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あくまでも!  作者: 壱原優一
第一章 秋村楓
5/23

 それから二週間後。ゴールデンウィークが開けた。

 雲ひとつない晴天だった。ぽかぽかとした陽気が、眠気を誘った。

 だから、いつも通りの日になると思っていた。

 放課後になった。空き教室に呼び出された。相手は美咲だった。

 私は、そこで、告白された。

 沢渡と付き合うことになった、と。

 

  

 その夜、私は泣いた。

 泣くことしか出来なかった。

 自分の性を、これほど呪ったことはなかった。

 もしも、私が男だったなら、あるいは彼女が男だったなら、そんなこと今まで一度も思ったことなかった。

 でも今は、そんなことを考えてしまう。

 自分を否定することに他ならないけど、それでも私は彼女と、恋人になりたかった。

 ほんの少しだけ、実は、期待していた。

 だって、彼女の浮いた話なんて聞いたことなかったから。

 ほんの少しだけ、彼女も私と同じなのではないかと。

 そんなことはないと、どんなに思っていても拭い切ることの出来なかった可能性も、ついになくなった。

 分かりきっていたことだ。

 いつかは来る日だった。

 明日明後日のことではないと、勝手に信じていただけだ。

 だから、受け入れなければならない。

 諦めなくてはならない。

 そして、友達にならなければならないのだ。

 友達であること、親友であること、それが私のなれる最大の地位なのだから。



 翌日。水曜日。雲が多少ある晴れだ。

 私が登校した頃には、美咲は既に席に着いていた。

 そして、沢渡と楽しそうにお喋りをしていた。

 私は出来るだけ静かに、自分の席へと座る。

 椅子を引く音が聞こえてしまったのか、くるりと美咲が振り返った。


「おはよう楓ちゃん」

「……うん、おはよ」


 沢渡が「それじゃまた後で」と美咲に告げて自分の席へと帰っていった。


「いいの?」


 何がだろう。

 その問いかけに、どんな意味を含ませたのか、自分でもわからなかった。


「なにが?」


 よくわかんない、といった風に美咲が小さく首を傾げた。


「なんでもない」私は曖昧に笑って誤魔化した。


 美咲と沢渡が付き合っていることは、クラスメイトは誰も知らない。

 言いたくないらしい、恥ずかしいからとか言っていた。

 だからか、学校内での二人の接点は、今までとそう変わりがない、朝や休み時間にちょこちょこと話す程度だ。

 傍目からは、数多くいる知人友人の一人にしか映らないことだろう。

 そんなわけだから、お昼も今までどおり二人で食べる。

 今日は中庭で食べることになった。

 今日も今日とて、さぁ屋上へ行こうかと教室を出たところで、美咲が珍しくも中庭のベンチが空いていることに気づいたからだ。

 お昼時の椅子取りゲームは難易度が高い。

 我が校の生徒は多い方だし、教室の位置や四時間目の教師が授業を早く切り上げるタチかどうかにも左右される。

 故に、勝者はその年の最初に決まっていると言っても過言ではない。

 というわけで、ほとんどのベンチが指定席扱いなのだ。


「お弁当とか、作ってあげないの?」


 腰掛けて、私が最初に発したのはそんな言葉だった。

 ふって湧いた疑問であったが、同時に聞きたくもないことだった。


「みんなにバレちゃうかもしれないもの」

「それは、まぁ、そうかも」

「あと頼まれもしてないし」


 あら、意外と冷たい。

 ……まぁ、私の前だからだろうけど。

 人前でデレデレしたり、ノロケたりなんてこの子がするとは思えないし。

 でも二人っきりになったら……考えない考えない。

 まだ付き合いだしたばっかりなんだし、多少ギクシャクしててもおかしくない、うん。


「今日も卵焼きあるわよー」

「あ、うん、じゃあミートボールと交換でいい?」

「ええ。……はい、あーん」


 美咲は箸で挟んだそれを、私の前に差し出した。

 今までこんなことをされた覚えはなかった為、完全に面食らった。


「そういうのは、彼……沢渡にしてあげたら喜ぶよ」

「やだ恥ずかしい」


 池内美咲は恥ずかしがりや。


「ほら、あーん」


 美咲は引っ込めそうになく、私は仕方なく、それにぱくりと食べついた。


「美味しい」


 気恥ずかしさともどかしさで濁った味に嘘を吐く。


「それはよござんす」


 美咲は嬉しそうに笑って、私のお弁当箱からミートボールを取って口に放り込んだ。

 間接キス、というやつだが、女の子同士で気にするはずもなし。

 悔しさが胸で燻る。

