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その日、落ち込んだ気持ちが反映されたかのように外は雨模様となっていた。
雨が、教室の窓に当たって弾けて音を立てる。その音はスッと私の心を落ち着かせてくれる。今の私にピッタリなバックグラウンドミュージックだ。
私は国語の授業を早々に放棄して、頭の中で立てられた仮説を整理するのに夢中だった。
そしてその整理が終わった時、罪悪感と虚無感が私の中で渦を巻いた。
私は並木道で一緒に歩く幸せそうな二人を思い出していた。きっとその時満たされていた心を、再び噛み締めようとしたい一心だと思う。
<<キーンコーンカーンコーン>>
授業が終わって休み時間となった。
立てられた仮説が事実であって欲しくないという気持ちから、一瞬その場を動くことを躊躇ってしまった。
けど、あくまでも仮説。仮説なのだ。私の中で決着が付いたところで、自分の殻を突き破ることがない。確かめなければならないという義務感が湧き上がってきた。
意を決して自席を立ち、歩みだす。無意識に視線は少し下を向いていた。
そして目的地であった彼の席に辿り着いた。私は自席に座っている彼と机越しに対面するような形で向かい合い、声をかける。
「早乙女君、一つ聞きたいことがあるんだけど」
彼は無表情ながらも私の方に視線を上げ、少し間を空けて返事をしてくれた。
「何?」
休み時間が訪れて賑やかになった教室で、私達は見つめあった。
「早乙女君は気付いていなかったの?」
脈絡の無い質問を彼に投げかける。
「えっと……何に?」
とぼけているのかと思い、彼を真剣な表情で見続けたが、どうやらその言葉に嘘はなく本当に気付いていない様子だった。
その前日、私はある事を友達から聞いていた。植山君と宮村さんはタイムリー性が高かった為、学校でも話題のカップルであったが、どうやらその様子がおかしいというものだ。
気になった私は他の人からも詳しく話を聞き、裏づけを行った。するとある事実が判明した。植山君と宮村さんの交際は、一週間しか続かずに終わりを迎えていたという事だった。その理由は宮村さんが一方的に別れを告げたというものだった。
その情報を元に考えられる仮説が私にはあった。
「一から説明させてもらってもいい? 仮説ではあるんだけど。」
「うん、詳しく聞きたい。聞かせて欲しい」
彼の答えを聞き、私は早乙女君の席にミーティングテーブルを作ろうと前の席の椅子を拝借した。その椅子に腰掛け、やっと平行になった視線を彼に向ける。この前の案件の話だという事を告げた後、プレゼンテーションが始まった。
「まず疑問に思うことが二つあったの。一つ目は【宮村さんは、何故私に相談を持ちかけたのか?】というものなんだけど、これは、その後の彼女の発言を思い出して直ぐに判断する事が出来たの。宮村さんは私に相談したかったんじゃなくて【私と仲の良い、早乙女君に相談をしたかった】のだと考えたの」
早乙女君は相変わらず変化の無い顔で、私を見続けていた。
「まぁ、それは男子の客観的な判断が欲しいという事だと捉える事が出来たんだ。けど、もう一つ疑問があったの。私が植山君に告白された事実を話したときの、宮村さんの反応だったんだ」
早乙女君の視線が少し下へと移動した。恐らくその時の情景を思い出しているのだろう。
「その時もちょっとだけ疑問には思っていたんだ。けど、最近になってようやくその意図が掴めたの」
「意図?」
渇く唇に若干気をとられながらも、勇気を振り絞って尋ねる。
「最近、宮村さんに……告白されたりしなかった?」
彼の表情はどうして知っているの?という心境を表すかの如く、みるみると変化していった。
「私が植山君に告白された事があるって事、話したよね。その事実を知ったというのに、宮村さんは明らかに反応が薄かったの。本来であれば多少なりともショックを受けると思う。もしくは女の子だし、私に対して嫉妬する素振りを見せると思うの」
私は続けて早乙女君に質問する。
「どんな風に、何て言って告白されたの?」
早乙女君は少し困ったような表情を見せた。
「それは言えないよ。彼女のプライバシーに関わるし」
だが、私には確信があった。
「<<植山君と付き合ってみてちゃんとした気持ちに気付いた。私は、早乙女君の事が好きです。>>恐らくはそういう告白をされたんでしょう」
