溺れるみたいな犬かきでシャングリラにゴー
――底辺の人間が運命に流されやすいのは、ポケットに入ってる金の重さが足りなくて、錨の代わりにならないせいだ 〈ジェットン〉
会場に流れたテレパシーアナウンスに、俺は触角を疑った。なんてこった、相手の犬が急性重力アレルギーひきおこして不戦勝だと?おいおいおいマジかよ!唖然とする俺の横でキュウが笑い転げている。
『ぶっは、何これやべえこれ同じトーナメント中、2回も相手に触れずして勝つとかどんな天才だよギャハハハハハおれ天才すぎだら!』
「おま、笑ってる場合かよ分かってんのか?お前これで来週の決勝トーナメント行き決定なんだぞ、おい、」
信じきれなかった。興奮でガタガタの波長になってしまった俺のテレパシーを、キュウの頭のガロリンガルはちゃんと訳してくれただろうか、自信がない。
だって予選トーナメント5戦中2戦が不戦勝だなんて、どう考えても異常すぎる。それも2回とも勝てる見込みのない相手と当たるはずだったのだ。
『えーそんなことねぇべ、当たってても勝ってたってマジでマジで』
と、キュウは言うが、別に今期の調子が特別良かったというわけでもないし、相変わらず勝ってもギリギリ、紙一重というような危ない試合内容ばかりだったにもかかわらず、何故そんな口がきけるのか俺には理解できない。現に1つ前の、純正ルピウス犬との対戦などひどいものだった。バーチャルゲーム機で見たかっこいい技を試すなどと言い出したキュウは俺が止めるのも聞かずに見事にきれいなカウンターをくらって場外までぶっ飛び、開始10ケッタでほとんど前後不覚みたいな事になってしまった。幸いにも相手がそれで大分油断してくれたおかげで、その後なんとか巻き返せて判定まで持ち込めたが、あれは本当に最低だった。
「信じきれない…どうすんだよマジで…お前、どう考えても決勝トーナメントってレベルじゃねえじゃねえか…」
『ウッフ、そうビビんなよって。別に実力じゃなくてもグーゼンでも勝てば賞金もらえるだショ?いいじゃんまぐれ勝ち狙いでよー』
「実力ねーの認めてんじゃねえか」
『光るものはあるとおもうのす!』
「自分で言うなよ……」
だがそれを一番信じているのは他ならぬ俺である。キュウは原石なのだ。時々、本当に時々だがコイツは、恐ろしく鋭い攻撃を繰り出したり、絶体絶命状態から平気で起き上がったりすることが実際にある。それを常に発揮できるようコントロールできれば鉄板と言われる闘犬になれる、はず、だ……と、俺は思ってる。たぶん。
だがキュウは俺の相棒である。つまり原石を磨くのは俺しかいない。
「ああ、わかった……」
『ん~?』
「作戦会議だ、エンラエの店行くぞ。俺が必ずお前を勝たせてや……」
『キャッホーゥ!惑星ビール!ルルサ虫唐揚げっ!おかわりしていい?おいっ!おかわり何杯まで?』
「人の話聞けよてめえ」
キュウを連れてザムザ通りの闘犬場を後にした俺は、地下駐車場で待っているデコを迎えに行った。数週間前に酔ったキュウが蹴りを入れたせいでバンパーがV字型にへこんでしまった俺の水色のグラウンドシップから、白い触手を振って顔を出したデコを俺は抱き締める。
「待たせたな、デコ。誰かに見つからなかったか?」
『んーんへいき。おかえりジェットン』
デコは柔らかな頭を俺に押し付けて、音の言葉でそう言った。頭のガロリンガルにテレパシー訳してもらうまでもなく、俺はデコが何と言ったか身体で感じていた。
『キュウたん勝った?』
俺の背中越しに尋ねたデコの問いに、キュウが獣じみた笑みを浮かべ、
『当ったり前じゃあん!』
と、答えたので俺は
「不戦勝だけどな」
と付け加えておく。
