秋夜のバスの送迎者
1.
セミがジリジリと静けさを掻き消すように鳴いている。
それに対抗するかのように、最近顔を見せ始めた、コオロギ達がリンリンと鳴く。
まるで、今が夏なのか、秋なのか。それを決める勝負をしているかのようだ。
夏休みも過ぎた、9月3日。暦上では、既に秋ではあるが、それも嘘かのように思える暑さだ。
そんな中、僕は、いつものように河川敷を歩いていた。
「今日久々にタカシ君見てきたら、すっごい顔が焼けててさ!メッチャカッコよかったの!」
「ホントに!?じゃあ私も明日、見に行ってみようかな」
自転車に乗った、女子高生と思われる2人がすれ違った。
世の中は理不尽だ。『人は性格だ』の一言で、世の中は回っているものの、その本質は『ある程度顔が良くて、人想いで、優しい人』である。
それに、例えば女性は、科学的には男性のことを、初めて見てから数秒で第一印象を決め付けてしまうと言うではないか。
結局人は、見た目で判断される。見た目がダメな人間は、素質で判断され、ひたすら労働をされる奴隷のような存在となる。それでもダメなら、ゴミ箱行きだ。
今までの人生21年間、僕は全て、見た目で判断されてきた。同じ人間なのに、まるでそうじゃないかのように・・・。
河川敷前のバス停に着いた。僕はいつも、このバス停の6時23分のバスに乗る。
この時間のバスに乗るには、理由がある。
まず、このバスは、始発である。この辺は田舎町なために、夕方の中途半端な時間のバスには、誰にも乗らない。
つまり、利用者は僕だけ。僕が降りるバス停は、その次に着くバス停。誰にも気を使わず、自分の好きな席に乗ることが出来る。
僕はこの時間のバスが大好きだった。
今日も、そんなバスに乗る為に、このバス停に来た。
最初はそのはずだった。だが、今日はいつもとは違った。
「ふぅ」
その音に気がつき、隣を向くと、僕の隣には、背の小さい見知らぬ女子高生が立っていた。
身長は150cmくらいの童顔で、幼い雰囲気の彼女は、何食わぬ顔で手鏡を見ながら、自分の髪を直していた。
―くそっ、なんでこの時間に来るんだよ・・・。
最初こそ思ったものの、よくよく考えれば、さっき女子高生達とすれ違ったことを思い出した。
わざと、時間を遅らせても、よかったかもしれない。
それとも、どうせ次のバス停で降りるのだから、歩いて帰っても、7時前には着く。徒歩で帰宅しても、問題は無かったはずだ。
今この場を立ち去ってもいいのだが、それはやはり気まずい。
どうしようかと、考えている時だった。
さらに追い討ちをかけるかのように、今度はスーツ姿の若い男性が、女子高生の隣に立った。
それを見計らったかのように、そこにいつものバスが着いた。
―今日は、運が悪いな・・・。
ため息を吐き出しながら、仕方なく僕はバスに乗り出した。
座る席は、いつも同じだ。一番後ろの、右側の座席。
ここが、1番安心する。
女子高生は真ん中の左側の座席。男性は、運転席の左脇の座席に、それぞれ座った。
不釣合いな3人を乗せたバスは、ゆっくりと発車し始めた。
********************
もうすぐ、次のバス停に着く。
僕は、バスを降りたくて仕方が無かった。
一刻も早くここを出たい。その一心で、僕は頑なに窓の外をじっと見ながら時を待った。
そんな時だった。
「おい」
ふと、声が運転席のほうから聞こえて、僕は前を向いた。
そこには、普段日常ではあまり見られない光景が広がっていた。
スーツ姿の若い男が、拳銃らしき物を持って、運転手に構えていたのだ。
「え、ちょっと、アンタ何やってんの?」
すかさず女子高生が、男に向かって声をあげた。
「うるせぇ!死にたくなかったら、大人しくしてるんだな」
「アンタね!こんなことして、いいと思ってるの?バッカじゃないの?」
「うるせぇ女だな」
そう言うと、男は拳銃を、女子高生に向けた。
「うっ・・・」
さっきまで強がっていた女子高生も、さすがに拳銃を向けられると、抵抗は出来ないらしく、足をすくめて無言になってしまった。
「・・・ったく。最初からそうしていればいいもの・・・」
男は、拳銃を運転手のほうに向け直す。
「これから、俺の言うとおりにしてもらう。逆らったら、どうなるか分かるよな?」
男が、僕達を見ながら、様子を伺う。
―そんなもの、言われずとも分かってる。いちいち言わないでいただきたいな。
男の言葉に、心の中でツッコミを入れた。
「それじゃあ、まず。お前らの持っているものから、危険物になりそうなものは全て、回収させてもらう」
