五話 ヨネ男爵の悩み
ヨネ男爵は悩んでいた。
久しぶりに王都での買い物を楽しんでいたら、突然、円卓会議から呼び出しを受けたからだ。
円卓会議に呼び出されるような心当たりなんてまるでない。
にも関わらず呼び出されたということは、知らぬ間に上級貴族同士の政争に巻き込まれたということだろう。
本来、円卓会議に出席するためには侯爵以上の爵位が必要で、それに参加できることは上級貴族の特権の一つだ。
そこで示された彼らの意志は、国王といえども簡単には無視できない。
だが、それに出席することは権利であると同時に義務でもあった。
王都を離れる場合には必ず代理を立てておかねばならないのだ。
しかも代理になれるのは、当主の親か子、又は次期当主だけという厳しい制限まである。
代理というよりは人質という方が近いのかもしれない。
――上級貴族になって、家族を人質に取られたり王都に縛られるくらいなら、今のままの方がずっといい。
――王都はたまに遊びに来るには楽しい場所だが、ずっと住み続けるとなるとヨネ男爵領の方がはるかに優れている。
ヨネ男爵は、負け惜しみなどではなく、心の底からそう思っていた。
だが、もし政争に巻き込まれたとなると、家族と面白おかしく暮らしている今の生活も終わりになるかもしれない。
自分の首と胴が離れることになる可能性さえ十分にある。
――どうすれば、できるだけ被害を受けずに切り抜けられるだろうか。
ヨネ男爵は本当に悩んでいた。
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ヨネ男爵が議場に入ると、「なぜ男爵ごときがこの場にいる」と言わんばかりの冷ややかな視線にさらされた。
上級貴族達にそんな目で見られることは当然覚悟していたが、まさかヴァスール侯爵にまでそんな目で見られているのは完全に想定外だった。
自分を呼び出したのは、派閥の主であるヴァスール侯爵に違いないと思っていたからだ。
そんな中でただ一人楽しげな笑みを浮かべている男がいた。
ワルムズ公爵……いや、数年前に息子に家督を譲ったので、前公爵か。
気弱な好青年にしか見えないその容姿とは裏腹に、とんでもない腹黒なのは非常に有名だ。
ヨネ男爵はワルムズ家に嫁いで行った腹違いの妹のことを思い出した。
父親が当主だった頃は、妹に対して随分冷たい行いというか、嫌がらせをしていたことは知っている。
一瞬その仕返しかという考えも浮かんだが、父親はすでに亡くなっているし今更過ぎる。
「さて、ヨネ男爵も来たことだし今回円卓会議を招集した用件を言おう」
ワルムズ前公爵は円卓に座っている上級貴族達を見回しながら続けた。
「先日、当家の一代貴族達が五人仲良く夜道を散歩していたところを…………闇討ちされた。卑怯にも三十人という大人数でだ。もちろん一人残らず返り討ちにしてやったがな」
――五人ということは、あの五人だろう。たった三十人で襲うとは随分と馬鹿な連中もいたものだ。
ヨネ男爵はなんとか笑いをこらえていたが、上級貴族の中には大笑いをしているものまでいた。
それほどまでにあの五人は別格だった。
確かに、ここにいるような上級貴族ともなれば、自分の軍で腕自慢の者上位三十人を集めればあの五人に対抗することは十分に可能だろう。
しかし、仮にあの五人を倒せたとしても、少なくない被害を被るのは明らかだ。
それに、ワルムズ家の強者はあの五人だけではない。
にも関わらず、自軍の腕自慢の者は大打撃を受けて半壊……そんな状況になっては報復されるのがオチだろう。
「それで、五人が襲われた場所なのだが……ヨネ男爵領、ムギ村だ」
ヨネ男爵は心臓が止まったような気がした。
ヴァスール侯爵までが、自分を酷く馬鹿にするような目で見ている。
――自分が首謀者として疑われているのか? 冗談ではないぞ。全く身に覚えがない。
「さて、ヨネ男爵。率直に問おう。この件について、卿は何か知っているか?」
「全く身に覚えがない。そのような事件があったことも今知ったところだ」
「重ねて聞くが本当に何も知らないのか?」
「天地神明に誓って、当家はその件とは無関係だ」
「ふむ、よろしい」
ヨネ男爵は、ワルムズ前公爵があっさりと納得したことに拍子抜けした。
このまま因縁を付けられて、下手をしたら取り潰されるかもしれないと思っていたからだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