『えーすごいキュウたんやったねおめでと~。もっと不戦勝続くといいね。そしたらキュウたん優勝できるね』
デコに悪気はない。しかし悪気がないからこそ、彼女の言葉は時に、辛辣である。ところが無反省さに於いて他の追随を許さないキュウにはそれも通じないようだった。
『イヒ、オレ魔性の不戦勝キングだからよ、決勝も不戦勝で勝っちゃうぜ、こう、念力でよ、腹壊せ腹壊せ腹壊せ……』
『すごーい。がんばってキング~』
『おうよー、キングの呪いで相手うんこで試合出れねくしてやんよ…ククク…』
「いやな称号作ってんじゃねぇ馬鹿、デコもがんばってじゃねーよ、ちゃんと実力で勝てっつ、のっ!」
『いって!』
ケツを蹴ってキュウをグラウンドシップに蹴り込み、俺はデコを抱いたまま運転席に腰を降ろしてエンラエの店に向かった。
店内は相変わらず薄汚れていて、ゲーセンにしたいのか飲み屋にしたいのか方向性の定まらない中途半端な様子である。が、遺伝子保護法の制定以来、無法地帯のイア85地区でもピンクガロッツに対する風当たりはずいぶんきつくなり、デコを連れて入れるような店は、この辺りではエンラエの店ぐらいしか無い。
万が一警官にでも出くわした時のためにデコを隠すカバンを用意し、俺たちはカウンターに付いた。
『おつかれちゃーん!』
『ちゃ~ん』
惑星ビールを瓶ごと、何の躊躇もなくガバガバ体内に流し込むキュウ。隣ではデコが砂漠苔の赤和えをもそもそ噛んでいる。俺は少し考えた末に一番安い発泡ハイを注文し、ちびちびとグラスを傾ける。
不戦勝でも勝ちは勝ちだ。賞金は入る。20万マッコイ稼いだんだから宇宙ブランを頼んでもいいっちゃいいんだが、俺はそうしなかった。金が必要だ、今の俺たちには。キュウは不戦勝とはいえ勝ったんだから飲んで良い。しかし俺は遺伝子保護法からデコを守らなきゃならない、ピンガロ規制が始まった今、デコは警官か保健所に見つかればぶち殺されてしまう。その前に、最低300万マッコイ、金を貯め、スペースシップを購入し、独立小惑星帯・ランシャークに逃げる必要があるのだ。
ランシャークは宇宙連合に加盟していないから、こっちと法律が違う。遺伝子保護法、バー中規制法は存在しないし、金さえあれば種族転移手術も自由。ピンガロとの擬似セックスがやめられねえ金持ちや、脳直バーチャル漬けになったくそセレブ御用達のリゾート地にもなっている、通称〈天国に一番近い惑星〉だ。
なんの因果かピンガロに本気で惚れてしまった俺と、クズ人間に惚れられちまったデコにとっても、ランシャークは少なくともここ惑星ラーテアよりは天国に近いはずの場所である。
『ジェットンのまないの?具合わるい?』
考え込んでいた俺に、デコがそう言って触手を近付けてきたので、俺はデコの少しひやっこい頭をつるっと撫でてやった。
「例の計画について考えてただけだ。お前が心配する事じゃない」
ピンガロ小屋からデコをかっさらって来たのは俺だ。何をやったって俺はデコを守らなきゃならない。ビールを我慢したところで300万マッコイなんか貯まるはずもないが、何もしないよりはましだ。
やれる事は何だってやる。
そうしなきゃ俺の女神はこの世から消えてなくなっちまう。
「安心しろ、大丈夫だ……」
俺はデコの冷たいゲル状の体を抱き締めた。
何が大丈夫だ畜生、
デコの低い体温に自らの不安を癒してもらいながら、俺はため息をついた。
『おい!ねー!からあげ!ジェットン!ルルサ虫の唐揚げおかわりぃ』
キュウのへべれけ声に頭を上げると、カウンターに並べられていた10皿のルルサ虫は全て空になっていた。
ざっけんなこの野郎。
