二
ここ一ヶ月の記憶が、なんだか曖昧だなと気付いたのは、風邪を引いてしまい学校を休んでベッドでごろごろしていた時のことだ。もっとも、三十日分の出来事を詳細に覚えていたら凄いことだなと思って、そんな違和感はすぐに消え去っていった。何か大事なことを忘れているような気もしたけど、忘れているならそんなでもないのかなと思うし。
マチヤに色々と美咲のことで叱責されて、泣きながら家に帰った日から三日が経ち、休みも三日目に突入した。出会ってから二日程度の人に、あんなこと言われるとは思わなくてショックだったけど、でもお陰で彼女のことに踏ん切りを付けることが出来そうだった。
ピピピ、と腋に挟んだ体温計が鳴った。取り出して見ると、なんとか平熱くらいには下がったようだ。
踏ん切り、と言っても後ろ向きなものではない。前向きな、崖に向かって一歩踏み出すような意味での踏ん切りだ。
告白してしまおうと思う。もう黙っているのは限界なのだ。好きで好きでしょうがない。どうせフラれるとわかっていれば、とても簡単なことのように思い始めた。数学の方がよっぽど難しいよ。もう友達ではいられなくなるだろうけど、それでもいいや。やっぱり私は、友達よりも恋人になりたかったのだから。
三日ぶりに登校すると、どういうわけかクラスメイトに囲まれて口々に心配の言葉を述べられた。コミュニティ形成能力不足の私が一体全体どういうわけだ、と目を白黒させていると友達の輪の後ろでぴょんぴょんと跳ねる銀色が見えた。小さくて銀色の特徴を持つのは一人しかいない。
「うん……うん……そう、大丈夫だから、本当。心配ありがとね」
適当に相槌を打ちつつ輪を崩していくと、その隙間からマチヤさんが顔を出した。
「おはよっ、カエデ」
その愛らしい顔を見た瞬間、ずきりと頭の後ろが痛んだ。
「どうしました? まだ体調悪いですか?」
「ううん、大丈夫」
けれども痛みはすぐに引いた。
「あまり無理しないでくださいね。……イケウチさんも心配してますよ」
ぼそりと耳元で言われたものだから、こそばかった。美咲はと教室を探してみるが、どこにも見当たらない、鞄はある、沢渡くんもいる──目が合うと片手をあげたから私もし返した──からお手洗いだろうか、と思っていたら、ぽんと肩に手を置く者があった。
振り返ると彼女がいた。
「大丈夫……?」
心配そうな顔でそう言われたら、なんだか嬉しくなってしまう。好きすぎてやばいな、と思った。
「うん! もうすっかり治ったよ」
彼女の気持ちを吹き飛ばせるように、努めて明るく言うと美咲は「よかったぁ」と微笑んで、それがまた私をどきどきさせた。
覚悟は決めたつもりだったけど、こんなにも友達関係が気持ちいいと、揺らいでしまう。
いや、迷うな秋村楓!
今日こそ言うの!
例え相手が、彼氏持ちだったとしても!
……そこなんだよなぁ、一番引っかかってるのは。
授業もなんだか身に入らない。ずっと告白のことばかりを考えてしまう。黒板を見るついでに、沢渡を見てみた。どんな顔をして授業を受けているのかはわからないけど、居眠りとかはしていない。結構、真面目なんだよね。趣味は読書、美咲とも合致する。よくよく考えれば考えるほど、お似合いだ。私の立ち入る隙などない。いや、別に告白して取っちゃえなんて思ってるわけじゃないし、女だし無理だし。だからそんな、彼のことを慮る必要はない……いやいや、それもちょっと、どうなんだろう。
うーん、言うって決めたのに。
……違う。結局のところ、私は自分のことしか考えていないんだ。難癖つけて、覚悟をポイしちゃいたいだけなんだ。
逃げるな秋村楓!
どうせどっちも同じなら、言わなきゃ駄目だ。自分の為に!
よし、もう迷わないぞ。
私は机の下で、小さくガッツポーズをした。
お昼を食べてすぐに、私はマチヤを探していた。色々と相談に乗ってもらったような? よく覚えてないけど、迷惑かけたような? そんなわけでお礼をしたかったのだ。
あとモモ先生にも言わないと、コーヒーまで頂いたことだし、苦かったけど。……まぁ、あの噂に関しては、そのうち訂正させたものを流させてもらうつもりだ。