――三十人もいて、唯の一人も倒せないとは。まったく使えない奴らだ。
ヴァスール侯爵は誰とも知らぬ襲撃者達に内心毒づいていた。
敵対派閥の主であるワルムズ公爵家が傷つけば、それだけ自分の派閥が有利になる。
しかし、襲撃者達はかすり傷ひとつ負わせることが出来なかったようだ。
「実は卑怯者共は、愚かにも当家に宣戦布告までしてきた」
ワルムズ前公爵は言葉を一旦区切り、ヴァスール侯爵を睨みつけてきた。
「そんな愚かで卑怯者のヴァスール侯爵家は近日中に滅びるであろう」
ワルムズ前公爵の発言に議場は衝撃を受けた。
ヴァスール侯爵に視線が集中する。
「ちょっと待て。宣戦布告などした覚えはないぞ」
完全に他人事だと思っていたのに、急に自分に矛先が向いてきたことにヴァスール侯爵は驚いていた。
「闇討ちしただけでは飽きたらず、今更しらばっくれるつもりか。この、卑怯者め!」
「知らぬものは知らぬ! それに、闇討ちを命じた覚えもない」
「しらばっくれても無駄だ。証拠もここにある」
ワルムズ前公爵は魔道具を懐から取り出した。
『それはヴァスール侯爵家の我々に対する宣戦布告と受け取って良いのだな?』
『しつこいぞ。それ以外にどうとれるのだ?』
その再生された内容を聞いて、ヴァスール侯爵は呼吸することを忘れるほどに驚いた。
その声の主は間違いなく、自分の次男だったからだ。
「これはワルムズ公爵家の陰謀だ! 当家は無実だ!」
「この期に及んでまだしらを切るつもりか! そこまで言うなら、襲われたうちの一代貴族達と宣戦布告を受けた我が息子を、真偽魔法の儀にかけるとしよう」
真偽魔法の儀とは、神官達が魔法で嘘を付いているか本当のことを言っているのか判定する儀式のことだ。
そこで嘘をついたり不正行為を行うと神の怒りに触れて絶命する。
実際過去に、儀式中に嘘をついたものや買収され結果を歪めようとした神官が絶命している。
「だが……そこまで当家を侮辱するということは、嘘をついていないと判定された時の覚悟は当然あるのだろうな?」
前回の継承戦争の時に王弟側についたせいで、ヴァスール侯爵家は王からの印象はすこぶる悪い。
真偽魔法の儀まで行って、もし本当だった場合、侯爵家が取り潰されるのは確実だ。
侯爵本人も間違いなく処刑されるだろう。
それにヴァスール侯爵は、今更ながら次男が独断で本当にやっていたかもしれないという可能性に気がついてしまった。
あの次男ならやりかねない。
一旦それを思いつくと、恐怖に青ざめ手が震えた。
逆に自分が真偽魔法の儀を受け嘘をついていないと証明できても、次男が本当に行っていたとすれば侯爵家の責任問題になるのは当然だからだ。
「ま、待ってくれ。もし、本当だったとしても、次男が独断でやったこと。当家とは関係ない」
ヴァスール侯爵本人にしてみても、その言い訳は無理がありすぎるのはわかっていた。
当主の次男で一代貴族の爵位持ち、そんな重臣がやったことを無関係だなんて言い逃れできるわけがない。
そんな言い逃れがもし通るなら、全ての交渉事は当主本人がしなければなくなる。
「私が聞きたいのはそんな言葉ではない」
真偽魔法の儀をした場合……本当だったら侯爵家は取り潰しで、嘘の可能性も低い。
事前にヨネ男爵からムギ村を襲う了解を取っていたところに、たまたまワルムズ家が通りかかって誤解から宣戦布告した……この言い逃れも無理だ。先ほどヨネ男爵がこの件には無関係だと宣言したばかりだ。
思い切って戦う……ワルムズ家単独が相手でさえ勝ち目はほぼゼロなのに、こちらに非があると見て他の貴族達が寄ってたかって介入してくるのは目に見えている。
もはや、ヴァスール侯爵に残された道は一つだった。
「私が悪かった。許してくれ」
「言葉ではなく態度で示して欲しいものだな」
「……賠償金として、金貨一万枚払おう」
「どうやらヴァスール侯爵家の辞書には、誠意という文字は載っていないようだな?」
「……くっ。金貨二万枚払う。これ以上は無理だ」
「よかろう。ワルムズ家はヴァスール侯爵家の誠意を受け入れよう。当家は別に金が欲しくてこんなことを言ったわけではないからな。十分な誠意さえ示してくれるなら何も文句はない」
――金貨二万枚もふんだくっておいてよく言うわ! この腹黒が!