キュウにはある程度贅沢する権利はある。だがさすがにここまでむちゃくちゃなペースで飲み食いされたらまた家賃が払えなくなるではないか。
「おかわりじゃねえだろ!てめえさすがにいい加減にしろキュウ、だいたい今日は不戦勝で勝っただけじゃねえか、ちょっとは遠慮しろっての!家賃どうすんだよおいっ」
『なんだとコラ。不戦勝キングだぜオレはっ!くわせろくわせろルルサ虫』
「駄目だ。芋にしろ」
『ええ?やだよ。イモうまくねぇじョん。もそもそしてっしよォ〜』
「くっ……頼むからイモにしてくれキング…金が要るんだ、言っただろ、家賃もそうだが、スペースシップがどうしても…、」
俺が言いかけた話を途中でブッた切り、キュウは素っ頓狂な鳴き声を上げた。
『うあ?ジェットンしらねーの?』
「知らねぇって、何を」
『バルカッソ杯って優勝すっと賞金100万マッコイと、あと最新型のキャンプ型スペースシップもらえるんだぜェ』
「なに!?」
今度は俺が妙なテレパシー波長を漏らす番だった。
「スペースシップが?もらえんのか」
今日キュウが奇跡的に不戦勝で決勝トーナメントの切符を手に入れたバルカッソ杯は確かに、シップメーカーであるバルカッソ社が主催するドッグファイトだ。だがケチで知られるバルカッソ社が2ディラ期毎に開かれる中大会ごときでそんな太っ腹な賞品を出すなんて、馬鹿な。
『だってよォ、ザッピんとこの犬がそう言ってたぜ!それにほら、このチラシ見ろよ、オレ字ィ読めねえけど、これスペースシップだろ?スペースシップの絵が描いてあんだからくれるってことじゃね?』
実際、キュウの差し出した大会のチラシにはそう書いてあった。
「ま……マジか…」
俺の触角が一瞬、興奮に逆立つ。もしも、
もしもキュウが決勝トーナメントで、勝っちまえば、
シップが手に入るってことか?これ……
いやまて。そんな簡単に勝てるわけない。不戦勝で勝ち上がったキュウが、いきなり優勝なんてそんな甘い話があるわけ…、
『勝ちゃいいだしょ?ルルサ虫くわせろよ、ねっ!』
「……勝てる気なのかよおまえ」
思わず触角をついて出た俺の問いにキュウはこう返した。
『だってお前が勝たしてくれるんだろ?』
まるで、俺が勝たせようと思ったら勝てないはずがない、とでも言うような言い方だ。くそ。
「……言うじゃねえか」
俺は舌打ちし、いつの間にか俺の膝の上で眠ってしまったデコの柔らかい体をそっと撫でた。寝ているはずのデコがむにゃむにゃと何か言いながら俺の腕に触手を絡ませてきて、情けない話だが、俺はその感触に、俺が決断しなくてはならないことを教えてもらった気がした。
「なら俺の指示ちゃんときけよなてめえ……。そこ約束すんなら、もう1皿だけルルサ虫食っていい」
やりい!と叫んでキュウはニッ、と口角を上げてみせた。
追加したルルサ虫をひょいひょい口に運ぶキュウを横目に、俺はこいつが勝てる方法を考えていた。
絶対的に必要なのは対戦相手のデータだ。それから俺の指示をちゃんと聞こえるようにするインカム。スタミナ強化も必須だ。1週間で大した事ができるとは思えないが……。
緑色の発泡ハイの瓶を傾けると最後の一滴がポタッとグラスに落ちて、終了。
「くそっ」
と、小さく毒づいた俺に向かってカウンターの隅の方から誰かがテレパシーを送って来た。
「お前が酒を好きなだけ飲めない理由は、だ。ジェットン=ジ=エット。1マッコイにもならんガロッツなんぞを2匹も飼っているからに他ならない」
カウンターの左端で生蟹酒のロックなんか呑んでいる円筒型のキュビク星人、あの暗い体色は間違いない、フジタ=ルーワニカ、このエンラエの店の数少ない常連の一人である。
