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美咲と恋人同士ということになって数日が経過したのだが、なんだか実感が湧いていない。まだデートもしていないし、クラス公認の仲というわけでもない、友達関係の頃からあまり変化がないのだ。それに至るまで付与曲折あったものの、なってしまえばこんなものか、という思いが少しばかりある。
が、しかし、今日はなんと美咲の家にお泊りすることになったのだ。とは言え、それもまた友達関係の延長のような気がする。いやでも、親に紹介するって言ってくれてるし……当然のことながら、友達として紹介されるんだろうなぁ。
私たちは、ソフトな表現をするならば、百合ップルである。このことを公言することは、決してないようにと美咲と私、双方の合意の元で約束した。と言うのも、まだまだこの国では、いやこの世界では、易々と受け入れられてはもらえない為だ。美咲なんかは「そのうち分かってくれるわよ」なんてあっけらかんと言っていたけど、私は正直そうは思っていない。美咲の手前言うことはなかったけど、数世紀は経たないと無理だと個人的には考えている。
宗教や倫理観が、一朝一夕で変わるはずがない。
……ま、そんな話は置いといて。
美咲の家にやってきた。一度は来たことがあるから、今日はちゃんと一人で来てみた。呼び鈴のボタンを押して、しばらく待つと「はい?」と美咲とは違う女性の声がスピーカーから聞こえた。お母様の声だろう、きっと。
「私、美咲さんの友達で」
そこまで言うと「あぁ、ちょっと待って下さいね」と遮られて、音声が途絶えた。多分美咲を呼んでいるのだろう。
お母様の声は、美咲に似て落ち着きを感じさせるものだった。
更にしばらく待つと、玄関が開いて美咲が現れた。青のロングスカートが可愛い。私はジーンズとシャツという、色気もへったくれもない格好で来てしまったが、流石にもう少し考えるべきだったか。美咲があんまり気合を入れてくると変だから、なんて言うから。
美咲は私の服装には触れることなく「さぁ上がって上がって」と手招く。
玄関先には、先ほどの声の主であろう女性が立っていた。美咲によく似ていて、上品そうである。
ちょっと緊張してるけど、出来るだけ丁寧に思われるように挨拶をする。
「初めまして、秋村楓と言います。美咲さんとは本当に仲良くさせて頂いてて」
「ふふふっ、そんなに畏まらなくていいわよー」
女性はからからと笑ってそう言った。とりあえずは、好印象を持ってもらえたっぽい。
「初めまして。美咲の母の幸枝です。……楓なんて風情ある名前ね、素敵だわ」
「いえっ、そんな」
名前のことを褒められたのは、初めてのことだった。自分でも嫌いには思っていないけど、風情とかを感じたことはない、節分で鰯と一緒に飾られてるイメージくらいだ。なんだか気恥ずかしかった。
「楓ちゃん、そろそろ部屋に行こう? お母さん、飲み物とかは後で取りに行くね」
「そお? 持って行きましょうか?」
「んと、じゃあ、お願い。ささ、あがって」
「う、うん」
靴を脱ぐのにも、気をつけて、あまり粗雑にならないようにしないと、脱いだ後は揃えて。
一挙一動がお母様に見られていると思うと、とても緊張した。
部屋に行くと美咲に、まずはそのことをからかわれてしまう。
「普通にしてていいのに」
「あ、あれが普通だもん」
ちょっと見栄張った。家じゃ靴は揃えたりはしない。
「ふふ、ならいいんだけど。そんなに緊張してたら、身が持たないわよ?」
「う……。わかってるよ」
でもやっぱり、少しでもよく見られたい。友達としてでも。
お泊りは、結論から言えばとても楽しかった。美咲と他愛もない話で延々と盛り上がったし、お夕飯はとても美味しかったし、一緒にお風呂にも入った。それからは、私の持ってきたゲームで遊んだりもした。寝るときには、美咲はベッドがあるのにわざわざお布団を敷いて一緒に寝てくれたし、とても充実した一日だった。
朝、どうやら楓ちゃんよりも先に目が覚めてしまったみたい。
起こさないように、静かに部屋を抜け出して、一階のリビングへと行くと、既に母が起きていた。
「あら、おはよう」と母が言うので私も同様に返した。
「早いね」
「美咲こそ。楓ちゃんは、まだ寝てるの?」
「ええ。昨日は少し……ふあ……遅かったから」
私も思わず欠伸が出てしまった。寝直そうかしら。楓ちゃんの布団にでも潜り込んだりしたら、起きたときにびっくりするかも。
「夜、五月蝿くなかった?」
ふと気付いて聞いてみた。一応、気をつけていたつもりだけど。
「いいえ? 私もなんだか嬉しくなって、お父さんと電話してたから」
父は単身赴任をしていて、最近はちょっと会っていない。実のところ、小さい頃はお父さん子であった為に、割と寂しかった。そんな素振りは見せないようにしてるけどね。
「ところで美咲」
私の顔をじっと見つめながら、母は訊ねる。
「もしかして、恋人なのかしら?」
どきり、とした。でも、これは予測の範囲内の出来事だ。うちの母は勘がいい方だから、聞かれることはあるかもしれないとは、薄々思っていた。
「友達だってば」
嘘を吐く。楓ちゃんとのことで、本当に後悔したから、嘘を吐かずにいたいと思っているのだが、ここで正直に話してしまえば……どうなるか、予想がつかなかった。
けれども母は、簡単に看破する。
「お父さんそっくりね」
私が嘘を吐くと、必ず母はこう言う。
父も嘘吐きなとこがあるのだ。嘘吐きというか、
「あれは、ホラ吹きじゃない」
誰が聞いても出鱈目だとわかることを、あの人は大真面目に言う。それは悪いことのようにも聞こえるが、相手を楽しませる為の言葉であることは、私が一番よくわかっている。
幼い頃には、ホラ話をすぐに信じてしまって、でもそれがとても楽しかったから。
だから、私と父は似ていないと思う。すぐに嘘がバレてしまうという点ぐらいなもので。
「でも、そう、付き合っているのね」
「……うん」
結局、正直に言うしかなかった。母には本当に嘘が通じない。
「いいじゃない、可愛らしい子だし、もう一人娘欲しかったのよ」
そして、母は優しい人だ。本当、私はどちらにも似なかったのだな、と切なくなった。
「……気が早いわ。まだ、付き合い始めたばっかりよ」
「そうなの? ……でも、ふふ、美咲も年頃ねぇ。今までそんな話聞いたことなかったから、ちょっと心配だったのよね」
そんな心配されてたの……。確かに、楓ちゃんが初恋になるけど。
「あ、そうそう」
母がはたと思い出したように言う。
「彼女に、嘘は吐いたら駄目よ?」
……。
今更感ある言葉だった。いえ、これから気をつけましょう、ええ。
「それじゃあ、私、二度寝するわね」
やっぱりまだ、眠かった。
そうだわ!
折角母に関係がバレてしまったことだし、堂々と楓ちゃんの布団に潜り込んでいいわね!
ふふっ、起きた時どんな反応するかしら。楽しみね。
うきうきとした気分で、私は階段を上がる。
私は今、幸せなんだなと、実感していた。




