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あくまでも!  作者: 壱原優一
第二章 悪魔狩り
8/23

[II]

 マトリョーナ・カラスが一時滞在場所として選んだのは、先日降り立った駅から七分ほどの距離のところにある、十階建てのマンションであった。最上階の一室で、2DKで和室も付いている。日本に来たのなら是非とも畳に触れてみたいという、個人的な希望からその部屋は選ばれた。そこの家賃や生活費、その他諸々の費用は彼女の所属する組織より与えられる。

 その組織に名前はない。ただ魔を討つことを目的としていた。故に“魔討結社”等と呼ばれることもある。彼らの言う魔とは、悪魔のことに他ならない。何処からかやってくる悪魔を殲滅すること、それが彼らの全てだ。組員の多くは過去に、何かしら悪魔との因縁があり、マトリョーナ・カラスもその例に漏れず、復讐者であった。

「こんなものね」

 マチヤがぼそりと呟いた。

 ベッドに寝転びながらモバイルPCを操作し、自らの所属する組織へと、無事に移転が済んだ旨やその他報告事項をメールで送ったところであった。

 幼さの残る相貌は、暗い過去など微塵も感じさせることはない。彼女自身も、その内に宿る復讐心には鈍感であった。

 激しく燃え上がっているのは、正義感である。

 パタンとPCを閉じると、彼女の鼻先にコーヒーの香り漂うカップが突きつけられた。

「ん」

「どういたしまして」

 ニヒルな笑みを浮かべながら、アンドリューは自分のカップに口をつけた。

 キザでカッコつけ、それがマチヤが抱くアンドリューの印象である。

 一方でアンドリューがマチヤに対して、我侭巨乳ロリータのような印象を抱いていることを彼女は知らない。

 コーヒーは砂糖とミルクでうんと甘くなっていた。初めて二人が出会ってから、五年が過ぎていた。それは諸々の好みを把握するには充分な時間だろう。

 しかし、アンドリューについてマチヤが知っていることは、そう多くない。それは、文献に記された知識であって真実ではない、とマチヤは考えていた。

 甘さたっぷりのコーヒーは、初めて訪れる土地で少なからず不安になっていたマチヤの気持ちを静めていった。

 ピロリロリン。スリープ状態のPCが鳴った。メールの着信を知らせる音だった。

「見なくていいのか?」

 それに一瞥もせずにコーヒーを飲むマチヤへ、アンドリューが訊ねた。

「あとで」

 マチヤがそう告げると、アンドリューは肩を竦めるような仕草をした。「やれやれ」と言うようだった。それを見てマチヤはふっと笑いを零した。

 彼個人のことを聞きはしなかったが、悪魔という種については学んだ。

 人間には悪魔を殺せない。一部例外はあるが、それが二種族の覆すことの難い差である。

 故に、マトリョーナ・カラスは悪魔アンドリューの契約者なのである。人間には殺せぬ悪魔も、悪魔、あるいは悪魔の力を借りた人間には殺せる。人は悪魔という種を憎みながらも、傍に置くしかないのである。協会にはそのような者が他にもいる。また怪異や、別種族であり悪魔と同等の存在である天使と協力する者もいる。

 天使がいるのなら神はいるのか、とその頃は教会に居たマチヤが訊ねると、彼は馬鹿にしたように笑った。

「奴らも俺らも、何者の使いでもなんでもない。人の世界とは違う世界に住む一種族だ」

 悪魔も天使も、各々が見たこともない神を信奉していたり、していなかったりするのだとマチヤは知った。双方、独自の文化や宗教を持ち、ただ日々を暮らしているのだ、と。

 アンドリューは、悪魔と天使と人間にはそう差異がない、と言う。言ってから、能力的なものは圧倒的だが、と付け加えた。

 マチヤは空になったカップの内側を、しばらくしげしげと眺めた後、ぽーんと放った。

「おっと」と唐突な彼女の行動に驚いたような声を出したが、アンドリューは楽々とそれをキャッチした。呆れたように「いい加減レディになってくれないか」と進言するも、マチヤは既にPCの画面へと向かっていた。

「仕方がないな」

 彼は肩を竦めて、二つのカップを台所へと片すことにした。

 マチヤは先ほど届いたメールに目を通す。ふんふんと頷きながら読み進めていくと、だいたい思ったとおりの内容が書かれていた。

「何かあったか?」

 いつの間にやら片付けを済ましたアンドリューが、彼女の寝転ぶベッドの脇に腰掛けていた。そちらを見ることなく、マチヤは簡潔にメールの内容を読み上げた。

「学校? 主殿が?」

「あによ、年齢は現役よ」

「必要なことだと思わんのだが」

 今まで、マチヤが組織に加入し各地を転々とするようになって以来、彼女が学校に通ったことはない。平日の活動に支障をきたすし、転居も楽でない。彼の疑問は当然のことだった。