「うるせえな……あんたはそれしか言えねーのか、フジタ」
顔を合わせる度に、二言目にはガロッツは無駄だだの飼ってろくな事はないだのぐちゃぐちゃと絡んでくるこの中年キュビク野郎が、俺は嫌いだった。何でも判ってるような顔しやがって説教たれてくるのも面倒臭い。てめえに俺やキュウやデコの何が判るって言うんだよ。
「お前、そのピンガロとできてるんだろう」
突然、言われて俺は総毛立った。ばれてんのか……?まずい、こいつまさか保健所に通報…
「ち、違ェよ!こいつは処分されかけてたから俺が引き取っただけで……」
「別に通報とか面倒臭い事をする気はないが、ピンガロなんぞに惚れるお前はつくづく愚かだなと思ってな……。金も無いくせに道楽で雑種の闘犬を飼うだけじゃ飽き足らず、とうとうピンガロにまで手を出したと思うと気の毒でならん。そんなに〈よかった〉か?こいつのテクニックは」
全部聞き終わる前に俺はフジタの円筒型の体の頭頂にあいた穴に手をかけ、力を込めていた。
「それ以上言ったらぶっ殺す」
「ふん……」
フジタは体を引き、
「お前の人生は絶対にろくでもない事になるぞ」
捨て台詞を吐いて勘定を済ませると、店を出ていった。
「ヒヒヒかっけえ!」
キュウが笑いながらルルサ虫を投げてきた。
「うっせえ」
俺は少し冷静になって恥ずかしくなり、突然膝から落とされてむにゃむにゃと目を擦っているデコを抱え、
「……帰るぞ。ちゃっちゃと食え」
席を立った。
翌日、俺はキュウを連れ出して52地区のドッグジムに足を運んだ。無料会員だと使える器具が限定されるのが腹立たしいが、様々な犬種に対応したトレーニングができる場所はここしかない。
『うえー、オレここ嫌いなんだよなァア~』
「てめえの好みなんか聞いてねぇっての」
『何かさあ、変なニオイしねぇ?ここ』
「うるせえな知るかよ」
前にも1度だけキュウをドッグジムに連れてきた事がある。初試合の前だ。その時は、こいつがふざけた使い方をして爪力加圧機をブッ壊した為、ろくなトレーニングもしないうちに逃げ出す羽目になった。
「お前、今日は機械壊すなよな……っておいっ!何やってる!」
『この水ウんメェエエエ!』
ミネラルウォーターのタンクに直接口をつけてがぶ飲みするキュウを、俺は慌てて引っ張ってきた。周囲の視線が痛い。
「てめえ言ったそばからふざけんな!あれは下の皿を使って飲む分だけ汲むんだよっ」
『ちょううめえ。おまえも飲めば?』
くそ…こいつ何言っても無駄か。
「まあいい、次飲むときは俺が汲んできてやるから。とりあえず、これやれ」
俺は負荷付きのガロッツ用ランナーマシンのスイッチを入れた。ベルトが回転し出す。単純な仕組みだ。
『んん?なにこれ』
「その上に乗って走るんだよ」
『はあ?なんで?めんどい。つまんねえ』
「つまんねくてもやるんだよ。お前、試合長引くと後半必ずバテんだろうが。持久力つけねーから勝てねぇんだよ」
『エー普通に道走ったほうがよくね』
「お前絶対途中でビール買って飲んだりバーチャルゲームやったりするじゃねえか」
『あのね。ビールとバーゲーはオレにとって呼吸のようなものなのよ』
「澄んだ目で言ってんじゃねえ馬鹿!とっととやれ」
実に不安だ。俺はキュウがさぼらないようしばらく見ていたが、30分もしないうちにこいつは
『のどかわいたジェットンみずーみずーもしくはビールぅ~』
と騒ぎ始めた。仕方なく水を汲んできてやると、ちょっと目を離した隙にもうランナーマシンから居なくなっている。何処に行ったかと思えば、バイツマシンのところで何やらゴソゴソやっている。キュウは雑種だがどう考えても噛み付いて攻撃するタイプのガロッツではなく、バイツマシンで顎を強化する必要はまったく無い。つまりこいつは、ただふざけているだけ。
