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昼食を終えた後の、昼休み。私は、廊下の窓から半身を乗り出すような形で、グラウンドの方を眺めていた。
グラウンドより少し手前には、誰でも使用できる古ぼけたバスケットゴールが設置されており、休み時間にはバスケットボールを楽しめるようになっている。
そこには以前の依頼人であった中川りゅうじ君が、仲のいい友達を率いてバスケットボールを楽しむ姿があった。そして、早乙女君もその一人だ。
前回の案件以降、昼休みになると中川君は早乙女君をバスケットボールに誘うようになった。最初は断っていたのだが、何度も何度も誘われている内に断る事が億劫になる。今では休み時間になると、やれやれといった表情でグラウンドに向かうようになった。
なんでも卒なくこなす早乙女君は、バスケットボールもそこそこ上手いようだ。流石にクラブに所属している中川君には敵わないようだが、パスを出す仕草やシュートフォームは様になっている。激しくゴール下へのドライブを決める中川君に対し、早乙女君は落ち着いてボールをハンドリングして無理なくパスを回すプレイスタイルだ。
性格が良く表れているなと、そんな事を考えた。
眺めながら、私は少し妬いていた。昼休みの時間は早乙女君と一緒に過ごす事が多かったから、時間を奪われたような気分だったからだ。男子に対しても嫉妬するなんて、我ながらに重い女子だと自己嫌悪してしまう。
窓から入る小さな風に、前髪が少しなびく。
すると視線の端に、茶色い髪の毛が小さく動くのが見えた。視線をうつすと、そこには 藤井あいり さんが私と同じ格好になり、同じ場所を眺めていた。
中川君の彼女だ。
「かっこいいよねー」
最初は独り言かと思ったが、どうやら私に対して言っていると気付く。あまり喋ったことはなかったが、藤井さんとは面識があった。しかし、自分の彼氏を自慢するなんて、なんというか凄い人だ。
「中川君? うん、カッコいいと思う。女子から凄い人気あるよね」
「りゅうじ? 違う違う、ゆう君だよー」
私は、何に驚いたらいいか分からない状態になった。自分の彼氏の事を自慢しているのかと思いきや、早乙女君の話であった事に気付かされ、更にとんでもない事を言い出したと思ったからだ。
しかも、名前で呼ぶなんて……。
拍子に、改めて彼女の姿をしっかりと見ることになった。そして、以前見たときより、随分と雰囲気が変わっていることに気付く
お姉系の茶色のウェーブがかかったロングヘアはツインテールに変わり、高圧的な見た目から一転してアイドル風に変貌していた。メイクもそれに合わせ、可愛らしい女の子になっている。まるで猫の目のように瞳はクリクリとし、唇は艶を帯びている。
「スポーツ万能の高身長イケメンもいいけどさ、頭が良い男子ってのもカッコいいよねー」
「えっと……」
「長谷川さんって、ゆう君と付き合ってるのー?」
「い、いや!付き合ってないよ!」
息をつく暇もない攻撃に、必死で身を守る。彼女はその手を休める様子がない。
「へー、そうなんだ。興味あるんだよね、私」
「中川君と付き合ってるんじゃないの? 付き合ってるのに、そんな事言うなんて……」
「んーん、ただの興味だよ、興味」
あっけらかんとした表情から繰り出される、驚きの発言の数々に、言葉を失いそうになる。彼女のペースに飲み込まれてしまうのは当然だった。
「きょ、興味って……?」
「興味は、興味だよー! あの【仕草】って、ゆう君が考えたものなんでしょ? りゅうじ はそんなに頭良くないし、誰かがアドバイスしてるんだなって直ぐ分かったよー」
【仕草】とは、以前に中川君へと提案した【暗号化】の事だと分かった。結局は、藤井さんに利用されてしまった事を思い出し、居た堪れない気分になる。
「で、きっとゆう君がアドバイスしたんだなって直ぐに分かったんだー。それで興味が出てきたんだけど、中々接点が無くて困ってるんだよー。だからさ、長谷川さん手伝ってくれない?」
「手伝うってそんなこと……」
「ふふっ、嫌ならいいや、じゃあまたね」
彼女はクルリと反転して自分の教室へと去っていった。彼女がつけている香水の匂いが、去り際に残り香となって、風が運んできた。
先手を打ち続ける藤井さんに対し、何も言えず、取り残された私はすさまじい敗北感に襲われた。
落ち込んだ気分のまま、自分も教室に戻ることにした。
始業開始5分前となり、早乙女君が教室に戻ってきた。藤井さんのあの発言があった為、自然と彼を目で追ってしまう。
早乙女君は自席につくなり、自分の鞄の中をゴソゴソと漁っている。そうすると、直ぐに困った表情になった。
そして私に目線を合わせると、小走りで近づいてくる。目があった瞬間にドキリとしてしまった。
「長谷川さん」
「な、何?」
動揺を隠せない言葉遣いになってしまう。
「制汗剤とか持ってないよね?」
彼を見ると、とても汗をかいていた。水分のせいで髪が重みを持ち、額に張り付いており、白い肌は艶やかに輝いていた。息も絶え絶えだ。
この季節にバスケットボールをしていたのだから、当然といえば当然だ。
「んー、ごめん、持ってないや」
夏場になれば一応は常備しているのだが、あまり汗をかかない体質の為、体育の授業が無い日には持ち歩かない日が多かった。
「そっか。どうしようかな。汗臭くないかな?」
そういう発言って普通の男子なら、恥ずかしがって女子にしないものじゃないか?と、ふと考えた。なんだか女子として見られてないような気分になり、
「別に大丈夫じゃない」
と、早口で冷たい言葉を出してしまった。