「潜入調査と言ったところね」

「調査班がやることだろう? 遂に左遷されたか?」

 アンドリューはくつくつと笑って言った。悪魔でも冗談を言うのだった。

「私、というかアンタを、組織が捨てるわけないでしょ」

 それに対してマチヤは、くだらないと言わんばかりの視線を投げかける。

「調査班によると、この近辺の学生間で怪談が流行ってるらしいのよ」

「ほう。どうりでこの街には、いやこの国には、妙な気配があるわけだ」

「知ってたなら言いなさいよ!」

「悪魔ではないのだから、構わんだろう?」

 怪異と悪魔は違う。そして彼女が追い求めているのは悪魔だ。

「……」

 けれどもマチヤは不機嫌になった。もしも怪異が人に仇為すのならば、自分がどうにかしなくてはならない。そう考えていた。

 アンドリューは時として正義を語る。悪魔でも、正義を掲げる者はいるのだ。しかしその正義は、あくまでも自分中心のものでもあった。気紛れな正義、それが彼だった。だから今回、何も言わなかったのも、ただの気紛れに過ぎない。そのことをマチヤはよく分かっていたから「まったく……」と溜息を吐いただけだった。

 正義を語る悪魔、それもまたマチヤが彼を傍に置く理由であった。

「それで、学生としてより詳細な実態を把握せよ、と言ったところかな」

 マチヤは大きく頷いた。

「そして悪魔絡みのものがあったならば処理せよ、ね」

「フム。仔細なし」

 仕事の話は終わり、と言わんばかりにマチヤはパンッと両手を合わせた。



 ミサキと出会ってから、数日が経った。美咲とはあれからほとんど放課後に遊ぶことはなくなった。向こうから一緒に帰ろうと言われても、断るようになった。少し寂しそうな顔をするように見えるのは、勘違いではないと思いたい。胸がズキズキする。勝手に好きになって、勝手にフラれて、勝手に突き放すような真似をして、勝手に寂しくなって、彼女のことなんか私はこれっぽちも考えていないんだな。私には、ミサキがお似合いだ。ミサキは自分の思った通りの、望んだ通りの美咲になってくれる。……わかってる、がらんどうよ、そんなのは。

 放課後は真っ直ぐ帰るようになった。ゲーセンに寄ることもしない。真っ直ぐ帰って、一人部屋にこもって、クローゼットの鏡に向き合う。ミサキと色々な話をしたり、一緒にゲームをやってみたり、黙ったまま音楽を聞いたりする。まるで、美咲と過ごしているみたいだ。時々、泣いてしまうことがある。悲しいわけじゃない、楽しいくらいなのに、涙が溢れて止まらなかった。そんな時彼女は、優しくぎゅっと抱きしめてくれる。頭を撫でながら、耳元で慰めの言葉を囁いてくれる。本当に、美咲みたいだった。

 ……大好き。

 今日も私は美咲の誘いを断って、部屋でミサキとお喋りをしている。

「ねぇミサキ?」

 美咲と話す時よりも、甘えたような声をしている気がする。もしも恋人になれたなら、きっとこんな風に話したのだと思う。冷静なところから見ると、ちょっと、気持ち悪いかもしれない。

「なに?」

 ミサキは鏡の向こう側から返事をする。いつも半身を飛び出させているわけではないのだ。

「なにか食べる? クッキーとか」

 食べるところを見たことがないな。そう思って、私はそんなことを訊いてみた。

「食べなくても死なないわよ?」

 それはわかっている。餓死するのなら、この数日のうちに何かしらの要求があって当然だ。ただ、私が食べるところを見たいだけだ。あと、嗜好品として楽しめるんじゃないかな、とも思うし。

「美味しいと思うよ」

「……じゃあ、少し貰うわ。クッキーとか」

「うんっ、持ってくるね」

 ちょっと待ってて、と告げて、私はさささーっと台所へと向かって、クッキーとオレンジジュースを片手にさささーっと戻ってきた。

「はいっ」と鏡の前にそれを置く。ミサキの手がぬうっと出てきて、鏡の中へ一枚のクッキーが吸い込まれていった。不思議現象を目の前にしているんだろうけど、大分感覚が麻痺してきたようで、ごくごく普通のことのようにその光景を見ていた。

 鏡に映ったミサキが、さくり、とクッキーをかじる。薄紅色の唇に、焦げ茶色をしたカスが付着した。それを綺麗な赤色をした舌が舐め取る。こくん、と小さく喉が鳴った。

「……どう?」

「初めて食べるけど」

「うん」

 ドキドキ。

「……美味しい、かな」

 自分の顔がふにゃけるのがわかった。

「そっか。……ふへへ」

 ミサキは気に入ったのか、次々とクッキーを口の中に放り込んでいった。

「そんなにがっつくとむせるよ。こっちのジュースも飲んでみて」

「……ん。ええ、存外口の中が粉っぽくなるものね」

 ペットボトルの蓋の開け方はわかるだろうか、と一瞬心配になったが、なんてことはなかった。あったのがオレンジだけだったから持ってきたけど、大丈夫かな、嫌いだったりしないかな。美咲なら、平気なんだけど……ミサキだから、平気か。

「……うん、美味しい」

「よかった」

「……楓ちゃん、ありがとうね」

 予想外の言葉に、心臓が乱れた。お礼を言われたのは、初めてのことだった。ぽーっと、顔が熱くなってくる。

「そ、そんな、お礼言われるようなことじゃ」

 なんだかミサキの顔を見れなかった。

 と思っていたら、

「……ふふ、そうね。私が間違ってたわ」

 あっさりと手のひらを返された。なにそれっ。

「ミサキのいじわる」

「ごめんなさいねー」

 まったく……ほんと、美咲なんだから。

 私もクッキーを一枚、口の中に放り込んだ。ざくざくとした、いい音がした。

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