『ひゃひゃひゃひゃなんだこれちょううける!ジェットン見ろよほら!これほらロボット!噛まれるためのロボット!ニヒャヒャヒャヒャ!かわいそ!二ヒャハハハハハ』
「……メシ抜かれたいんだなてめえ…」
『何ィイイイーッ!?』
大声を上げたキュウにまた周囲の視線が集まる。ガロッツファイトの熱心なファンも集まるこのドッグジムには、キュウの事を知ってる奴もいたのか、
「おォい、オッズキングがいるじゃねぇか珍しい」
「トレーニングする意味あんのか?おい」
などと野次が飛んできた。
『ふふん、お前らがオレに100万マッコイずつ賭けたら瞬殺で勝ってやんぜ!ただし儲けの5割はオレにくだせーい!』
犬語でそう返したキュウの言葉は、ガロリンガルを装着していない奴らには判らないだろうが、俺はほんの少し笑いたくなった。どれだけ敗けようが、決して自信を失わないのはキュウの良いところだと思う。まあ馬鹿とも言うのかもしれないが。
それにしてもキュウの集中力のなさは筋金入りだ。走り込み、爪力強化、負荷ジャンプとやらせてみたが、同じトレーニングを30分と続ける事ができない。何かしらに気をとられたり、どうでもいい話に興じたり、ジム内でかかっている音楽に反応して歌いだしたりしてしまう。
何というか……これトレーニングの意味ねぇんじゃねーの?という気になってきた。だが俺がここで諦めてしまっては、おそらくキュウはせっかく幸運にも切符を手に入れた本戦トーナメントで、優勝どころか一試合も勝てずに終わってしまうだろう。
そうなればスペースシップは遠い。デコはどうなる?
俺は少なからず焦りを覚えた。
デコは女神だ。あの日、窓からあいつが客を抱くのを見た瞬間、俺はそう思った。あれは愛そのものが具現化したような女だ。
あれがこの世からいなくなるなんて、俺には耐えられない。もしそんな事になったら俺は全世界を呪うだろう。
「キュウ、」
『うん?』
俺は休憩ロビーで栄養ドリンクを買ってキュウに渡しながら言った。
「真面目に聞いてくれ。……俺はデコを愛してる…あいつは俺の女神だ。幸せにしてやりたいんだ、処分なんて絶対だめだ、」
触角を下げ、俺はキュウに頼み込む。
「だから頼む、協力してくれ、親友のお前の力が必要なんだ……お前が勝てばデコは助かる、」
はっきり言って今回の賞品が必要なのは俺だ。キュウには別にこの大会にすべてを賭ける理由はない。悪いとは思っている、俺の勝手な計画に付き合わせてしまっているのだから。
『うんオレはさー……、ジェットン』
キュウは栄養ドリンクをチュルチュルすすりながら言った。
『アタマ悪ィからよ、お前とデコたんが言ってるアイだの何だのは正直、よくわかんねーんだよ。交尾とどう違うのかいまだにわかんねーし。だからさァ、お前からしたらあんま真剣じゃないっぽく見えっかもしんねーの。それはごめんな。でもよ、オレお前のこともデコたんのこともすきだからよ、できるだけやってやろうとは思ってんのね。うん……まあ時々忘れるけど、わかってるよ、マジでさ、勝つ気はあるんだ、忘れたくて忘れてるんじゃねんだ、ごめんな』
多分キュウにしては最大限頭を使って喋った言葉だったのだろうと思う。こいつがふざけているわけではないのは、よくわかった。集中力の問題は、キュウに内在する能力の問題であり、こいつ自身は俺やデコのために真剣に勝ってくれようとする気持ちを持っているのだ。
