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あくまでも!  作者: 壱原優一
終章
20/23

 白木百が生物科室でコーヒーブレイクを楽しんでいると、マトリョーナ・カラスがやってきた。ノックもせずに扉を開けて入ってくると、骸骨のジョニーが「美少女がきましたぞ」とけたたましく笑い声を上げた。マチヤはそれをちらりと見て「消すわよ」とぼそっと囁いた。ジョニーが静かになった。

 モモがカップに注いだコーヒーを差し出すと、マチヤは一言お礼を言ってそれを受け取る。

「ちょうど食後に、何か飲みたいと思ってたところですよ」

 時刻は十二時半を回ったところだ。マチヤは適当な椅子に腰を掛けて、ふーふーとカップに息を吹きかけてから、一口啜った。苦いが、香り高く美味しいと思った。マチヤが感想を述べると「そりゃよかった」とモモが微笑んだ。

 けれども、

「とりあえず、彼女の件は片が着きました」

 と先日のやり取りを話すと、モモは見るからに不機嫌そうな顔をした。最初の方は「ふーん」と、どちらかと言えば興味なさげ、まぁそんなとこかと納得しているかのような表情を浮かべていたのだが、楓からミサキに関する記憶を消したくだりになると、眉根を寄せて非難めいた視線をマチヤへとやったのだった。

「私、お前のこと嫌いだわ」

 手にしたコーヒーよりも苦々しく、モモは吐き出した。

 秋村楓が怪異の世界から足を洗うことは喜ばしいことだと、モモは考えていた。しかし、関わったこと自体をなかったことにするのは、自分でも驚くほどに気に食わない出来事であった。

 過去をなかったことにするのが許せなかったのである。残したい思い出もあっただろうに。また、何故それに至ったかの理由を聞いた上で、悲しみを乗り越えてこそ人であるのではないか、との疑問が鎌首をもたげた所為もあった。

「私は先生にシンパシー感じてますよ」

「はっ、どこが」

 くすりと、マチヤが笑った。

「生い立ちとか」

「……お前」

 モモが鋭い視線を投げかけるも、そ知らぬ顔をしてマチヤはコーヒーに口を付ける。

「不愉快でしょうが、少し調べてもらいました。それに免じて、貴女が怪異と関係を持つことを許しましょう」

 飲み干したカップを机に置いて、マチヤは立ち上がった。

「何様だっての」

「ただのタヴァーリシですよ、モモ先生」

 そして聞き慣れない単語を残して教室を去ろうとした。

 そこに、楓が入ってきた。

「あ、マチヤさん、ここにいたんだ」

「ええ。カエデ、体調は如何ですか?」

「もう大丈夫だよ。と言うか、朝も聞いてたじゃない」

「それは重畳です。いえ、悪化してないかと思いまして」

「難しい日本語知ってるね。ふふ、ありがとね」

 まるで旧来の友人のように、和やかに話す二人を見て、流石の白木百も面食らわずにはいられなかった。一週間も前には敵対し、いがみ合っていた者が、こんな風になれるのか、と不思議だった。記憶消去だけでなく、改竄までしたのではないかと疑うほどである。

「それで、私に何か用か? コーヒー飲むか? ミルクと砂糖もあるぞ」

 ふつふつと湧き出す違和感を断ち切るように、モモが口を開いた。楓はその申し出を断って、丁寧に二人に向けて頭を下げた。

「あの、なんだか色々と相談に乗ってもらったようで、二人ともありがとうございました」

 記憶消去、それに伴い自身の脳によって、数日前の出来事はそう改竄されたらしい。実に都合がいいな、と内心モモは苦々しく思った。

 この子は二度と、本当の過去を知ることはないのか、と。

「いや、大したことはしてないよ。なあ?」

「そうですよ、カエデ」

「でも本当に、気持ちが楽になりましたから」

 むしろ追い詰めていたくらいなのに。罪悪感がモモを襲った。

「私、決心しました」

「おぉ! カエデ、頑張ってください。ファイトですよ!」

「ありがと。それじゃ、失礼しますね」

 そうして言いたいことだけ言って、楓は部屋を後にした。充分に去った頃にジョニーが「無視されましたぞ」と自虐気味に笑った。怪異にまつわる記憶を消されたのだから、当然のことである。モモが彼を慰めるような真似をするはずがなく、カップに残された最後の一口を飲み干した。

「……元気だったな」

 モモの心中に、複雑な気持ちが去来した。

「風邪でも引かないと、学生はゆっくり休めませんからね」

「そういうことじゃない」

 先ほどまでは、記憶を消したことに憤っていたのに、実際の彼女を見たらそれでよかったのではないかと思い始めている。悲しみに暮れて塞ぎ込んでしまうよりは、と。だがそれを言うならば、自分がちゃんとあの二人を庇ってやればよかったのではないか、あの時の楓は幸せだと言っていたのではなかったか、と自身の行いに疑問が生じた。

 それを見抜いていたのかは定かではないが、

「先生はお優しいですね」

 そんな皮肉めいた言葉を残して、今度こそ本当にマチヤは立ち去って行った。



「失礼します」

 その直後に、今度は楓のクラスメイトである委員長が入ってきた。

「白木先生、今マチヤさんが出て行きましたけど、また生徒にコーヒー飲ましたんですか?」

「まぁな」

「じゃあ、私にもください」

「お前は駄目」

「先生はいけずですね」

 ぶーっと唇を突き出しながら委員長は抗議する。それはクラスメイトが見たら、ビックリするような光景だろう。真面目一辺倒な委員長が、それも相性の悪そうな白木百の前で、おどけてみせているのだ。

「今優しいねって言われたとこだよ」

「マチヤさんにですか。日本語を間違えたんでしょう」

「お前って影では随分と酷いよな」

 陰鬱とした気持ちが晴れてきたモモは、くつくつと笑いながら立ち上がる。

「ちょっと待って下さい、今のは先生への皮肉です。マチヤさんを不当に貶めるつもりは」

「わかったわかった。コーヒー淹れてやるから黙ってろ」

「じゃあ、ジョニーくんと話します」

「黙ってろって言ってんだろ」

 やれやれと言わんばかりに、モモは委員長のおでこを小突いた。

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