九話 毒饅頭とイカサマ貴族
この国の住民は、上は王族から下は平民に至るまでとにかくギャンブル好きが多く、それに関係する逸話も多い。
例えば、今ほど王家の力が強くなかった二百年前。
当時この国では内乱が絶えず、大規模な戦闘が何度もあった。
大規模な戦闘があるというのは別の言い方をすれば一箇所にたくさんの人間が集まるということ。
そんな状況をこの国の住民達が見逃すはずがない。
当然のように即席の賭場がいくつもたった。
夜ともなれば、両陣営の中間地点にひときわ大きな賭場が立ち、そこで敵味方の兵が一緒になってギャンブルに熱狂するのだ。
当然、中には熱くなりすぎて一文無しになったり、挙句の果てには武器まで賭けて、戦場で丸腰になる者までいた。
ヨネ家の家祖などは、武具はおろか服まで賭けてしまい文字通りの裸一貫となるが、それでもさらにギャンブルを続けようと同僚達に借金を申し込んだらしい。
「手柄を立てたら恩賞で返す」と言う彼を同僚達は「武器もないのにどうやって手柄を立てるのだ」と笑ったが、彼は後の戦闘で『真裸の死神』と恐れられるほどの手柄を立てて男爵に叙爵されることとなる。
そしてしばらくの間、近隣諸国では子どもを叱るときに「悪い子のところにはヨネ男爵が来るよ」なんて言われていたのだ。
妖怪変化と同列の扱いである。
私個人としても全裸の中年男が来るのは勘弁して欲しいが、自分の祖先でもあるだけにすごく複雑な気分だ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その日も、もう昼過ぎだというのにゴドーは寝ていた。
昨日も夜通し……というよりついさっきまでどんちゃん騒ぎをしていたせいである。
彼はイカサマ賭博で稼いだ金で毎夜毎夜遊び呆けていた。
イカサマだとばれないよう、時にはわざと負けたりもしていたが、それでも遊び呆けるのに十分な程度は残る。
それに、もしお金を使いきってもすぐに稼げるだろうと、彼は軽く考えていた。
この『イス』の街は小さな都市国家にも関わらず背徳の都とも呼ばれるほどにあらゆる娯楽が揃っている。
おかげで、彼の鴨である観光客が途切れることはないからだ。
しばらくすると、そんな気持よく眠る彼のもとに宿屋の女中がやってきた。
「ゴドー男爵様。お客様がお見えです」
ゴドーは女中の声で目を覚ました。
寝不足なのに眠りを妨げられて凄く不機嫌そうである。
「誰だ、こんな時間に訪ねて来る非常識な奴は……」
「オーギュスタンと名乗っていましたが」
「オーギュスタンだと? そんな知り合いはいないぞ。出直してもらえ」
その時、突然廊下から笑い声が聞こえてきた。
「はっはっは。あなたがゴドー男爵様ですね? お会いできて光栄です」
ゴドー男爵と言えば、近隣諸国にその名が知られるほどの有名人だ。
幼い頃から文武二道の達者、さらに人柄も高潔で、天才少年として知られている。
六歳の頃に上級騎士との模擬戦で勝利したのは最早伝説だ。
「何なんだお前は。人の部屋に勝手に入って来やがって。返答次第では頭と胴が永久に別居することになるぞ」
「おお怖い。私は旅をしているオーギュスタンと申す者です。かの高名な男爵様がここにご宿泊していると聞いて、居ても立ってもいられずにこうして参上した次第です」
ゴドーはオーギュスタンの勝手な言い分に、とりあえず殴ってやろうと思ったが、すぐに自制した。
寝起きで鈍っていた頭が段々と覚醒してきて、オーギュスタンが只者ではないことがわかったからだ。
「こうして話もしたんだ。もう十分だろう。俺は寝起きで機嫌が悪い。さっさと帰れ」
「まあ、そう仰らずに私の話を聞いてください」
オーギュスタンはそう言うとゴドーの返事も待たずに一方的にしゃべり続けた。
「こう見えて私は大のギャンブル好きでしてな。聞く所によると男爵様はギャンブルも相当にお強いとか。是非私達と一戦お願いできないかと思いまして。かの男爵様とギャンブル勝負をしたとなれば、これ以上ない自慢話になりますゆえ」
オーギュスタンの態度にイラッときたゴドーは、ギャンブルでむしりとってやることに決めた。
「わかった。そういう話なら受けてやろう。場所はここの一階の酒場。時間は午後八時からでどうだ?」
「ありがとうございます。この話を聞いた旅の仲間が羨ましがるのが目に浮かぶようです。して、勝負方法は?」
「公平にその時にクジで決めようではないか」
「承知しました。では午後八時を楽しみにしております」
オーギュスタンは言いたいことを言うとさっさと部屋を出て行った。
呆然としていた女中も我に返る。
「ゴドー男爵様。お昼ごはんはどういたしますか?」
「もう一眠りするから昼飯はいらん。それよりも、聞いての通り午後八時から勝負をすることになった。酒場の個室の予約と立会人の申請を頼む」
