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「実は、授業のやり方に悩みがあったの」
「授業のやり方ですか?」
「うん、そうなの。教師のくせにこんな事言うの恥ずかしいんだけど、私の授業って寝ちゃう生徒が凄く多くて、どうにかしないといけないって危機感があったんだ」
私は申し訳ない気持ちになる。小鳥先生の授業で何回か寝てしまった事があったからだ。
「で、ものは試しだって事で早乙女君に相談してみようって思ったわけ」
「かなり思い切りましたね」
「でしょ。けど、あの時は本当に切羽詰ってたっていうか。どうすればいいのか分からなくて、行き詰ってたんだ。他の先生にも相談しようと思ったんだけど、何だか情けなくなっちゃって」
「早乙女君はどんな反応してました?」
「そりゃーもう、怒られたよー。そんなことぐらい自分でなんとかしてくださいよ。他の先生に相談すべきじゃないんですか。ってな感じに呆れられながら言われちゃった」
「へー」
私の知っている早乙女君がするような発言じゃないなと感じた。先生相手だと厳しい一面を見せたりするんだなと、秘密を知ったような気分になる。
「まぁ、当たり前の反応だよね。で、落ち込んで無言になってたら、仕方ないですね今回だけですよ。ですが改善できるかは保証しませんから。ってな具合に相談に乗ってもらえることになったんだ」
そう言うと、小鳥先生は立てかけられたブックスタンドからノートを取り出した。
「相談内容のメモがあるんだけど、見てみる?」
「あ、見てみたいです」
横の席から椅子を拝借して小鳥先生の机に並んで座り、二人でノートを覗き込むことになった。
「んーっと、まず何から話したんだっけ。あぁ、そうそう。これだ。早乙女君が、まずは【ブレインストーミング法】を使って問題点を洗い出しますって言いはじめたんだ」
ブレインストーミングという言葉には少し覚えがあった。
「確か会議方式のことでしたっけ?」
「よく知ってるわね、流石は長谷川さんだなぁ」
ブレインストーミング法とは会議方式のひとつだ。課題抽出にはもってこいの手法で、とにかく自由なアイディアを出し、反論はしないようにする。そうすることで様々な視点からのアイディアが生まれるというものだ。早乙女君はそれを利用して、問題点の洗い出しを図ったようだ。
「で、色々な意見を30分くらいかけて出し合って、まとめた結果がこうなったの」
--------------------------------メモ内容--------------------------------
Q: なぜ、授業中に生徒が寝てしまうのか?
A:
1.授業自体がつまらない・モチベーションが上がらない為、寝てしまう。
→【授業プレゼンテーション方法が悪いという根本要因】
2.授業を聞かなくても問題無いと判断している。成績に影響しないと考えて寝てしまう。
→【成績評価の認識が、教師と生徒の間でズレているという根本要因】
3.単純に、疲れている・体調が悪いなどの理由により、寝てしまう。
→【今回は対象外のケースとする】
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「最初の1.の問題については、私の授業のやり方がダメってことだね。私ばかりが延々と喋り続ける授業内容だったから、そりゃ眠くなるって事を言われたの」
「なるほど。そういえば早乙女君が転校してくる前と今で、小鳥先生の授業内容って変わってますよね」
「うん。実は1.については【アイスブレイク方式】なんかを提案してもらったんだ」
「なんですかそれ?」
「簡単に言うとグループワーキングみたいなものだね。本来は緊張を解す為に使われるものらしいんだけど、それを眠気を覚ますのに利用しようと思いついたみたいなの。机をくっつけて共同で課題をしてもらったりして、生徒同士で喋る機会を設けたんだ。他には私から生徒に質問をする時に、周りの人と相談しても構いませんよって感じに誘導するようにもしたの」