考えてみたら当たり前だった。馬鹿だし口は悪いが、キュウはやさしい奴だ。俺が欲している気持ちをいつだって惜しみなく放り投げてくれる。そういう奴なんだこいつは。俺がそれに報いる方法は、何とかしてこいつを勝たせてやる事しかない。
「キュウ……」
集中力だ、
引き出してやらなきゃいけないのは、こいつの集中力なのだと、俺はその時ようやく気付いた。
考えてみたらキュウは身体能力自体は他の犬に特別劣っているわけじゃない。後半バテるのは、集中力が切れて相手の攻撃を受けまくってしまうからだ。勝てない理由は、避ける事と当てること以外の事に意識が散ってしまうから。
キュウは時々、信じられないくらい鋭い攻撃を繰り出したりすることもある。あのクオリティをコントロールするのに必要なのは集中力なのだ。
「わかった……」
俺はキュウを立たせて肩を叩いた。
「お前やっぱバーチャルゲームやっていいわ。今からやり行くぞ」
『まじ!?』
いつもは途中でやめさせるバーチャルゲームを長時間やらせて集中力を鍛える。我ながらナイスアイデアだと思った。
『あっ!あ!ああ~!…あーちくしょ……もうちょいだったのにぃいい!』
空中に浮かんだGAME OVERの文字を蹴って、キュウは頭を抱えた。最初のうちはかなりすぐにミスが多くなる傾向にあったが、何回もやらせているうちに徐々に失敗の無い時間が伸びてきた。これは思ったより効果が出ているのかもしれない……。しかしさすがに、もう暗くなって来た。アパートに残してきたデコが心配だ。
「今日はこのぐらいにしとくぞ。帰ろう」
『腹減ったぬ』
「わかってるよ。ビードルパック買ってあっから、適当に何か作ってやる」
『いえいっ』
ポンコツグラウンドシップを飛ばしてアパートに帰ると、何やら様子が変だった。アパートの前に警察シップが停まっている。
「まさか…っ…」
慌てて階段を駆け上がる。いやな予感がした。冷たい手で心臓を握られているような感覚に、俺は胸を押さえた。
「ジェットン=ジ=エットさんですか?」
俺の部屋の前で警官が待っていた。
「……ああ、俺です。…何かあったんですか?」
『うーんこうんこ、ウンコー!ウンコッウコー』
俺の後ろからどうしようもない歌を唄いながら階段を登ってきたキュウを一瞥してから警官は言った。
「あなたの飼っているガロッツはそのガロッツだけですか?」
「そうですよ」
「用途は?」
「闘犬です」
「雑種なのに?闘犬登録証はありますか」
「雑種は闘犬に使っちゃいけないなんてて法律、ありましたっけ?」
俺は財布からキュウの登録証を取り出し、警官の長い鼻先に突き付けてやった。
「いいえ。確認したかっただけです。この辺りで用途未登録のガロッツを飼っている家があると聞きましてね……念のためもう一度お尋ねしますが、あなたのガロッツはこれ1匹ですね?」
「そうだって言ってるじゃないですか」
「一応、家の中を確認させていただいてもよろしいですか?」
いいわけねぇだろクソッタレがっ!俺は内心心臓が止まりそうになっていた。返事なんかできない。が、警官は俺の無言を了解と受け取ったのか、
「すみません、では鍵を」
などと言いやがった。俺は手の震えを隠しながらキュウに視線を送った。
キュウ!
たのむ、中のデコに隠れろって言ってくれ!犬語なら警官にはバレねえ、
『……あ、そっか、』
キュウは俺の意図を察してくれたようだった。
『おいデコたん!けいさつ!けいさつきたから隠れとけ~!』
扉を開く前に突然ワンワン騒ぎ出したキュウに警官が不審げな視線を送る。くそ。
「すみませんね…うちの犬、家に入る前に騒ぐくせがありましてね…縄張り意識の強い犬種の血が入ってるんですよ」
ああ何か逆に言い訳したらうそ臭くなった…くそ。やばい、デコ…っ!