「はぁ?なんで持ち物まで取られなきゃいけないのよ?」
女子高生が、そこに文句をつける。
「お前はバカか?何か反抗できるものを持ってたら、俺が逆にやられるだろ。もう少し考えろよ」
「あ、なるほどね」
感心したように、女子高生が頷いた。
仕方なく僕達は、男に荷物を預け、元の席に戻った。
―今日は、いつに無く最悪な日だな・・・。
席に座るなり、僕は大きなため息を吐く。
バスの床をじっと見つめる。運転席のほうから、男が運転手に小声で何か話しているのが聞こえたが、よくは聞こえなかった。
まぁ、何処に向かえとか、その辺の話だろう。
「あーあ、面倒なことに巻き込まれちゃいましたね」
ふと、顔を上げると、さっきまで前の席に座っていた女子高生が、自分の前まできていた。
「え、あ、うん。そうだね」
「隣、いいですか?」
「え?ああ、うん」
僕に了承を得ると、彼女は「よっ」と僕の隣に座った。
本来なら、隣に座られるのは満更嫌いだが、こんな状況だ。もう、何が起こっても大して大差ない。
「お兄さん、さっきから平気な顔してるけど、怖くないの?」
早速彼女が、僕に声を掛けてくる。
「別に。特に怖いとは思わないかな」
「どうして?」
彼女は首を捻った。
「嫌なことは、大抵慣れてる。というか、慣れすぎた」
「慣れすぎた?」
「ああ、えっと・・・。まぁ、そんなとこ。ところで、そういう君は?」
深追いされそうになった僕は、慌てて話を彼女にふった。
「私も全然。むしろ、楽しくない?」
「何が?」
「こういうピンチの状況って時こそ、味わえないスリルってものがあるじゃない?普段じゃ味わえない、どちらが先手を取るかで生きるか死ぬかが決まる。みたいな?これって、人間が忘れてる、野生本能だと思うんだよね」
「野生本能?」
「ほら、例えば、ライオンとかチーターみたいな肉食動物が、シマウマみたいな草食動物を食べるでしょ?ああいう草食動物達って、常に死と隣りあわせじゃない?人間なんて、特に日本人なんかは、そんな意識はもうみんな忘れちゃってると思うのよね」
「言われてみれば」
確かに、彼女の話はその通りだ。日本という国は、平和主義国で、死という恐怖を皆、その突然に思い知らされる。それに的確に対応できずに、やむを得なく死に至ってしまう人間も、少なくは無い。
「もちろん、戦争がしたいとか、そんな物騒なことは思ってないよ?でも、そんな気持ちを人間みんな、忘れちゃいけないんだなって思ってるの」
「ふーん。深い話だね。でも、今まさにそんな状況だけど、君はそれでも死が怖くないの?」
僕は改めて、彼女に聞いた。
「さっきも言ったでしょ?私は、常に死を覚悟してる。だから、後悔が無いように、毎日それなりに努力して、生きてるつもり」
「なるほどね」
感心したように、僕は彼女を見た。
「ま、いざとなったら、私があんな男、なぎ倒してやるけどね」
「なぎ倒すって・・・」
「バカにしてるようだから言っとくけど、私、空手3段なんだからね?」
「・・・は?」
僕は思わず首を捻り、彼女を凝視した。
「あ!絶対あり得ないって今思ったでしょ!みんなそう!こんな身長150cmも無い私なんかが、空手で3段なんて取れるわけ無いって」
そう思えるのは、当然だ。低身長のくせに、何処に筋肉があるのか分からない細身の体つき。下手したら、小学生と間違われそうだ。
というか、間違われてるのかも。
「ごめんごめん、ホントにそうとは思えなくて」
「むぅ・・・体が小さくて悪いか、バカ」
そっぽを向きながら、彼女が小声で言った。
僕はその仕草に、思わず息を呑んだ。
********************
時計は7時を回った。
太陽は、もうすぐ地球の反対側へ行ってしまいそうだ。
「あーあ、お腹すいた」
隣の座席に寄りかっている彼女が、呑気に1人呟いた。
「・・・あ、そうだ。これ、食べる?」
僕は鞄の中から、唯一男に取られなかった、帰り際にコンビニで買ってきた、ツナのおにぎりを取り出した。
「わっ!おにぎり!しかもツナ!私、ツナ大好きなんだよね。ありがと!」
そう言って、おにぎりを受け取ると、早速包み紙を剥がした。
「ところで、君は家の人とか、心配してるんじゃないの?」
おにぎりを頬張っている彼女に僕は聞いた。
「あー、大丈夫大丈夫。私の親、共働きで、基本家にいないから。それに今は、2人とも海外に出張してるし、問題なし」
「共働きねぇ。何の仕事してるの?」
「ドロボウ」
「は?」
僕は思わず唖然とする。
