「うん?あぁ、大丈夫だよ。こちらこそゴメンね」
「どうして謝るの? 早乙女君は悪くないよ」
「うーん……そんなことないんじゃないかな。正確にはわからないけどね。でも、何か悪いことが起こった時は、両方に責任がある場合の方が多いと思う。気付かない内に、長谷川さんに嫌な事をしていたのかもしれないって考えたら、僕も謝らないといけないなと思ってね」
私の心境を、ことごとく当てられているような気分になる。そして私は、ごめんなさいという言葉より、大切な言葉を伝えることにした。
「そっか。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
早乙女君の口元が少し上がり、ニコリとした。精巧に作られた人形が笑ったように人間味を感じなかったが、私にとっては優しくて暖かい笑みだった。
仲直りをしたところで、引き続けて掃除を行う。
箒でゴミを集めていると、あるものを見付けてしまった。
「あれ・・・・・・これって」
「どうかしたの?」
早乙女君がこちらに駆け寄ると、二人でそのゴミを見る。それはタバコの吸殻だった。
「タバコだね。もしかして誰かがここで吸ってたのかな」
「そう言えば、ウチの高校の上級生が吸ってるって噂、何か聞いたことあるかも・・・・・・非常階段で吸ってたって事かな・・・・・・」
高校生が喫煙している事を想像して、私は不安な気持ちになる。
「念の為、後で先生に報告しておいた方が良さそうだね」
早乙女君の一言で、私は冷静さを取り戻す。タバコの吸殻を箒で掃きとり、そのままゴミ箱へと捨てる。
掃除を終え、私達は教室に向かう。すると、教室の前でキョロキョロと辺りを見渡す女子がいる事に気付く
同じクラスの、<<三輪かずみ>>さんだ。ボーイッシュなショートヘアと、頬にあるそばかすが印象的な女の子だ。運動でもしてそうな活発な雰囲気とは裏腹に、いつも気の弱そうな表情をしていて、オドオドとしている。
目が合った瞬間に、泣きそうな声になりながら、私へ声をかけてきた。
「長谷川さん……」
歩み寄りながら、私も声をかける。
「どうしたの? 三輪さん」
「実は、視聴覚室の掃除当番だったんだけど、掃除中に鍵を失くしちゃって……」
「えぇ!?大変だ!! 先生とか他の掃除当番の子には、相談したの?」
「先生にはまだ言ってないの。怒られると思って……。それに、掃除は私一人でやってて……」
その言葉で、なんとなく事情がつかめた。
三輪さんは、人に物事を押し付けられてしまうタイプの人間で、断るのが苦手な女の子だった。恐らくは、他の掃除当番の子に押し付けられるような形で、一人で掃除をしていたのだろう。
そして、その掃除中に鍵を失くしてしまったようだ。
「そっか、分かった。鍵を捜すの私も手伝うよ」
「ほんとに!? ありがとう」
それを見た、私の横にいた早乙女君も、
「僕も手伝うよ」
と、協力してくれることになった。
私達3人は、各棟の2階にある渡り廊下を使用して、視聴覚室のあるC棟3階まで向かうことになった。
C棟に着いた後、階段を1つ上り、廊下の一番突き当たりまで進む。そうすると、視聴覚室がある。その場所は、教室や職員室からかなり離れた場所になっている為、人の気配がまるでない。
着いた私達は、既に鍵が空けられている扉を開け、視聴覚室へ入ることになった。
中に入り、扉を閉めると、外の音が完全に遮断された。窓が一切無く、防音室のような構造になっているのだろう。視聴覚室は高校の校舎のイメージとは随分かけ離れているなと思った。
大学の講義室のようなイメージの固定机と固定椅子が連なっており、多くの人数が座れるようになっている。
天井には、空調機器がいくつも配置されており、大きな投影機器も設備されていた。そして、固定机の前方の壁には黒板が設置されている。
黒板の上には、ロール型のスクリーンが収納されており、棒を使うことで、映像を写せる状態にすることができるようになっている。
また、反対側の壁の一部はガラス張りになっていた。その中は調整室となっており、視聴覚室に入る扉の反対側に入り口が設置されていて、そこから入れるようになっている。調整室から、視聴覚室を確認する事が出来るようになっている形だ。
調整室の中には、音響機器や映像機器がいくつもあるようだ。
シンと静まり返ったその教室で、なんだかむず痒いような気分になる。人の気配や音が異様に少ないと、なんだか気持ちが高まったような静まったような、変な覚醒状態になってしまう。
中を見渡した後、三輪さんがオドオドと説明を始めた。
「職員室から鍵を借りた後に、鍵を開けて視聴覚室に入ったんだけどね……。入った後、直ぐに近くの机の上に置いたような気がしてたんだけど……」
早乙女君は、黙って三輪さんの話を聞いているようだった。自然と、私が受け答えする事になる。
「気付いたら、無くなってたんだ?」
「そうなの……」
「じゃあ、とりあえず机の下とか捜してみよっか」
私の掛け声と同時に、机と椅子の下を捜し始めることになった。5分ほど経って、それぞれ結果を報告する。