ドアを開けると警官が押すように部屋に入ってきた。
「画ビョウ落ちてるかもしれないから、ゆっくり歩いたほうがいいすよ」
俺はさり気ない動きで冷や汗を拭いながら、出来るだけゆっくり靴を脱いで警官の動きを妨げた。
「これは?」
警官は床に幾つか転がったままになっていた不定形生物用シャンプーの空き缶を拾い上げる。
「ああ、そいつはこの、キュウの爪力トレーニング用に処理場から、も、もらって来たんですよ。よしキュウ、やってみせてやったらどうだほら、穴、」
『ぬな?いつもやったら怒るじゃねーか』
「いいから、はい」
俺が普段全く使わない犬笛をでたらめに鳴らすと、キュウはようやく意味を理解したのか、大きく深呼吸した後、缶を投げ上げ、
『だとつっれっぷーけんッ!そいそいそいそいニャニャニャニャニャニャー!』
バーゲーの必殺技名と訳のわからない掛け声と共に、爪で空中の缶を滅多突きにした。粉々になった缶の残骸を見て警官は
「なるほど」
とだけ言って、ホログラム新聞を跨ぎ、部屋の奥へと進む。納得しきっていないのだろう。俺は警官の背後で、散らかった床のどこにキュウ用のバーベルがあったかを目で確認した。いざとなったら、アレで警官をぶん殴るしかない。もしくは…、
「………」
警官が無言で、不定形生物用の必須栄養素シリアルの箱を手に取った。
「……ッ!!」
俺はバーベルの落ちているすぐ傍に移動する。くそっ…くそっ…ものすごくやべえ……っ。デコは不定形生物のモマ犬、キュウは雑種だが完全に骨格のある系統の犬だ。必須栄養素がまったく違う。
「これは……、」
言いかけた警官の手から箱をひったくり、俺は自分の口の中にデコ用のシリアルを思いきり流し込んだ。
「ェエエエエエ!?」
ポーカーフェイスの警官の顔がこの時初めて驚愕に歪んだ。俺は今世紀最大にいいはにかみ笑顔で
「すいません……いや、ほんとにお恥ずかしい話なんですけど俺、不定形生物用の餌が好きで…。てゆかまあ…正直言うと、俺が不定形ガロッツで彼女が飼い主、みたいな、プレイですよね要するに……。たぶんご近所さんにもその辺りから勘違いされたんじゃないかなぁって、…いやほんとに、恥ずかしい話で申し訳ねぇす…」
ちょっと外聞的にもアレなんで、出来れば何とぞ秘密という事で、と、俺は警官になけなしの12万マッコイを握らせる。
「あ、あ……まあ、プライベートな事は自由ですから…、しかしあんまり紛らわしい行為は周辺住民の迷惑になりますから、気をつけていただきたい」
警官は完全にドン引きした顔で、しかし金だけはしっかりポケットにしまい込んでそそくさと俺の部屋を後にした。
『プレイって!プレイなのかよ!ブークククク!おまえおとこらしすぎる!エロ男爵か!』
「ぐっ……うるせ、」
キュウのからかいに反撃してやりたかったが、不定形生物用シリアルが胃から上がって来そうになり、俺は何も言うことができなかった。うおお気持ち悪ィ……胸がイガイガする…
「……フーッ…」
俺がソファーに倒れ込むと同時にデコがどこからかピョンと飛び出して来て、俺の身体に触手を絡ませ始めた。
『ジェットン、キュウたんもありがとうー。わたしもうだめかと思ったよ』
「お前どこにいた?」
『バーベルのうらだよ』
それを聞いて俺は寿命が縮んだ気がした。待て、むちゃくちゃ近かったじゃねえかおい…。ていうか俺がバーベルで警官殴ろうとしたらその瞬間……
「あぶねぇ…な、なんでそんな所に居たんだよ!」
『ん~ごめんね。最初は床の雑誌とかが落ちてるとこの下に平らになってじっとしてたんだけど、ジェットン、バーベルでけいさつを叩いちゃおうとしてるみたいだったから止めようと思ったの』
「…………」
ああそうか、警官をぶん殴ったらどうなるかぐらいデコにも判っていたのだ。シャス16星出身の俺の力じゃムルト星人の警官は気絶もしやしないだろう。そして俺はきっとこう言ったはずだ。