早乙女君は無言になってしまった。
「私達……利用されたんじゃないかな」
私は、その時に頭の中にあった考えを全て話した。
宮村さんの狙いは当初から、早乙女君だったのではないかというものだ。
恐らくは早乙女君の仲の良い人物が私であると知って、利用しようと画策した。恋愛事情を悩みとして持ち出せば、正当な理由で彼を紹介してもらえると考えたのだろう。
だがその時、偽装の恋愛対象として目ぼしい人物が居なかったから、隣の席の男子が好きになったと嘘をついた。よくよく考えれば、そんなに都合良く隣の男子を好きになるなんてそうない事だ。
だが、そうして早乙女君と接点を作ることに成功した。
偽装した恋愛事に関しては成功しようが失敗しようがどうでもよかった。というより、失敗を前提とした計画であったに違いないと考えていた。
何故なら失恋した少女として、早乙女君に再接近する事も出来る。傷心しているという事実も形成され、「本当に好きな人が誰か気付いた」などと言えば彼に対する告白の理由は十分になる。
しかしながら、早乙女君の計画の品質の高さは恐らく想定外だったのだと思う。
念密な調査と計画。それにより何もかも思い通りに進んでいく出来事。
彼女は仕方なく一週間の間、植山君と付き合うことにする。好きでも無い人と付き合える、最大の期間だと考えたのではないだろうか。
そして「ちょうど一週間後」植山君に別れを告げた。
「ちょうど一週間後」そこにも私の疑問があった。別れるまでの期間をキッチリと計画する、彼女の思考が読み取れるようだった。
植山君と別れた後の行動は簡単に想像できた。見た目も華やかになり、自信もあったはずだ。
恐らくは悠々と早乙女君に告白をしたのだと推測できた。
以上が、私の立てた仮説だ。
「どう思う……?」
私は恐る恐る、彼に質問した。
「あくまでも仮説だね」
彼はちょっと早口に言葉を発した。
それを聞き、私はちょっと萎縮してしまった。なんだかムキになったような言葉遣いと口調だったからだ。その表現の悪さに彼自身を気付いたようで、言葉を改めるようにしてこう言葉を出した。
「いや……ごめん……。そうだね。もしかしたら、そうなのかもしれない。僕は人の心的要因を捉える事が苦手なんだ。だから、宮村さんの本心を捉える事ができていなかったのかもしれない」
いつも無表情の彼が心底反省したような表情を見せた。
私はフォローするように発言する。
「けど早乙女君が言った通り、あくまでも仮説だよ。宮村さんの考えは宮村さんにしか分からない」
「そうだね。だけどその仮説が正しいとすれば、植山君には悪いことをしてしまったと思う」
それについては私も同じ意見だった。
仮にもし……という条件ではあったとしても私の植山君に対する罪悪感は消えず、二人の幸せを求めて奔走していた自分に虚無感を抱いていた。
会話を終えた私達の間に無言が続いた。
ミーティングに向けられていた意識は開放され、教室に響き渡る喧騒が頭の中に入ってきた。
私は少し冷静さを取り戻した後、彼に素直な気持ちをぶつける事にした。
「早乙女君、私を相棒にしてくれないかな」
「え……?」
早乙女君の頬が少し赤みがかった様に見えた。それを受けて、私は発言の意味が間違えて捉えられてしまいそうな不安定なものであった事に気付く。
「いや、依頼者の心的要因をフォローする為っていう意味だよ!」
と焦りながら言葉を繰り出す。
早乙女君は驚いたような表情をした。そして、口元を手で押さえて歯を見せないような格好になり、大笑いしながら私にこう言った。
「あはは。それって、これからも悩み相談続けていきましょうってことだよね。うん、分かった。お願いしようかな」
初めて彼の笑顔を見た。
ぎこちない仕草と少し引きつったような顔を見て、きっと笑うのに慣れていないんだろうなと考えた。
それにつられて、私も笑顔になった。
<<キーンコーンカーンコーン>>
次の授業のベルだ。私は慌てて自席に戻ろうとする。戻ろうとする私に向かって、早乙女君が声をかけた。
「まるでホームズのようだったよ。これからもよろしく、ホームズ」
ちょっと違和感があった。そして直ぐにその違和感を解消できる言葉を思いついた。
「早乙女君、私達って二人ともワトスンだよ。二人合わせて、やっとホームズになれるんだと思う」
そう伝えると、彼は目を伏せてニコリとした。