「・・・を、捕まえる仕事」
さっきの言葉に一言付け加えると、彼女は最後の一口を、その小さい口に運んだ。
よっぽどお腹が空いていたのか。何処に入るスペースがあるのか分からないが、女子高生とは思えないスピードで、おにぎりを平らげてしまった。
「それって、つまり警察?」
「そ。しかも2人とも、警察のお偉いさんらしいから、忙しいんだよね」
「そうなんだ。大変だね」
「別に。お陰で小学生の時に家事とか料理は覚えたし。一人暮らしも問題ないし。といっても、半分1人暮らしのようなもんだけど」
僕は、ははっ、と軽く笑った。
「そういうお兄さんは、何かしてるの?」
今度はこっちの番だと言わんばかりに、彼女が聞いてきた。
「・・・普通の大学生だよ。特に、やりたいことも見つかってない。卒業したところで、きっと浪人だろうな」
「ふーん・・・」
「やり直せるものなら、人生をやり直してみたいね」
僕は、座席にゆっくりともたれた。
「何か、好きなこととか無いの?」
「好きなもの?そんなの、21年間生きてきて、考えたこと無かったな」
「え?じゃあ、好きな人とかもいないの?」
「いないね」
僕はきっぱりと言った。
「むしろ、異性のことは嫌いだったね」
「どうして?」
彼女が、僕に聞いた。
本来なら、僕はここで口を閉じたはずだった。
でも、今回は違った。
「・・・ずっと、いじめられてたから」
「いじめ・・・?」
彼女の表情が曇る。
「・・・引かないで、ほしいんだ」
彼女なら、話してもいい。そんな気がした。
僕は、今まで自分からは誰にも口にしたことのない事実を話し始めた。
「僕の母さんは、朝鮮の人でね。父さんは日本人なんだけど。まぁ、いわゆるハーフだよ。小さい頃、母さんが行方不明になってね。それきり、見つかってない。もう15年になるかな。噂では、向こうのスパイが、母さんを連れ戻したか、それとも・・・」
僕はそこで、口を閉ざした。
「・・・辛かったんだね」
彼女が言った。
「辛かったってもんじゃないよ。むしろ地獄だ。この世界で生きている事が酷。辛いの一言しかない。父さんとは仲が悪くて、数年前には『もう独り立ちできる年なんだから、1人暮らしをしろ』って言われて、家を出ていったきり、連絡が無い」
「そんな・・・」
「そんなのはまだいいさ。母さんが行方不明になってから、何処から話が伝わったのかは分からないけど、僕の周りからは段々、人が居なくなった。中学、高校。ずっとどこに行っても非国民扱いさ。大学の今でさえいじめは無いけど、それでも嫌な目では見られる。お陰で、僕はずっと独りってわけさ」
話終わった僕は、左目が少し霞んだことに気づいた。
「・・・大丈夫?」
話し終わった僕に、彼女が言った。
「・・・ごめん。人にちゃんと話した事が無かったから。でもお陰で、少しは楽になれた」
僕は、見難くなった左目を手でこすった。
「君は、僕の事をなんとも思わないのかい?」
恐る恐る、僕は彼女に聞いた。
すると、何故か彼女は、にっこりと笑顔を見せた。
「全然?むしろ、私はお兄さんみたいな人、好きだな」
―・・・好き、か。
人生で生まれて初めて、その言葉を言われた。
「・・・そっか」
僕は、軽く鼻で笑った。
それきり、僕達2人の会話は、まるで糸が切れたかのように、プツンと切れてしまった。
********************
バスジャックをされて、もうすぐ1時間くらいだろうか。
車内には、バスが出すエンジン音だけが響いていた。
「・・・よし、止めろ」
男が運転手に指示を出して、バスを止めさせた。
僕は窓の外を見ると、そこには雑木林が広がっているだけだった。恐らく、山の中に入ったのだろう。
「よし、お前ら。手を挙げて外にでろ。運転手のお前は、ここで待機。いいな?」
運転手の男性は、手を挙げながら、小さく頷いた。
「行け」
男は、銃をこちらに向けながら、外に出ろと指示を出す。
僕達は、両手を上に挙げながら、バスの外に出た。
「どうする?」
僕は小声で、彼女に言った。
「行こう。でも、下手な行動はしちゃだめだよ?」
「・・・うん」
僕は、小さく頷いた。
「いいな?妙な動きをしたら撃つ。分かってるな?よし。じゃあそこの男。先頭を行け」
バスを降りてきた男が後方に、銃を持ちながらついた。
しぶしぶ僕は、男に言われながら、先頭に立ち、歩き始めた。
数分歩いただろうか?一向に林の風景が変わろうとしない。
一体何処に向かわされているのだろう?僕たち2人は、監禁でもされるのだろうか?
