四
とりあえずホームルームが終わると、私は美咲から逃げるように屋上へと向かう。お昼だけ開放されるはずの屋上だが、ちょっとばかし鍵を拝借させてもらった。内緒で戻せば大丈夫だと思う。
そこで私はケータイを取り出した。メールで呼び出そうという魂胆である。ラブレターの方がロマンチストな気のある美咲にはよかったかな、と今更ながら思いついたけど、明日に回したら本当に気持ちが頓挫してしまうかもしれない、……このまま行きます。
メールの文章は簡潔だ、そういう雰囲気が出ないように気をつける。
「ちょっと屋上に来てくれない?」
なんで、と疑問に思うことだろう。そんな風にメールが返ってくるはずだ。
……来た。思ったとおりだった。
「天気いいから、日向ぼっこでもしようかなって」
無理のある言い訳だと、自分でも少し思う。猫かよって。天然キャラでもあるまいに。
だけどここは無理を通すしかない、他に言い訳も思いつかないし!
さて、どう返ってくるか。
……。
「いいわよ、ちょっと待っててね」
よっし! 私は大きくガッツポーズする。もうそのまま、歓喜の雄叫びでもあげてしまいそうなくらいだった。まだ試合は始まってもいないというのに。
しばらくして、ギィっと屋上の鉄扉が軋む音と共に、美咲がひょっこりと顔を出した。辺りを窺いながら、私の方へと急ぎ足で駆け寄ってきた。
「どうしたの?」と、びくついた風な美咲を不思議に思って訊ねてみる。
「だって、バレたら怒られちゃう」
……ごもっとも。そりゃ警戒しながら来るよね。美咲は優等生然と、いや事実優等生だからね、校則違反はちょっと怖いとこあるのだろう。
「大丈夫よ、見回りはもっと後になってからだろうし」
ふと、遵守と違反とが混在した男のことを思い出した。こんな時に出てくるとは、やっぱりイヤな奴だ。
奴の影を頭の片隅に追いやって、美咲を見つめる。
何度見ても可愛いし、綺麗だ。見ているだけで、こんなにも心が揺れ動くものは見たことがない。どんな芸術品も彼女の前では霞む、とすら私は真剣に思っている。そんなこと彼女に言ったら、笑われてしまうだろうけどね。
「んー、いい天気!」
私の言葉を受けて安心したのか、ぐーっと背筋を伸ばしながら美咲は、ちょっと大きめな声でそう言った。
「しーっ。ちょっと声大きい!」
声を聞きつけて、先生でも来たら困る。色々と。
慌てて注意すると、美咲「ごめんなさいね」とあまり悪びれていない風に、はにかんだ。
それがまた可愛い、なんて思ってしまう私は末期的かもしれない。
「ベンチに座りましょうか」
「へ?」
告白は立ってするもの、どこかそう思っていた私は、一体何事かとわからなくなった。
「日向ぼっこするんでしょう?」
「あ、うん、するする」
そう言えば、確かそんな名目で呼び出したんだった。
「ビニールシートがあれば寝転がれたのにねー」
なんて暢気なことを言いながら、美咲は近くのベンチに座った。
優しい日差しに包まれて、風もそよそよと髪を撫でる。今日は絶好の日向ぼっこ日和であった。もう七月に入っているし、こんな穏やかな日は多分今日ぐらいだ。後はどんどん暑く、そして熱くなっていって、太陽は剣のような光を送り届ける仕事に就き、風は無職となるのだ。
そんな日だからこそ、いいのかもしれなかった。
こんな日なら、ちゃんとフラれても、清々しくなれるのではないだろうか。
「……」
「……」
二人とも、同じように空を仰ぎ見たまま、黙りこくってしまった。
日向ぼっこなのだからそんなものだと、きっと美咲は思っている。けれど私はただ、話を切り出すタイミングというものが掴めないだけだった。どうしたらいいんだろう……。
最初の一言は何にしよう。昨夜そんなことを考えていたのに、いざその時になってしまうとなんだか違うような気がしてくる。
どう、言おう。
「ねぇ、美咲」
迷いながら、まずは会話の取っ掛かりを探る。
「なぁに?」
美咲は空を見たまま答えた。とても穏やかな声音で、くつろいでいるようだった。
こんな和んだ空気をぶち壊すのは、とても忍びない。けど、言わないと……。
意を決して、口を開く。
「私ね」
心臓の音が五月蝿い。
「貴女のことが」
美咲がこちらを向く。やわらかな表情が、怖くなった。
「好き……なの」
色々考えたけど、結局飛び出たのは、あまりにも陳腐な告白だった。でもそれが、剥き出しになった心の全てなのかもしれなかった。
