第二話「現世護手(うつしよのまもりて)」①
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第二話「現世護手」①
---3rd Eye's---
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「な、何それ? 信じられない……鳳凰が一撃で? ……なんなのよ……あの……バケモノは?」
そう言って、緑味がかったダブルお下げのセーラー服姿の女子高生、中菱翠は力尽きたように膝をつくと、そのまま倒れ突っ伏した。
彼女はいわゆる魔術師とか陰陽師とか呼ばれる存在。
怪異や妖魔の類からこの街を、人々を……影から守る「現世護手」と呼ばれるお役目をこれまで果たしてきたのだけど。
翠の担当領域内に、突如現れた尋常ならざる強大な魔力を持つ黒い幽霊のような怪異。
今回、それを打倒すべく入念な準備を重ね、50体もの式神を用意して送り込んだのだけど。
そりゃあもう完膚なきまでに返り討ちにあった。
基本的に翠達、陰陽術師は前線に出る事はせず、拠点で守りを固めた上で式神を遠隔操作して戦う……そうでもしないと、生身の人間なんて簡単に殺されてしまうから。
……日頃から翠の戦っている相手と言うのはそう言う手合であり、翠はこれまで幾多の怪異と戦い勝利してきた歴戦の勇士の一人であり、陰陽師の名門中菱家の若手ホープとして期待されていた。
けれど、このところずっと追い続けている黒い怪異については、これまで相手にしてきた妖魔や怪異の類とはもう全くの別格の相手と言わざるを得なかった。
これまでも、何度か数々の式神をぶつけて来たのだけど、尽く返り討ち。
おまけに感知能力が非常に高いらしく、偵察用の式神も呆気なく発見、撃墜される始末で、所在もその目的も良く解らなかった。
人へ直接危害を加える様子はないのだけど……。
幽霊のように実体を伴わない存在で、フラフラと彷徨いながら、各地に設置された結界や封印の類を片っ端から破壊して回り、その始末に翠も振り回されっぱなしだったのだ。
けれど……今回、超強力な対妖魔用の式神「鳳凰」……。
翠が手こずっている様子から、兄弟子の一人がそんな物を貸し与えてくれたのだった。
そこで、入念な準備を重ね、偵察用式神をいつもの10倍以上も放ち、大規模哨戒網を形成。
折よく問題の敵と同じパターンの魔力を放つ存在を発見出来た為、問答無用で鏡像空間に閉じ込めた上で、ありったけの式神を送り込むと言う、物量作戦で強襲……ここまでは問題無かったのだけど。
結果は、まともにダメージすらも与えられないまま、式神も全滅……。
おまけに、何だか良く解らない攻撃で切り札だった鳳凰までもが木っ端微塵にされてしまった。
鳳凰は、退魔銀糸の集合体で物理攻撃にも魔術攻撃にも強い耐性を持つはずだったのだけど。
ああも呆気なく倒されてしまうなんて……これでは兄弟子にも顔向けできない……。
その上、このレベルの式神が倒されると、術者にも相応の反動がある。
それは、下手をすれば術者が死んだり、魔術回路が破壊されて、術師として再起不能になるくらいの強烈なもの……。
……にも関わらず、翠は動けなくなって、身体のあちこちの激痛で悶絶する程度。
もちろん、それは常人なら軽く病院送りになるくらいのダメージなのだけど。
翠達には、この程度なら日常茶飯事であり、致命傷でなければ短時間で回復するくらいの術は心得ている。
魔術回路のダメージも、しばらく魔術を使わないで休ませれば自然回復出来る程度で済んでいた。
「あはは……私ってば、まだ生きてるんだ……。政岡先輩……私に黙って、色々保険かけといてくれた……のかな? えへへ……もしかして、愛されてるのかな……私。」
それだけ呟くと翠は呼吸をゆっくり深くし、ともすれば気を失いそうになる中、ぐっと気合を入れると、芋虫のように這いずって、魔法陣の中心へと身体を動かすと大の字になる。
この中菱家は、代々陰陽師の家系。
この屋敷自体、もう400年以上も前からこの地に代々受け継がれている文化財レベルのお屋敷だった。
土地自体も地脈と重なっており、この地下室の魔法陣はその力を集約させるようになっている。
屋敷の周囲には十重二十重の結界が張られており、地下室自体も強固な作りになっており、拠点としては最上級と言えるものだった。
魔法陣の中心にいるだけで、魔力が身体に流れ込んできて、いくばくか身体の痛みが軽減される。
「ううっ……あちこち、めっちゃ痛いけど……この分だと1-2時間程度で動けるようになるかな? けど……一週間は魔術の使用は厳禁……そんな所か……ああ、また皆に無茶やったって怒られるなぁ……」
独り言……誰も応えるものは居ないのだけど、気分転換にはなる。
家の者は、夜までは誰も戻ってこない事になっている。
翠の邪魔になると言うのもあるが……相応に危険な相手だと言うことは翠も解っており、屋敷が戦場になる可能性も考えていたのだ。
……今回、鳳凰の視界を共有することでの遠隔視で、一部始終を翠も見ていたのだけど。
今回の黒い魔物は、いつもと様子が違った……。
なにより、明らかに実体を伴っていて、動きも以前の比ではないくらい早く鋭くなっていた。
おまけに拳銃のようなものをバカスカ撃ってきて……その威力もデタラメだった。
式神達は物理防御の結界持ちで、魔術や単純な物理攻撃で簡単に倒されるほど弱くはないのだけど。
あの敵は、銃弾一発、拳の一撃に式神10体分くらいの魔力を乗せて放ってきていた……。
魔術の攻防において、属性による相性や術師の技量などの要素はあるのだけど……。
10倍もの差があると、どうにもならない……翠の式神達は文字通り紙くず同然に倒されてしまった。
しかも、そんなデタラメな攻撃を盛大に無駄玉をばら撒きながら、惜しむ様子も無く連発し……。
同時に鳳凰の全力集中攻撃を尽く無力化する超強力な防護結界まで展開していた。
鳳凰を葬った一撃については、もう儀式魔術級の魔力の塊だった……。
何もかもが桁違いの圧倒的物量!