ヴァスール侯爵は大声でそう叫びたかったのをなんとか我慢した。
「さて次に……。捕虜の身代金についてだ。三十人で金貨五千枚を要求する」
ワルムズ前公爵は黒い笑みを浮かべた。
「ご、五千枚だとッ?! いくらなんでも法外過ぎる!」
「ヴァスール侯爵よ。この世で一番大切なものは何だと思う?」
「?」
「それは人の命よ。優秀な家臣達が盛り立ててくれるからこそ、私達は貴族としてやっていけるのだ」
――綺麗事を言いおって! 要するにもっと金をむしり取りたいだけだろうが!
「それに……。愚かな主君に従ったせいで処刑されるなんて、あまりに可愛そうだとは思わぬか?」
確かにここで拒否すれば、ヴァスール侯爵家のせいで息子を無駄に失った家臣達の心が離れていくのは確実だった。
彼らはこの世にいなくなった次男ではなく侯爵のことを恨むだろう。
もはや選択の余地はなかった。
「わかった。身代金も払おう……」
「それはよかった。僅かばかりのお金で人の命が助かるなら、これ程嬉しいことはない。……それと言い忘れていたが、賠償金と身代金は一週間以内に現金で払ってくれ」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ところで、ヨネ男爵」
ヨネ男爵はワルムズ前公爵から急に話しかけられて、驚きのあまり気絶しそうになった。
「な、何ですかな?」
なんとか取り繕って返事をしたが、動揺を隠すことは出来なかった。
「ムギ村のことなのだが……」
――ああ、私も、あそこで死んだ目をしている哀れな侯爵と同じように、むしり取られるのだろうか。
男爵は覚悟を決めたが、ワルムズ前公爵が次に放った言葉は意外なものだった。
「ムギ村をワルムズ家で買い取りたい。金貨一万枚でどうだ?」
ムギ村はヨネ男爵領の中で北端にあり、特に貧しく税収も低い。
年で金貨百枚弱だ。
つまり、ワルムズ家は税収百年分以上の値段で買い取ってくれるというのだ。
広いヨネ男爵領なら、金貨三千枚もあればムギ村より立地の良くて広い場所を開拓できるだろう。
領地が多少減るというデメリットはあるが、ムギ村はそれほど大きいわけでもない。
ムギ村にあるものといえば、先代聖女の生誕の地ということで法皇に建ててはもらった立派な教会くらいだ。
信仰心の薄いヨネ男爵は何の興味もない。
他にはなんの特徴もない村だ。
何らかの資源が埋まっている可能性もないわけではないが、以前行った調査では何も見つからなかった。
妹が生まれ育った村だから欲しいのだろうか?
――どう考えても断るデメリットの方が大きい。
ヨネ男爵は決断した。
「お売り致しましょう」
ヴァスール侯爵から「その金は私のだ」と言わんばかりの目で見られたが気にしないことにした。
先代からの付き合いで侯爵の派閥に属していただけで、特別に恩があるわけでもない。
むしろ、迷惑ばかり被っていた気がする。
――そういえば、侯爵の次男がムギ村で傍若無人な振る舞いをしていると苦情を受けたこともあったな。
――この際、ワルムズ公爵家の派閥に乗り換えるのもありかもしれない。
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ヨネ男爵は悩んでいた。
急に金貨一万枚という大金が転がり込んできたからだ。
金貨三千枚を開拓費用に、金貨二千枚をそれ以外の領地経営に回しても、まだ金貨五千枚も余る。
――妻や娘達にはドレスや宝石がいいだろうな。
――息子達には武具を買ってやるのがいいだろうか。
――家族皆で、豪勢な旅行にも行ってみたい。
ヨネ男爵は本当に悩んでいた。