二話
訓練を開始して一年が過ぎた。
お母様のおかげで、当時の悪役聖女とは比べ物にならないほどに神聖魔法の腕が上がった。
私個人の鍛錬はこのペースでいいとして、次に必要なのは仲間――獣士だ。
原作によれば、獣神達はこの世に自分の分身を一人ずつ送り込んでいるらしい。
それが獣士だ。
獣神の分身と言っても、獣神の意識や知識があるわけでもなく、能力も普通の人間とほとんど変わらない。
普通の人間との唯一の違いは、聖女とある程度の「絆」を得ることで覚醒し、獣神の力をその身に宿せることができるようになるということだ。
本来、覚醒する前の段階では誰が獣士かなんてわからない。
覚醒したという結果から、生まれながらの獣士だったとわかるのだ。
元々獣神の分身ではないから覚醒できないのか、それとも「絆」が足りないから覚醒していないのかなんて普通は区別できないのだ。
だが、私には原作知識がある。
誰が獣士なのか、事前にわかるのは非常に大きい。
原作で主人公に従っていた獣士達を、主人公がこちらの世界に来る前に根こそぎこちら側に引きこむことだってできるはずだ。
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そういえば、そろそろ悪役聖女が唯一連れていた獣士との出会いイベントが起きてもいいはずなんだけど……。
そんなことを考えながら夕食を食べていると、お父様がにこやかに話しかけてきた。
「シルヴェーヌ、明日はお前の奴隷を買いに行こう」
どうやら獣士回収のイベントが来たようだ。
一応確認のため、お母様に目を向けた。
「明日の朝と午前の訓練はお休みにします。家族みんなで行きましょう」
「はい。お父様、お母様、明日が楽しみです」
やっと獣士が手に入るのだ。
本当に楽しみだ。
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「ようこそおいでくださいました、ワルムズ公爵様。今日はどのような奴隷をご所望で?」
胡散臭げな奴隷商が私達を迎えた。
「今日はシルヴェーヌの奴隷を買いに来た」
「左様でございますか。我が商館の品揃えは、この国随一と自負しております。きっとお嬢様も、お気に召す奴隷が見つかると思いますよ」
「とりあえず、シルヴェーヌと年齢がそう変わらない奴隷から見せてくれ」
「かしこまりました」
奴隷商が奥から子供の奴隷をたくさん連れてきた。
「当店自慢の奴隷ばかりです。どれを選んでもきっとご満足していただけると確信しております」
賢そうな子、強そうな子、そして可愛い子……色々な子供奴隷がいた。
だけど、お目当ての子がいなかった。
私が欲しいのは、ただの奴隷ではない。
獣士になれる奴隷だ。
思い切って聞くしかないか。
「子供の奴隷はこれで全部? 他にはいないの?」
「いないことはないのですが、お嬢様にお見せできるような奴隷ではないので……」
「いいから隠さずに見せなさい」
奴隷商は困ったような顔でお父様を見た。
「構わん。シルヴェーヌに見せてやってくれ」
「かしこまりました」
奴隷商が新しく連れてきた奴隷はどれも酷い有様だった。
完全に目がうつろな子供、ブツブツと独り言を言い続ける子供、奇声を上げて叫び続ける子供、四肢が欠損している子供、顔に酷い火傷を持つ子供、咳をゴホゴホとし続け今にも死にそうな子供……。
「あの、いかがでございましょうか」
「……」
「すぐにこいつらを部屋から出しましょうか?」
私が無言でいるのは、この奴隷たちを見てショックを受けたせいだと思ったのだろう。
だけど、そうではない。
やっと私の獣士を見つけたから、感動していたのだ。
だから、私は敢えて原作の悪役聖女と同じセリフを言った。
「そこの今にも死にそうなのが欲しいわ。神聖魔法の練習台に丁度いいから」
「よ、よろしいのですか?」
奴隷商がお父様の顔を見た。
「シルヴェーヌがアレを欲しいと言っているのだ。お前は黙って売ればよい」
「わかりました。お買い上げありがとうございます。では、こちらの書類にサインをお願い致します」
お父様が奴隷商と売買契約を結ぶのを待っている間あまりに暇なので、私は今現在の自分の力を試してみたくなった。
「こっちにいらっしゃい。今日から私があなたのご主人様よ」
奴隷は辛そうにしながらこちらに歩いてきた。
かなり重い病気で、余命は三ヶ月という設定だったはず。
原作では、悪役聖女が毎日何度もヒールをかけてやっと病気を治したのだ。
だけど、今の私なら……。
「ヒール」
この程度の病気など余裕だ。
「あれ? 体の痛みが消えた? 咳も出ない?」
奴隷は不思議そうな顔をしていた。
「思ったより大したことのない病気だったわね。ヒール一回で治るなんて。練習台にもならないわ」
とりあえず、原作の悪役聖女が言いそうなセリフを言ってみた。
「そんな……。今まで何度医者にヒールをかけてもらっても治らなかったのに……」
奴隷商が呆然とこちらを見ていた。
「さすが私の娘ね。この分なら、明日からはもう少し訓練を厳しくしても大丈夫ね」
お母様が怖いことを言っている気がするが、気にしない。
「あなた名前は?」
もちろん知っているのだが敢えて聞いた。
「ウィリアムです」
「ウィリアム、私はあなたの主人であるばかりでなく命の恩人でもあるの。そんな私に生涯の忠誠を誓うのは当然よね?」
「は、はい、お嬢様」
こうして私は一人目の獣士を手に入れた。
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「シルヴェーヌ、今日からウィリアムをお前の奴隷として恥ずかしくないように鍛えてやろうと思うのだが、問題ないか?」
ウィリアムは私より二歳年上の六歳だ。
お父様に任せるのもいいが、まだ早い気もする。
それに今日買ってきたばかりだ。
一応、本人の意志を確認しておこうか。
「ウィリアムはどうしたいの? 私は、訓練は十歳になってからでもいいと思うのだけど……」
「すぐにでも鍛えて欲しいです。少しでも早くお嬢様のお役に立てるようになりたいのです」
間髪を入れずにウィリアムが答えた。
やる気は十分のようだ。
ならば私が止める必要はない。
「よく言った。それでこそシルヴェーヌが選んだ奴隷だ」
お父様は嬉しそうに笑った。
「あらあら。でしたら、シルヴェーヌの午後の訓練はお休みにしましょうか、その方がシルヴェーヌの訓練になるでしょうし」
お母様が何を言ってるのか意味はわからなかったが、午後の訓練が休みだということはわかった。
「先に言ってきますが、私は手伝いませんからね。頑張りなさいよ、シルヴェーヌ。あの人は、剣を持つと人が変わるから……」
ますます意味が不明だ。
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訓練が始まってすぐに、お母様の言っていた言葉の意味がわかった。
お父様は完全に私がいる前提で、ウィリアムの訓練をしているのだ。
最初は木剣での実戦形式の訓練だった。
お父様がかなり手加減しているのは素人の私がみてもわかる。
しかし、それでもウィリアムは三十秒と持たずに腕の骨を折られていた。
ウィリアムの動きが痛みで止まると、お父様はさらに追い打ちをかけて何本も骨を折った。
まさに鬼である。
それでウィリアムが気絶すると、私にヒールで治させるのだ。
そして傷が治るとすぐに訓練を再開する。
完全に拷問だ。
それでもウィリアムは諦めたり弱音を吐いたりもせずに訓練を続けた。
むしろ私の方が、ヒールの使いすぎで弱音を吐きたくなっていた。
本当にきつい。
お父様とお母様は似たもの夫婦だったようだ。