「承知しました」
この『イス』で立会人といえばイス国王直属の立会人のことだ。
ゴドーは自分が負けるなんて露ほども思っていない。
彼が恐れるのは負けを踏み倒されることだけ。
それを未然に防ぐために立会人を申請するのだ。
立会人がいるのに負けを踏み倒すということは『イス』を敵に回すということ。
今ではそんな無謀なことをする者はいない。
都市国家だと舐めてかかって、負けを踏み倒そうと国外に逃げた者達がどうなったかをみんな知っているからだ。
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「子連れとは随分と余裕だな」
オーギュスタンは子どもを連れてきていた。
もちろんシルヴェーヌだ。
「まあいい。勝負は個室で行う。ついてこい」
個室には既に五名ほどの立会人が待機していた。
「彼らは立会人だ。お互い勝負はフェアに行いたいだろう?」
「確かにその通りですな」
「さて、勝負方法だが……。テーブルの上に伏せられたカードの中から一枚選んでくれ。そこに勝負方法が書かれている」
シルヴェーヌがカードをめくるとそこには毒饅頭と書かれていた。
「毒饅頭か」
女中が銀色のドーム状の蓋をされた皿と小さな瓶を運んできた。
あの蓋はクロッシュと呼ばれるものだ。
「ルールを説明する。皿の上にある饅頭を交互に食べていく。ただ、饅頭の中には一つだけ毒が入っている。体中に激痛が走って痙攣するタイプのヤバイ毒だ。一時間も放置すれば確実に死ぬ。更にこいつは特製の毒なので回復魔法なんかでは治せない。ただし、安心してくれ。この瓶に入った解毒剤をすぐに飲めば死ぬことはない」
「随分と怖い毒なのね」
ゴドーはシルヴェーヌを馬鹿にするように口元を歪ませた。
子どもらしい感想だと内心で馬鹿にしたのだろう。
「一度に食べる数は一個から三個まで。解毒剤を飲んだ方の負けだ」
「二つ質問があるけどいい?」
「何でも聞いてくれ。ルールの確認は大事だからな」
「私はそんなに何個もお饅頭を食べることは出来ないと思うの」
「大丈夫だ。饅頭一個一個の大きさは凄く小さいから、子どもでも二十や三十は簡単に食べられるはずだ……って、お嬢ちゃんが勝負するつもりなのか?」
「ええ、そのつもりだけど?」
ゴドーが驚いてオーギュスタンを見ると、オーギュスタンは無言で頷いた。
「おいおい。子どものお小遣いでやるような勝負なら俺は降りるぞ」
「その点に関してはご安心ください。十分な資金を持ってきてますので」
オーギュスタンがそう言いながら見せたのは、ゴドーが今まで見たこともないような大金だった。
「私の手持ちは一千万シルよ。掛け金をいくらにするかはそちらにお任せします」
「百万シルで一発勝負でどうだ?」
根こそぎ奪って、後でしつこく狙われてもかなわない。
この辺が限度額だろうとゴドーは判断した。
「それでいいですよ」
百万シルは十分過ぎるほどに大金だ。
そんな大金が自分のものになったも同然のこの状況。
ゴドーはニヤつくのをこらえるのに必死だった。
「二つ目の質問だけど、怖くなったりして途中でお饅頭を食べられなくなることもあるかもしれないけどそういう場合はどうなるの?」
「一分以内に饅頭を食べない場合も負けだ。もちろん相手が食べるのを妨害するのは禁止だぞ。『妨害』と立会人に判断されるような行為をした場合は、立会人に処刑されることを忘れるな」
ゴドーはちらりとオーギュスタンを見た。
「確認するけど、解毒剤を飲んだ時か、一分以内に饅頭を食べない時が負けなのね?」
「ああ」
「私は丁度お饅頭を一つ持っているけど、これを食べて自分の番をやり過ごすというのは駄目なのよね?」
「もちろんだ。今、この皿に乗っている饅頭以外は認めない」
「わかったわ」
「それじゃ勝負開始だ」
ゴドーがクロッシュを取ろうとしたその時。
「ちょっと待って」
シルヴェーヌは皿をクロッシュごと持ち上げると、激しく振った。
「そんなことは無いとは思うけど、万が一あなたが毒饅頭の位置を知っていたりしたら困るから饅頭の位置を変えさせてもらったわ。問題ないわよね?」
「ああ、もちろんだ」
ゴドーは平静を装っていたが内心非常に驚いていた。
こんな小さな子どもに見抜かれたからだ。
だが、ゴドーには策がまだあった。
例えば、ここの料理人はすでに買収済みで、毒饅頭には彼にだけわかるような小さな印がつけてあるのだ。
「改めて勝負開始だ」
ゴドーがクロッシュを取る。
饅頭は三十六個あった。
「先攻はどちらにする?」
「私は後攻がいいわ。だって先行だと食べる回数が増えて毒饅頭を引きやすくなる気がするんですもの」
「じゃ、俺から食べるぞ」
ゴドーは三個食べた。
「そんなに食べるなんて随分と勇気があるんですね。次は私の番ね。私は一個だけにしておきます」