納得して「なるほど」という顔になる。
「授業を楽しくすれば、自然と自主的に参加するようになりますもんね」
「そうなの。そうやって楽しんで授業に参加してくれる人が増えていったんだ」
早乙女君はほんとに何でも知ってるなと思った。そして知識を応用する力が私とは段違いだ。
「次に2.なんだけど、これがねぇ」
私がとても気になっていた箇所だ。これは生徒の心的要因に関する部分だと思っていた為、解決するのはとても難しいと思ったからだ。
「これって解決するの無理じゃないですか?本人の考え方の問題ですし」
「私もそう思ってたんだけど、早乙女君はとっても変わった方法で解決しちゃったんだ」
私は心の中で(えっ)と声を上げる。
「参加しなくてもいいと思ってるなら、参加しなければいけない状況にすればいいって言い出したの。」
小鳥先生が笑ってそう言った。それにしても早乙女君らしい発言だ。私には、具体的な解決手法が全く思いつかなかったので、催促するように小鳥先生の顔を見る事になった。
「あぁ、ごめんね。こんなんじゃ分かんないよね。その時、早乙女君から【評価の見える化】を実施してくださいって言われたの。」
「【評価の見える化】ですか……?」
「ほんと難しい言葉ばっかり使うよね。もうちょっと分かりやすく言ってほしいって思ったよ。長谷川さんは平常点って分かるよね?」
それはよく知っている単語だった。だが詳しくはよく分からなかった。
「テスト以外の評価点ってことぐらいしか」
「うん、合ってるよ。つまり、普段の授業態度を点数化したものなんだけどね。それをどのくらいの割合で評価しているのか、どんな基準で評価しているのか、生徒達に公表してくださいって言われたの」
私はその説明でやっと納得することができた。
「つまりは寝てる人は点数下げちゃいますよ、って事を遠まわしに宣言したんですね」
「そういうこと! 6割がテストの評価点で、4割が授業態度の評価点ってことを公表した後に、平常点の採点基準を公表したんだ。そしたらその日以来パッタリと寝る人がいなくなっちゃって。ほんと笑っちゃった」
小鳥先生が口に手を当てて笑い出した。確かにこんなささいなことをするだけで状況が変わってしまうのだから、笑いが出て仕方がないだろう。そして新学期早々の授業で小鳥先生が採点基準を公表しているのを思い出し、そういう意図があったのかと関心していた。
「確かに4割も下がっちゃうかもってなったら、寝る人なんかいなくなりますね。後はそれに合わせて、1.の対策をすることで効果を上げたんですね」
「うん。なんだっけな。外的要因?と、内的要因?だっけかな。その二つの問題点に直接アプローチするんだー、とかそんな事を言ってた気がする。小難しすぎてよく分かんなかったけどね」
先生なんだから、それくらいはちゃんと理解してほしいなと思ってしまった。まぁ、小鳥先生はそういうのが許されちゃうキャラなので、苛立ちを感じたりはしなかった。
「3.については何もしなかったんですか?」
「うん、これは私の注意力とか観察力を上げるくらいしか無いっていう理由で、何もしなかったね」
全ての説明が終わり、小鳥先生がノートをパタンと閉じた。そして椅子の背もたれに体重をあずけ、天井を見上げて言葉を出した。
「私さー、長谷川さんがちょっと羨ましいんだ」
「羨ましい、ですか?」
「うん。もし私が学生の時に早乙女君に出会ってたら、きっと恋してたなーって思って」
そうすると先生を視線を天井へと向ける。自分の学生生活を思い出すかのように、目を細めた。
職員室を後にした私は、来た道を戻って一人で教室へと向かっていた。
「美術部、入ってみようかな」
その声に気付いて気を配ると、二人の女子が話をしていた。渡り廊下に飾られた絵画を見て、美術部に入ってみたいなと思ったようだ。それをきっかけにふと、小鳥先生が美術部の顧問であった事を思い出した。一年生の時に美術部の部員数が少なくて困っていると言っていた事があったからだ。
(もしかしてこれも【見える化】なのかな?)