美咲は一瞬、大きく目を見開いて、驚いたような表情をした。それに耐え切れなくなって、私は遂に逃げ出そうとしてしまう。
「待って!」
「いや! 離して!」
ぎゅっと、痛いくらいに美咲が私の腕を掴んだ。怒っているのではないか、気持ち悪がられたのではないか、軽蔑されたのではないか、そんなネガティブな思考が止め処なく溢れてきてしまい、瞳からも流れ出してしまった。
「ごめん……ごめんね……!」
何に謝っているのだろう。何を誤ったのだろう。
美咲が私を抱き寄せた。制服から太陽の匂いがして、苦しくなった。
「大丈夫。大丈夫だから」
そう囁かれながら、頭をそっと撫でられる。
「美咲、聞いてちょうだい。私は」
「いや! 聞きたくない!」
フラれる覚悟をしてきたつもりだったのに、口から出たのは、紛うことなき本音だった。
耳を塞いでしまいたかった。でも、抱きしめられていては、それも叶わない。
叶わないことだらけだった。
「私は! 楓ちゃんが、好きよ?」
「違うもん……その好きとは、違うもん」
「……違くないのよ。本当に、一人の女性として、好きなの」
嘘だ、そう思った。抱きしめられていたら、顔も見えないから、言葉だけでは嘘としか思えなかった。それにだって、現に男と付き合っているじゃない。
でもそれを私が訊ねるよりも先に、美咲が本当のことを語ってくれた。
「沢渡くんとのことは……嘘なのよ」
「うそ……?」
「うん、ちょっと頼んで、話を合わせて貰っただけ……」
到底、信じられないことだった。でも美咲はそれこそが本当なのだと言う。
「ごめんなさい。私の、我侭だったの」
本当に申し訳なさそうな声で、美咲が謝る。その声は次第に震えていった。
「貴女が私のことを好きなのは、ずっと気付いてたの。最初は私も戸惑ったけど、でも、次第に愛おしく思えてきたの」
「そう、なの?」
こくりと美咲が頷いた気配がした。
「それでね、私の方から、言おうとも思ったんだけど」
「……だけど?」
歯切りが悪い。言葉を選んでいるようだ。
迷いに迷って、
「その、ね……好きな人から、告白されたかったの」
と呟いた。
……ああ、本当に我侭だ。
私は半ば強引に、彼女の腕から身をよじって逃れた。ようやく美咲の顔が見れた。彼女も私と同じように、涙で頬を濡らしていた。美咲の涙を、初めて見た。
堰を切ったように、美咲は嗚咽交じりに謝りだした。
「ごめっ……なさい……。あんなこと言ったら……傷つくって……わかってたのに!」
本当だよ。すっごく悲しかった。寂しかった。悔しかった。
「でも……すぐに告白してくれるって、思ってたのに……どころか……どんどん離れていっちゃって」
そりゃそうだよ、告白ってすっごく勇気いるし、彼氏のいる子に普通は告白しないよ。
「何度も後悔した! どうして、あんなこと言ったんだろうって。 私、ばかみたい!」
みたいじゃなくて、本当におばかさんだと思うよ。……私もだけどさ。
池内美咲はロマンチスト。
……わかってた、はずなのにね。気付いてあげられなかった。自分のことしか、見ていなかったから。
「ごめんね……ごめんね……」
それでも、何度謝られても、このことは絶対に、許さないから。
「……許さないよ、美咲」
「ほんっ……とに……ごめんなさい……」
「ううん、許さない。だから、貴女はずっと、私のことを好きでいて?」
「……うん」
「これから恋人になっても、いつか別れることになっても、私が貴女を嫌いになるようなことがあっても、それでもずっと、貴女だけは私のことを、好きでいて」
そうしたら、
「……そしたら、許してくれる?」
「まさか。……もう、許したよ。美咲大好き」
幼子のように美咲は泣いた。溜めに溜め込んだ後悔と自責の念を、一気に吐き出しているようにも見えた。
「私もっ……好き……!」
こんなに泣いてしまうんだったら、嘘なんか吐かなければよかったのに。
池内美咲は、嘘つきだった。そして我侭だった。
秋村楓は、自分勝手だった。そして馬鹿だった。
私たちは、恋人になった。
[終]
これにて本編終わり。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
もしよろしければ、評価や感想のほどお願いいたします。
あと二話ほど、アフターを投稿します。既に予約済み。
数年前に書いたもので、とにかく終わらせようとしたものですから後半は早かったような気がします。
いずれ書きなおしてみたいとこ。
その時はだいぶ変わるでしょうが。