俺が時間を稼いでいるうちに、逃げろ
と。
〈もうひとつ〉の方法を選んだからよかったようなものの俺はやはり冷静ではなかったのだな、とつくづく思った。
『みんな無事でよかったねぇ、ジェットン、わたしありがとうがしたいよ』
デコが俺の下垂体を羽毛のように変化させた触手で撫で回し、俺は小さな呻き声を上げてしまった。
「う……、メシ作らねぇとなんねぇから、後でいいよ、」
『そう?』
「うん……」
正直言って身体はそのままデコとセックスしたいに決まっていたが、キュウが腹を空かせている。デコが助かったのはキュウが話を合わせてくれたせいでもあるのだ。俺はデコを愛しているが、キュウの事も大切なので、衝動に耐えてソファーから立ち上がった。
「一応、昼間は犬ジム行ってきたから、こいつにマッサージしてやってくれ。エロ無しでな」
『うんわかった。キュウたんにもありがとうしなきゃと思ってたの』
無論、セックス程ではないにしろ、デコはマッサージが上手い。キュウが連戦中の時は大分世話になった。
『キュウたん、おいでおいで。デコがマッサージしてあげる』
「まじ!やった!」
読めもしないテレパシー言語雑誌の立体絵だけを見ていたキュウは歓喜に飛び跳ねた。
ゴロッとした形の悪いビードルをパックから開けて刻んでから、俺は今さらながら深々ともう一度、安堵のため息をつく。同時にふつふつと怒りが沸き上がってきた。
畜生、
テレパスがねえからって、多少頭が悪ィからって、次代記憶が引き継げねぇからって、精神中枢核がねぇからって、なんでガロッツと人間の間に愛があっちゃいけねぇんだよ。
ガロッツは、人間の道具か?違うだろ、
俺はキュウが闘犬をやめたいと言ったらやめさせる。だがやめた後だって俺とあいつの関係は変わらない。俺とキュウは親友で、相棒だからだ。確かにガロリンガル経由で会話までしている奴は多くないかもしれないが、闘犬とブリーダーってのは信頼がなきゃ始まらない。闘犬とブリーダーの友情物語なんてのだって、世の中には溢れている。
友情があるんなら愛だってあるだろうが。
俺はキュウを親友として愛している。ならデコを恋人として愛していけない事があるか?
『キュウたん、』
リビングからデコとキュウの声が聞こえてきた。
『ん?』
『ときどきジェットンをとっちゃってごめんね。でもジェットンもわたしもキュウたんのことあいしてる。いっぱいいっぱいうれしいをありがとうね』
『んー……オレ馬鹿だからよくわかってねえけどよ、オレ、ジェットンには何でもしてやるつもりだからよ、あんたはジェットンの大事なもんみたいだから、オレもデコたんのこと大事にするだよ。オレこじんもデコたんすきだし…あ、あ、そこヤバイそこあああん』
『えへーありがと。キュウたんはジェットンのサイキョウのたたかうともだち。わたし頑張ってマッサージするからね』
くそ、何話してんだよ
俺は少しばかり泣きたくなった。
てゆうか泣いた。くそ、バーミーチャップの粉が目に入っただけだって言うしかねえ。
年がら年中カネの事ばっか考えて、底辺の連中を見下したり、上の連中を憎んだり、同等の連中と啀み合ったりしている人間なんかより、こいつらのがよっぽど心がまともだ。ガロッツに心が無いなんて言う奴がいるが、そいつらは馬鹿だ。何も判っていない。精神中枢核なんかなくたって、こいつらはこんなに……、
スペースシップを手に入れたら俺たちは長い旅に出よう。天国の惑星は遠い。途中途中の惑星で闘犬やって荒稼ぎしながら自由気ままに宇宙を冒険してゆくのだ。
俺の、俺たちのロマンは目の前にある。罵られようが蔑まれようが構わない、どんな姿を晒したって、掴んでやる。ビードルにバーミーチャップをからませながら、俺はそう誓った。