 楽しいはずのお昼が、楽しくなかった。

 それでも、楽しそうに振舞わなければならないのだ。

 ここに居続けたいのなら。



「楓ちゃん帰ろう」と帰りのホームルームが終わってすぐに、美咲がいつものように声をかけてきた。


「あー、今日はちょっと用事があって」

「そうなの?」


 じーっと私を見つめるその瞳に後ろめたくなったけど、私は首を縦に振った。


「うん、ちょっとね。……彼と帰ったら? 学校からちょっと離れたとこで待ち合わせしたら、多分わからないよ」


 そう言うと美咲は少し考えるような素振りをしてから、


「そう、ね。じゃあ、今日はそうする。ばいばい」


 と手を振った。


「ん、またね」


 手を振り返して、私はさも急いでますといった体で教室から出て行った。

 逃げ出したかったのだ。彼女からも、自分からも。

 今日一日だけで、私は何度、彼女に想いを告げたい衝動に駆られたことだろう。

 それでどうにかなるようなことではない。

 友達としての私まで投げ捨ててしまうような真似だ。

 でもいっそ、このまま彼女を見続けるくらいなら、と思わなくもなかった。

 何かをすべきだと、私の中で言う者がいる。

 そいつは私をせっついて、破滅させようとするのだ。



 逃げ出した先は、図書室だった。

 真っ直ぐ家に帰る気分ではなかったし、自宅で部屋に篭っていたらミイラにでもなってしまいそうだった。

 まだ一日だ、仕方がないのかもしれない、急なことだったし。

 きっと三日もすれば立ち直れると思うのだ。

 我が校の図書室は、入口側の壁が全てガラス張りになっている。

 とは言え、その面と平行方向に本棚が設置されているから、外から窺うことの出来る範囲は限られている。

 司書のいるカウンターと、一部の机くらいだ。

 蔵書量はどんなものだろう、それなりにあるのではないかと私は思うけど、他所を見たことがないので比較しようがない。

 天井まで届きそうな本棚が七列、それらと垂直に壁一面の本棚が一列ある。

 私は外から見えない位置の机に、適当に手に取った本と共に着席した。

 図書室には意外と人がいた。

 三人の生徒が隣のブロックで参考書を広げている。

 本を取る時に見掛けたのが二人、今入ってきたのが一人、司書が一人。

 思ったよりも図書室は出入りが激しい所のようだ。

 手にした本をよく見ると、どうやらオカルト系の本だった。

 タイトルから察するに、あくまで誰かの実体験という、実録怪談系統の話をまとめたもののようだ。

 最近クラス内でもますます怪談に花が咲いているようだし、こういうのを読んで話のタネにでもしてみようか。

 読み進めていくと、これが結構面白い。

 時々、実体験という形で語っているのに登場人物全員が死んだりしていて、この話語ってるの誰だよと思うようなものもあったが、それも込みで面白いと思う。

 気づけば図書室から人の気配が消えていた。

 さっきまで勉強に精を出していた三年生は、数分前に荷物をまとめて出て行ったし、司書さんはカウンター奥の別室へと引っ込んでいった。

 少なくとも見える範囲には人影はない。

 そんなこともあるだろう。

 日本で最も人通りの多いスクランブル交差点だって、人の途切れる瞬間があると言う。

 本のせいだろうか、無音な空間が妙に落ち着かなかった。

 時間も丁度いいし、そろそろ帰ろうか、と腰を浮かせたところ、私の真ん前の椅子に女の子が座った。

 私はなんだか出鼻を挫かれたような気持ちになって、再び腰を下ろした。

 全く気づかなかった、彼女が腰掛けた時に、やっと視界に現れたみたいだった。

 影が薄い人ね、と私は思った。

 一本の三つ編みを、右肩から前方に垂らした髪型と、病的なまでに青白い肌が目を引いた。

 大人びた雰囲気……三年生かな。


「……なんでしょうか」


 女の子から透明な音が発せられた。

 こちらを見ることなく、本を読み続けながらそう言ったものだから、私は思わず呆けてしまった。

 畳み掛けるように女の子は、


「あまり、人の顔をじろじろ見るものではありませんよ」


 と言って、


「す、すみません!」


 そこでようやく不躾な自分に気づき、慌てて謝罪をし頭を垂れた。


「お構いなく」と女の子は手を振った。


 読書の邪魔だと暗に言われたのだと感じた。

 居心地の悪さと気恥ずかしさが込み上げてきて、無性に帰りたくなってきた。

 ……いや、帰ればいいじゃない。帰るつもりだったんだし。

 本を閉じると、彼女が再び口を開いた。


「怪談、お好きなんですか?」

「え? ……いえ、最近クラスで流行ってるみたいで」

「そうですか」