……例えるなら、山を相手に素手で戦いを挑んだ……それくらいには単純な物量の差があった。
向こうの世界の怪物は、人を取り込むことでその能力を強大化させるケースがあると言う。
だとすれば、完全にやられた……ああなる前に仕留められなかったのは……自分の力不足と判断ミス以外何物でもなかった。
どのみち、今回の討伐作戦は大失敗。
はっきり言って、翠自身も死にかねない状況だった。
動けなくなる程度のダメージで済んだのは、兄弟子の政岡が持たせてくれたいくつもの護符と、彼が密かに施してくれた安全措置のおかげだった。
彼は、いざという時は揺り返しが自分へも振りかぶるようにしてくれていたようで、翠の受けたダメージは実質半分で済んでいた。
そこまでしていてくれたなんて、翠も全然気付いてなかった……。
要は、兄弟子の政岡の配慮のおかげで、翠も命拾いしたようなものだった……。
(ああ、政岡先輩……ありがとうございます。先輩の愛で翠は救われたんですね……愛してますわ……先輩。決めた……今回の件のお礼をちゃんと言って、そのまま勢い告白とかっ! いやん……求められちゃったら、きっと断れないっ! でも、先輩だったら全然オッケー!)
身体の痛みと敗北のショックに打ちひしがれながらも、そんな風に乙女モード全開になってる翠もなんと言うか……大したものだった。
なにより、手痛い敗北を喫したものの収穫がゼロじゃなかった……。
ほとんど、何も解らなかったあの黒い怪物の正体と言うべきものを、今回ははっきりと目視できた。
見た目自体は、黒い軍服を着た女の子のように見えたのだけど。
あの姿になった瞬間、魔力が爆発的に増大した。
……はっきり言って、その魔力は途方もないもので、翠を100人集めてもまだ足りないくらい。
もはや、神代の怪物級のバケモノ……あんなものをどうすればいいのだか。
少なくとも今の翠が一人でどうこう出来る相手ではなかった。
けど、それが解ったのは大きな進展と言えた。
……身体を張って、敵の戦力を測り、その上翠本人は死なずに生還出来たのだ……完敗だったけど、無意味じゃない……誇って良い敗北だった。
それに、敵の正体にも大きく近づけた。
なにより、その軍服姿になる前の白いセーラー服姿には見覚えがあった……。
何を隠そう、それは妹の通う中学の制服で、翠も去年まで着ていたものだった……だから、見間違えるはずもなかった。
……おそらく奴は三つ下の妹、紅葉が通う中学の誰かに成り代わっている……翠はそう判断した。
交戦現場もその中学の中庭……この時点で敵の所在をかなり絞り込むことが出来た。
こうなったら、紅葉にも偵察役になってもらうしかない。
昨日は、学校帰りに何かあったらしく何を聞いても上の空みたいな調子で……。
言ってみれば、恋する乙女……みたいな様子で、姉としては微笑ましい限りだったのだけど。
もうそんな事言ってられない……このままだと紅葉だって危ないし、自分の後輩に当たる生徒たちだって危ない!
「見てなさいよ……怪物め! 絶対に私がやっつけてやるんだからっ! 人間舐めんなっ! こんちくしょーっ!」
魔法陣の真ん中で仰向けのまま、翠は叫ぶ!
なんだか、無性に悔しくなってきて涙も出てきたのだけど……。
このまま放置しておくと次々と犠牲者が出る上に、あそこまで強大な魔力……アレに釣られて普段は眠っている怪異共が目を覚まして、引き寄せられるのは目に見えていた。
(そうなる前に、なんとかしないと……それに、この私がこのまま負けっぱなしとかあり得ないっ!)
翠は誓いを新たに、床をどんと殴ると急速に意識が遠のく……。
要するに、限界も限界だったのを根性で踏ん張ってただけだったのだ。
鳳凰が破壊された際、身に着けていた護符が一斉に弾けたせいで、よく見れば服もボロボロで半脱げ状態。
なんとも恥ずかしい格好で……せめて、これ直したいんだけどなぁ……と思いつつ、翠は完全に気を失った。