七話 悪徳侯爵と蛮族と最強 (上)
この国では平民も二種類に分けることができる。
自由民と領民だ。
自由民はその名の通り自由に国内の移動や結婚ができ、財産を完全に私有できる。
それと比べて領民は、領主の私有財産という扱いだ。
財産を持つことは一応できるが領主はそれを没収できる。
命でさえも領主の気分次第で奪われるのだ。
移動はもちろん結婚にまで領主の許可が必要で、生殺与奪の権利を完全に領主に掌握されている。
ただ、領民には一生に一度だけではあるが領主に猶予宣言をすることで五年という期間限定で準自由民の扱いを受ける権利がある。
もしその期間内にお金を貯めて自分を買い戻すことができれば、晴れて自由民になることができるのだ。
ちなみに、貴族の子どもは自由民に、自由民の子どもは出生地の領民となるのが原則だ。
もちろん、世襲貴族の場合は子を一代貴族に叙爵することが多いし、そこそこ金のある自由民なら領主に金を払って子を自由民にするのだが。
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私は悩んでいた。
次の獣士はゴーギャン侯爵のせいで酷い目にあうのだが、ゴーギャン侯爵はうちの派閥の中でも有数の大貴族なのだ。
今までのように派手に相手を潰す訳にはいかない。
しかし、ゴーギャン侯爵に配慮したことが原因で、後々獣士が原作聖女に寝返ったりしたら非常に困る。
「どうした、シルヴェーヌ? 何か悩みでもあるのか?」
お父様は意外と家族の感情の動きに敏感だ。
今回も私が悩んでいるのを察してくれた。
「実は、ゴーギャン侯爵が領民に酷いことをやっているらしいのです」
「ふむ。ゴーギャン侯爵か……。うちの派閥でも指折りの有力貴族だな」
「はい。それで悩んでおりました」
「確かに、ゴーギャン侯爵と事を構えるのは少し厄介だ。できれば敵に回したくないというのが本音だ」
お父様はそこで一旦言葉を区切ると、微笑みかけながらこう言ってくれた。
「だが悩む必要はない。お前は自分の信じる道を進めばいい」
「しかし、それではお父様にご迷惑が……」
「古来より『真の聖女と獣士は引かれ合うのが宿命。何者にも邪魔は出来ない』と言われている。手に入れたい者がいるのであろう? ならば悩む必要はない」
真の聖女という部分に不吉なものを感じずにはいられなかったが、それでもお父様の心遣いは純粋に嬉しかった。
「それに父上ならこう言うだろう。『バレなければいいのだ』とな」
お父様は不敵にニヤリと笑った。
こういうたまに見せる黒いところに、やっぱりお祖父様の息子で悪役聖女の父親なんだと実感させられる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「侯爵様! 話が違います! 侯爵様は確かに四年前、私達家族の猶予宣言を受け入れてくれたはず」
「ワシはそんなことを聞いた覚えはないぞ」
足元で領民が喚いているが、しらばっくれることにした。
この領民の妻を見ていたらムラムラしてきたからだ。
たまにはこういう下賤の女を抱くのも悪くない。
「私達家族の猶予宣言を侯爵様が受け入れたという証書もここにあります」
ワシが小さく顎をしゃくると、警備兵達がその証書を奪い取って破り捨てた。
「どこにそんな証拠があるのだ?」
男とその妻子の顔が絶望に染まった。
しかし、ワシとて鬼ではない。
飽きたら女は男に返してやるし、領民が自由民になるために稼いだ金を九割ほど没収するだけだ。
命まで取るつもりはない。
「今回はお前の無礼な態度を特別に不問にしてやる。この金を持ってさっさと出て行け」
男が持ってきた金の一割を渡してやった。
拾ってきた金の謝礼は一割が相場だしな。
妥当だろう。
男と子どもが何やら喚いていたが、構わず警備兵たちにつまみ出させた。
さあ、邪魔者はいなくなったし、さっさとこのムラムラを解消することにしよう。
今日は天気もいいので外で楽しむのもよさそうだ。
泣いて嫌がる女を庭に無理やり引っ張りだす。
まずは全裸にしようかと思ったその時、せっかくのお楽しみの時間を邪魔するように怒号と悲鳴が聞こえてきた。
しかもそれは警備兵たちの声のようだ。
一体どういうことだ?
「ヒャッハー! 命が惜しければさっさと有り金を全部出しやがれ!」
突然現れた四人組の男達。
みなサングラスをかけていて、頭はモヒカン。
しかも上半身は裸だった。
見た目からして東方の蛮族以外にありえまい。
しかし、警備兵達は何をしておるのだ?
あの役立たず共め!