「あった?」
「無かった……」
「無いね」
三輪さんの言葉に引き続き、早乙女君も見付けられなかった事が分かる。私自身も床をくまなく探してみたが、見つからなかった。もちろんテーブルの上にも無いようだ。
どうしようと途方に暮れている2人の女子に反し、早乙女君が冷静に対処し始めた。
「アプローチを変えてみよう。この部屋に入ってからやった事を、全て順に教えてもらってもいいかな?」
三輪さんが説明を始めた。
「えっと……。まず、鍵を開けて入った後、近くの机に鍵を置いたの。知ってると思うけど、鍵は大きい木の板みたいなストラップが着いているやつ……。で、扉の反対側にある掃除用具入れから、箒を取り出して掃除を始めて……。その後に、テーブルの拭き掃除をしてたんだけど、その時に鍵が無くなっているのに気付いたの」
それを聞いた早乙女君が、掃除用具入れまで歩いていく。ガチャンと音がして、中を調べているのが分かったが、鍵は見つからなかったようだ。
早乙女君が、続けて質問をする。
「外には出なかったの?」
「あ、外には二回出たかな。一回目は、掃き掃除をしている最中に……えっと……トイレに行ったんだけど……」
三輪さんがモジモジし始めた。流石に男子にこの話をするのは恥ずかしいようだ。頑張れ、三輪さん。
「二回目は?」
「拭き掃除をする為に、雑巾を濡らしに、トイレにある洗面所に……」
「二回ともトイレか。所要時間はどれくらい?」
「ちょ、ちょっと早乙女君!」
流石にデリカシーが無いと思ってしまい、中断してしまった。三輪さんの顔が、どんどんとゆで蛸のように真っ赤になっていく。
「だ、大丈夫だよ、長谷川さん……」
だが、三輪さんは私の制止を振り切った。恥ずかしながらも答えることを決めたようだ。
「両方とも……えっと……5分から10分……くらいだと思う……。C棟の二階にあるトイレに行って戻ってくるだけだから……」
「なるほど、ありがとう」
早乙女君は、そこまで聞き終えると、視聴覚室内をウロウロとし出した。
どうやら、三輪さんが辿ったルートを巡回しているようだった。掃き掃除のルートを巡回した後、外に出て二階にあるトイレへと向かった。私達は、強制されるかのように着いて行く事になった。
階段を下りて2階に着いた私達は、トイレの前まで移動を終えた。しかし、流石に早乙女君はそこで立ち止まってしまうことになる。
「うーん、中を調べるのは無理だな。長谷川さん、一応お願いしてもいい?」
「了解っ」
トイレの扉を開けて、中を調べてみる。まず、目に見える範囲で床を調べたが、何か落ちている様子は無かった。扉に入って直ぐの洗面所を調べたが、物置台にも何も置かれていない。それぞれの個室も調べてみたが、木のストラップが着いた鍵が落ちている様子はなかった。トイレから戻り、早乙女君に報告することにする。
「うーん、無かったよ」
「ありがとう、それじゃあ戻ろう」
来た道を戻り、視聴覚室まで戻ってしまった。そして、視聴覚室に着くなり、早乙女君は固定椅子に座ってしまった。目の前に手のひらを合わせて、お辞儀をするような格好になりながら、考え事をしている。
「これを、二回繰り返したんだよね?」
「うん……そうだけど……」
「他に行った場所は無いよね?」
「えっと……えっと…………うん……」
「鍵は持ち出した記憶ないよね?」
「はい……」
怒涛の質問の連続に、遂に三輪さんは丁寧語になってしまった。質問をする時に威圧的になるのは、早乙女君の悪いところだ。
質問を終えた早乙女君は、考え込んで無言になってしまった。かなりの時間、私達の間で無言の状態が続く。
すると、急にブツブツと早乙女君が独り言を言い出した。
視聴覚室は静まり返っていた為、その独り言は私達にも伝わってきた。妙な緊張感が漂いはじめ、三輪さんと私は二人で目を見合わせた。
かなりの情報を頭の中で処理しているみたいだが、どうも早乙女君にも解決が期待できなさそうに見えた。それを理解したのか、遂に三輪さんが諦めたような顔になり、言葉を発した。
「二人とも、ごめんね……。見つからないみたいだし、正直に先生に言って……」
まで言いかけた瞬間、早乙女君が声を出した。
「あれ、もしかしてそういう事なのか?」
早乙女君はそのまま三輪さんに目を合わせて、言葉を続けた。
「ごめん、三輪さん。ちょっとの間、視聴覚室から出てもらってもいいかな?」
驚いていた三輪さんは、可否を答える事も出来ずに、コクリと頷いて外に出てしまった。ガチャリという扉の閉まる音を聞いた後、私は疑問を投げかけることにした。
「何か分かったの?」
「いや、何か分かったという程の事でもないけど、アプローチ方法を変えてみる事にしようと思ったんだ」
「どういう事?」
「三輪さんからのヒアリング結果を受けても、答えが全く出てこない。こういう時は、前提条件が間違っているのが一般的なんだ。長谷川さん、お願いしたいことがあるんだけどいいかな」
私は、早乙女君のお願いを聞き入れる事になった。