 こちらをちらりとも見ることのない相手と話すのは、どうにも不思議な感覚だ。

 顔色が読めないし、向こうも読もうとしない。

 とても、話しにくい。

 よく通る声は、聞く分には心地がいいくらいなのだけど。


「“鏡の中のアクマ”という話は、ご存知でしょうか?」


 如何にも、なタイトルの怪談だ。

 どこかで聞いたことがある気がする。でもあれは、合わせ鏡だったかな。


「いえ……」

「なんでも願い事を叶えてくれるそうですよ」

「悪魔なんですから、普通のことじゃないですか」

「悪魔っていい人ですね、よくよく考えますと」


 それはないと思うけど。

 大抵は願い事を拡大解釈して破滅させようとしてくるし。

 ……漫画でしか知らないけど。


「やっぱり、合わせ鏡でもしたら出るんですか?」

「そんな話もありましたね。けど、それとは違います」

「はあ」


 鏡の前に生肉置いて呪文を唱えるとか、そんなかな。


「興味あります?」

「正直そんなには」


 幽霊ならまだしも、悪魔はちょっと、ね。

 キリスト教徒でもないし、信じる要素がない。


「信じてないんですね」

「まあ。普通はそうでしょう。……よっぽど、切羽詰まってたら、別かもしれませんけど」


 今の私は切羽詰っていると言えるのだろうか。

 気持ちとしては、いっぱいいっぱいな部分ではある。

 でも、そんなオカルトに頼るほどでは、決してない。

 追い詰められた人間は、オカルトよりも先に、より現実的な手段に訴えるに違いない。

 おまじないを本気でやるような人間なんて、どうかしているでしょう。


「切羽詰った人間は、信じてないことでも試してみたくなるものですからね。丑の刻参りなんかは、その典型でしょう。あれを信じてやっているなら」


 そこで一旦彼女は口を閉ざした。言葉を選んでいるようだった。


「少々、気が触れている」


 それはいいのか悪いのか。


「信じてないことを試すのも、充分アレだと思いますよ」

「違いありません」


 彼女がくすりと笑った気がした。


「では、私はこれで」


 そう言うと彼女は、読んでいた本をぱたんと閉じて、本棚の影へと去っていった。

 気付けば司書さんはカウンターに戻っていて、やってきた一人の生徒の本を預かっていた。

 私の前を見知らぬ男子生徒が通り過ぎていった。

 さっきまで無人だった図書室に、一瞬で人が現れたかのような錯覚に陥る。

 時計を見ると、帰ろうと立ち上がりかけてから三十分は経っていた。

 随分と長居をしてしまったようだ。

 私は本を持って、少し迷った挙句、カウンターへと向かった。

 たまには読書もいいものだ。



 図書室の彼女は、不思議な女の子だった。

 と、一人自室で、借りてきた本を読みながら想起する。

 煙のように現れて、煙のような話をして、煙のように消えた。そんな印象だ。

 ぺらり。

 ページを捲ると「鏡の中のアクマ」という一文が目に入った。

 どうやら、彼女が話したのはこの本からの引用だったらしい。

 マジックのネタ晴らしでもされたような気分だ。

 彼女が言うことのなかった悪魔の呼び出し方が、そこには書かれていた。

 あくまでも体験談という書き方で、語り部が噂話に聞く悪魔召喚の儀式を行ったという流れだった。

 儀式と言うだけあって、準備は面倒なものだった。

 語り部は悪魔を呼び出して、今月の家賃を工面してもらおうと思ったらしいのだが、なんだか妙なところで現実的である。

 語り部の人はその後、恐ろしい体験をして……と話は続くのだが、霊感のある友達に助言を、とか、霊感のあるお坊さんにお払いを、とか、都合のいい話過ぎて正直つまらなかった。

 ふと、思い出した。

 クラスでも数日前に、こんな感じの悪魔の話をしていた子がいた気がする。

 あれはもっと簡単で、鏡の前で決まった動きを行えばよかったはず。

 あれならば、今すぐにでも……。

 と考えたところで、急に馬鹿馬鹿しくなった。

 悪魔なんているはずがない。

 けど、居たらいいな。

 どういうわけかそう思ってしまった。

 もしも本当にいて、願いを叶えてくれると言うならば、私は一体何を願うだろう。

 やっぱり美咲とのことだとは思う。

 でも、具体的に何を望むかは、わからない。

 彼女が私を好きになるように、なんてのは、やっちゃいけないことだと思うし……。

 結局のところ、私は悪魔がいたところで、何も願うことはないのかもしれない。

 それならば、どうしていたらいいだなんて、思うのだろう。



 ぱたん、と私は本を閉じた。

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