でも・・・それはそれで、いいかもしれない。
このつまらない世界から、一時的に抜け出せる。無駄な辛い思いをしなくて済むんだ。
それに・・・彼女のことを、もっと知ってみたい。
異性に対して初めて、こんな感情を持った。
これが・・・もしかしたら・・・。
「斉藤 優輝だな?」
急に自分の名を呼ばれて、現実に引き戻された。
「え?あ・・・はい」
目の前に、警察の制服を着た男5、6人。僕を取り囲んでいるようだった。
そして気がつくと、僕の後ろには、誰も居なくなっていた。
「我々が誰だか、分かるよな?」
その中の一人が、警察手帳を僕に突きつけてきた。
「一ヶ月前の、朝鮮人女性銃撃事件の当事者として、お前に逮捕状が出ている。一緒に、署まで来てもらいたい」
「・・・分かりました」
僕は抵抗せず、深く頷いた。
すると、両脇にいた男2人が、僕の両腕を掴んだ。
―そんなに強く抑えなくても、抵抗する気はないのに。
後ろに止めてあった2台のパトカーの、後ろの車に、僕は乗らされた。
ゆっくりと、僕は後頭座席に座る。
ふと、ほんのついさっきまで一緒に居た、女子高生の顔が見たくなって、窓の外を見た。
でも、その顔はどこにもなく、ただ木々が見えただけだった。
これで、分かった。あのバスジャックの本当の意味を。
改めて考えてみたら、バスジャックにしては不自然すぎる。
荷物を全部取らなかったり、運転手をバスに待機させたり・・・。
あれは、バスジャックなんかじゃない。男の作戦だった。
するとあの女子高生は、この作戦の協力者だったのだろうか?それとも、本当にただの通りすがりの女子高生だったのだろうか?
・・・いいや。もう、そんなことはどうだっていい。それより・・・。
「・・・やっと、楽になれたよ。母さん」
エンジンの音が響き始めたパトカーが、林の中を走り始めた。
―あれ、今あの子が見えたような気がするけど・・・。
ま、いっか・・・。
2.