活動内容を【見える化】して生徒達の目に触れるようにしたのだろう。それをきっかけにして、美術部に興味を持ってもらえるようにする。何をしているのか分かりにくい、文系クラブの問題をしっかりと解決するものだった。
さっき通ったときには感じなかったが、絵画と陶器の飾られた渡り廊下が意思を発しているように思えた。きっと、小鳥先生が作り上げた世界なのだろう。
そしてその世界の背景に、早乙女君を感じることができた。小鳥先生の中の早乙女君が、先生の全てを変えてしまったのがひしひしと伝わってくる。光が差し込んだその世界は、先生の意思が反映されたかのように美しく輝く。
私は、見せ付けられたような気分になった。
頭の中をグルグルと思考が飛び交う。
小鳥先生は早乙女君の知識をしっかりと吸収していた。
それに対して私はどうだろう?
早乙女君に教えてもらったことを、ちゃんと学べているのだろうか?
早乙女君の役に立てているのだろうか?
早乙女君は私のことをどう思っているのだろうか?
そんな事を考えていると、気付いたら教室に着いてしまっていた。中を見ると早乙女君がポツンと一人で座っているのが見える。他の生徒は既に帰宅しているか、クラブ活動へと向かったようだ。
頭を左手で支えたような格好になり、目を瞑ってちょっとウトウトしている。
私は起こしてしまわないように自席に移動しようと考えた。教室に足を踏み入れると、静かに歩き出す。すると、直ぐに早乙女君の目が開いてしまった。
「長谷川さん、おかえり」
「あ、ただいま」
中途半端に静止した格好で、早乙女君と目が合うことになってしまった。
「ちょっと疲れてるから、今日は帰ろうと思う」
「そっか、なら一緒に帰ろ」
抱えた案件も無く他の予定も無かったので、一緒に帰宅しようという事になった。
身支度を終えて教室を出た私達は、下駄箱を抜けて建物の外に出た。その瞬間、暖かい陽気が私達を包み込む。考えすぎてパンクしてしまっていた頭が、スッキリするのを感じた。早乙女君も少しだけ眠気が冴えたようだ。
目の前のグラウンドで、激しく動き回りクラブ活動に勤しむ生徒達が見えた。それを尻目に、歩き出した早乙女君に着いて行くような形で一緒に歩く。
「いつもお疲れ様です、お先に失礼します」そんな気分だ。
野球部の女子マネージャー2人が部員の飲み物を運んでいた。私達の方をチラッと見た後、小声で話しあうのが見える。うーん、やっぱりそういう風に見えるのかしら?と、ちょっと恥ずかしい気分になる。一方の早乙女君は全く気にしてないというより、気付いてもいない様子だ。
校門を抜けて、いつもの並木道を一緒に歩く。既に桜は散ってしまっていたが、まだ日は高く残っていたので、木々は鮮やかに写って見えた。
道路を走る車の数は少なく、シンと静まり返っていた。グラウンドから聞こえる生徒達の声が、微かに耳に届く。
私はずっと気になっていた事を口に出してみる事にした。
「早乙女君ってさ、何で私に話しかけようと思ったの?」
「えっと……ストラップを提案した時のことかな?」
「うん」
早乙女君が少し考えたような表情をした。どんな段取りで話すか考えているのだろうか。
「実は長谷川さんに話しかけるよりも少し前に、ある悩みを相談された事があったんだけどね」
私は直ぐに小鳥先生のことだと分かった。気付いていないフリをする事に決め込む。
「そうなんだ。どんな悩み事?」
「まぁ、いつもと変わらないような事だよ。その時に依頼人からあることを言われたんだ」
「あること?」
「うん。君はもっと人と関わった方がいいと思う。って」
「へぇ、そうなんだ」
「それで、もっと自分からアクションを起こすことが大事なのかなって思ったんだ。そしたら長谷川さんが横で悩んでいるような言葉を出したから、話しかけてみたんだ」
ちょっと悔しかった。早乙女君の気持ちを変える力を、小鳥先生が持っていることに嫉妬した。対する私は、いつも早乙女君の力に頼ってばかりの体たらくだ。自分の無力さを自覚する事になった。
そして、もう気付いてしまっていた。早乙女君に対する感情が、尊敬からあるものに変化している事に。だが、感情を伝える勇気なんて今の私には無い。
吹き付ける風にあおられて、木々がサーッと音を奏でる。髪の毛を直すようなフリをして、左手を顔に近づけていった。
私は彼に見えないように、そっと左の耳たぶを触った。