「おやおや、お貴族様は頭だけでなく耳も悪いのかぁ? もたもたせずに、さっさと金目の物を全部出さないと死んじゃうよぉ?」
たかが蛮族ごときが侯爵たるワシを馬鹿にしたような態度をとっていることに非常に腹がたった。
そのような態度を取ったバツを与えてやらねばなるまい。
せっかくこんな時のために用心棒を雇っているのだからな。
「さっさと蛮族どもを片付けろ」
しかし返事はない。
用心棒をよく見ると、器用にも立ったまま寝ていた。
どうやら庭に出る前から寝ていたようだ。
寝ながら歩くとは本当に器用な奴だ。
「おい起きろ」
軽く揺すってやると眠たそうに目を擦りながらやっと用心棒が起きた。
「さっさと蛮族どもを片付けるのだ」
この用心棒、腕だけは超一流なのだが歳のせいか寝てばかりいるので困る。
◇◆◇◆◇◆◇◆
今回の作戦はアリさん、アルさん、そしてアレさんの三人が主力だ。
三人にはアルノーさんやオーギュスタンさんと同じように何度も獣士集めを手伝って貰っていたのだけど、正直あまり印象に残ってない。
それに顔も非常にありふれた顔で、一言でいえば影の薄い人達という認識だった。
しかし、彼ら三人は工作活動が専門なので正体がバレないようにあえて普段からそういう顔に変装しているらしいのだ。
日本風に言えば、忍者だろうか。
彼らの変装術は凄いの一言としか言えない。
今の彼らはどうみても東方の蛮族にしか見えなかった。
ピンクに染めたモヒカン頭にサングラス。
さらには上半身裸で大きな蛮刀を持っている。
あの印象の薄い人たちと同一人物とはとても思えない。
私の変装には我が家に伝わる幻惑のアーメットを使うことになった。
以前お父様がアーメットを被っていた時は随分とバレバレな変装だと思ったのだが、実はあのアーメットが幻惑の魔道具だったらしい。
効果は、被った者がイメージする外見そのまままに周囲から認識されるというものだ。
理論上は膨大な魔力を持つ者ならば幻惑の効果を受けないのだがそんな人間は極めて稀らしい。
私には効果がなかったことを伝えた時にはお父様は本当に驚いていた。
ちなみに過去に元聖女候補のお母様や元聖女のお祖母様相手に使った時にも幻惑効果が発揮されたらしい。
幻惑効果は発揮されたのに、すぐにお母様やお祖母様にバレたのはお父様らしいエピソードと言えるだろう。
いくら幻惑効果とは言え、アリさん達と同じ格好に見られるのは凄く恥ずかしかった。
しかし、これも獣士獲得のためだ。
我慢しないと。
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ゴーギャン侯爵邸に馬で乗り付けた時、丁度ジャンバティストとその父親が屋敷からつまみ出されるところだった。
今なら門が開いている。
まさにベストタイミングのようだ。
「ヒャッハー!」
馬に乗ったまま文字通り警備兵を蹴散らし、邸内に突入した。
ジャンバティストの保護は後からやってくるウィリアム達に任せる。
私達は一刻も早く彼の母親を保護しなければならない。
庭にいるのはわかっている、急がなければ。
屋敷の警備兵達が大声を張り上げながら向かってくるが、一般人に毛が生えたようなレベルの相手ではアリさん達に歯が立つはずがない。
三人の圧倒的な武力が警備兵達を吹き飛ばしていった。
しばらく探して、やっと侯爵を見つけることが出来た。
女性の服に乱れはなく乱暴された様子はない。
侯爵邸の庭は無駄に広いので少し時間がかかったがどうやら間に合ったようだ。
「ヒャッハー! 命が惜しければさっさと有り金を全部出しやがれ!」
アリさんは楽しそうに叫んだ。
「おやおや、お貴族様は頭だけでなく耳も悪いのかぁ? もたもたせずに、さっさと金目の物を全部出さないと死んじゃうよぉ?」
アルさんもノリノリである。
でもアルさん、そう言うあなたもそのお貴族様ですよ、と心の中でそっとつっこんでおいた。
それにしても、やけに侯爵が落ち着いているのが気になる。
こんなモヒカン集団が自分の屋敷にやってきたら私なら絶対に慌てふためくのに。
「フォッフォッフォ。東方の蛮族を斬り殺すのは三十年ぶりかの」
どうやらこの老人が侯爵の自信の源のようだ。
私にもわかる。
この老人は相当の強者だ。
見ているだけで震えが止まらない。
だが、老人で強者……。
何かが凄く引っかかる。
この国では槍のような長い武器を使う人が多いのに、なぜか老人の得物は刀だ。
刀を主武器にする人はかなり珍しいはず。
アルさん達三人も今は巨大な蛮刀を使っているが、普段は槍を使う。
老人の刀は刀身の先端から半分までが両刃でほぼまっすぐ、残り半分が片刃で強く反っている。
それにしてもこの刀、どこかで見たことがあるような気が……。
!
!!
思い出した!
この老人は、原作終盤でワルムズ家の屋敷を襲ってアルノーさんとお母様を殺したエイドリアンだ!
原作では人類最強とまで言われていた、あのエイドリアンだ。
「ヒャッハー! この爺ボケてやがる。死に損ないが俺達相手に勝てるとでも思ってるのか~?」
アレさんが馬を降りて老人に近づく。
まずい。
一対一でワルムズ家最強のアルノーさんに勝つような化け物だ。
アレさんでは分が悪いかもしれない。
「ヒヨッコが言いよるわい」
最初に動いたのはアレさんだった。
ズズッ、ズズッと少しずつ間合いを詰めた後、一気に飛びかかった。
しかし、老人はその攻撃を巧みにさばいてく。
「ヒャッハー! 爺、なかなかやるな」
「お主も蛮族にしておくのは惜しい腕じゃ。どうじゃ、ワシの弟子にならないか?」
「そういうセリフは俺様に勝ってから言うんだな!」
アレさんは口では強がっているが若干押されているようだ。
「ほれほれ。さっきの威勢はどうした? もう終わりかの?」
「くっ」
老人が攻勢に転じると、少しずつ少しずつアレさんが押されていく。
まずい。
こんなところでアレさんを失うわけにはいかない。
正体がばれる危険はあるが魔法で支援するべきか?
最悪の場合でも、魔法を目撃することになる侯爵にも死んで貰えばなんとかなるだろう。
私は逸る気持ちを抑えながらチラッとアリさんとアルさんの方を見た。
しかし、二人は余裕綽々の表情だ。
ポーカーフェイスなのか本当に余裕なのかはわからない。
「……」
アレさんは後ろに飛び、距離をとる。
そして何かを決意したような目をした。
まるで追い詰められた忍びのようなその目に私は悪い予感が止まらなかった。