――行っちゃった。
木の後ろに隠れていた彼女は、走り去っていくパトカーを、見えなくなるまで見送った。
「さて、この事件も見事、天才探偵 優希様のお陰で、無事解決だな」
後ろから、聞きなれた男の声が聞こえた。
「もう、お兄ちゃん!」
モデルガンを人差し指でクルクルと回しながら、近づいてきた。
「ったく、相変らずだな。事件を解決してもいつもそうだ」
「そういうお兄ちゃんも、初めてのジャンルにしてはいい演技だったんじゃない?さすが、元演劇部の部長さんね」
「ふん」
兄は、中学、高校と、全国的に有名な学校の、演劇部の部長を務めていた実績がある。演技の腕も、褒めたくはないが、なかなかのものだ。
そして今は・・・。
「学生のお前に解決を助けられてるんじゃ、探偵の名が廃るよ」
モデルガンを、専用のケースに入れながら、兄が言った。
兄はこう見えて、探偵をしながら、両親や県警と協力し合っている。
もっとも、作戦とかその他諸々を考えるのは、いつも関係無い私のほうだ。
「それは褒めてるの?」
「半分半分。さ、そろそろバスに戻ろう。木野さんが待ってる」
「・・・うん」
彼女達は、2人並んで、林の中を歩き始めた。
「にしても、今回は大胆な作戦だったよな。普段のバスのバスジャックを装って、警察のところに送る、か」
「あのお兄さんは、毎日あの時間の始発に、いつも乗ってたから。いけるかなって思って」
実は作戦決行前、彼について、色々調べていた。
「でも、何で到着場所が林の中だったんだ?あんな場所、逃げられちまえば、下手したら見失っちまうし。確かに、市警からは1番近いルートだけど」
「もう、逆に考えてよ。ここら辺は田舎。市街地だったら、街外れとかに送ることも可能だけど、この辺り、周りは山だし。だったら、バスジャックを装って、山の奥に連れて込まれた挙句に、警察に囲まれてみて?逃げる気力も出ないわよ。彼の性格も兼ねて、これでいいかなって思ったの」
「なるほど。要するに、心理を使った作戦ってことだな」
「・・・まぁ、こんなことしなくても、あの人は大丈夫だったけど」
「ん?」
彼女は、ゆっくりと視線を地面を向けた。
「ところでお前、今日はあの男に、感情移入しすぎだったんじゃないか?」
「う・・・」
文句も言えない。その通りだからだ。
今日はいつも以上に、彼に感情移入をしてしまった。
なんでだろ。
「・・・ま、いい」
返事の無い彼女を見た兄は、諦めたように話を終わらせた。
********************
「木野さん」
バスの近くに来たところで、バスの外で煙草を吸っていた運転手の木野が、こちらに手を上げた。
「今日は、ご協力ありがとうございました。おかげで、犯人逮捕ができました」
兄が頭を下げるのに続けて、彼女も頭を下げる。
「いやいや、力になれたのならよかったよ。それに、バスジャックの予行練習みたいな感じで、こちらもタメになったしね」
木野が笑いながら、ペコリと頭を下げた。
「では、また後日、ご連絡いたしますので、今日はこれで」
木野に別れを告げて、2人は歩き始めた。
バスで移動してきた為、帰りは兄の事務所まで歩きだ。あのバスは向かう方向が違うため、途中まで乗車、なんてことはできなかった。
「ところで優希」
呑気にガムを噛みながら、兄が話しかけてきた。
「ん、何?」
「今回の事件、お前はどう見てる?」
「え、うん・・・。最初は、家族内で揉め事か何かかなって思ってたんだけど・・・」
「だけど?」
「お兄ちゃんも聞いてたでしょ?あのお兄さんのお母さんが、15年前から行方不明だったって」
「ああ・・・」
「あんなの、資料には書いてなかった。だから、あのお兄さんの、本当に真意が分からなかった。でも、今は違う」
彼女は、生唾を飲み込んだ。
「・・・あのお兄さんは、自分の意思では殺してないんだと思う」
「どうして、そう思う?」
「あのお兄さんは、色々辛い過去を経験してる。辛い経験をした人は、大きく2つに分類される。前者は、その辛さをバネにして、強くなれる人。後者は・・・」
「憎しみに囚われて、復讐心に惑わされる人」
彼女の言葉を、兄が繋げた。
「そう。少なくとも、あのお兄さんは、復讐心は持っていない気がするの」
「そうか?」
「・・・あんな人が、自らの意思で人を殺めるなんて、私には到底思えないよ・・・」
「人は、見た目では判断できないぞ?」
「でも!私は絶対無いと思ってる!何か、絶対裏がある」
兄に訴えかけるように、彼女は彼に対する想いを告げた。
「・・・ったく、お前がそこまで言うなら、仕方ねぇな」
フッと笑った兄が、ニヤリと笑った。
「明日、警察に逮捕人の荷物を届けに行くついでに、話に行ってみるよ」
「本当!?」
「ああ。何かあったら、伝えるよ」
「・・・ありがとう、お兄ちゃん」
「やめろよ、きもちわりぃ」
「んもう・・・」
そんな偶に優しい兄が、彼女は大好きだ。
「さーてと。歩くのも面倒だし、どっかでバス停探して、バスで帰るとしますか。どうせ、事務所には誰もいないしな」
兄がスタスタと、先を歩いていってしまった。
その後姿を見た彼女は、ゆっくりと空を見上げた。
「・・・お兄さん。そうだよね?」
女性らしい小声で、彼女は兄に気づかれないように呟いた。
綺麗な黒に染まる空に輝く星々に向かって、いつかの再開を願い・・・。