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ガロッツのブルース  作者: T長
case-05
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大気圏外からのリンダリンダ、金切り声で



――みどりろ、とんがってる 〈船木祐馬〉


 おかあさんはぼくのことがだいじじゃないんだ。

 船木祐馬はそう結論付けた。そうでなければ、母が昨日メカギャオランのおしゃべり貯金箱を買ってくれなかった事も、今日、自分を祖母の家に預けて出かけてしまった事も、説明がつかなかった。

 3歳の祐馬は、理不尽、という言葉こそ知らなかったものの、感覚としてはそれに近いものを抱いて、ずっと眉間にしわを寄せていた。未だ母親と祖母以外の人間をほとんど知らない祐馬にとって、母親は、自分ひとりのために存在する生き物である。自分が泣けば母親はすぐに現れなくてはならない、また、こうして眉間にしわを寄せていれば、すぐに抱き締めてくれなければならないはずであった。

「ゆーちゃん、おかあさんは、お出かけだからね、我慢しようね」

 必死でなだめようとする祖母の言葉にも、祐馬は返事をしなかった。祖母には悪いが、自分は今すごく怒っている、というアピールを、母親が現れる前に止めてしまっては意味がない。態度を軟化させるのはまだ早いのだ。

「ゆーちゃん、」

 祐馬は頭まで毛布を被って眠ったふりをした。隣の部屋から電子音が鳴り、

「あらら、おばあちゃんちょっと電話出てくるね」

 と、祖母は腰を上げた。ひとり部屋に残された祐馬は毛布の隙間から顔だけ出して外の様子を窺う。

 母親はまだ現れない。

 毛布ごとドアの所まで這って行き、覗いてみるが、廊下にも母親の気配はなかった。祐馬はサッシ窓を振り返る。

 あそこからくるかも

 毛布を引きずって窓に近付く。磨り硝子の向こうで緑色の木が揺れ動いているのがわかった。母親が隠れているのだ、と思い、祐馬はサッシ窓に手をかける。

 からり、

「!!」

 緑色の木が跳ねた。否、それは木ではなかった。では何なのかと問われても未だ世界を知らない3歳の祐馬は答えを持たない。だがその問いにはたとえ大人でも、彼の母や祖母だったとしても答えられなかっただろう。緑色で、巨大で、先の尖った手と足、尻尾……、

「……だれ?」

 祐馬は尋ねた。緑色のものは大きくて真っ赤な目玉をギョロリと動かして、

「だれ?」

 祐馬の言葉を復唱した。




――本当はとっくに諦めてたのかも知れないのに 〈及川麻江〉


 社会の理不尽さの直撃を受けた大人こそ、パンクロックをやるべきだ。

 なんて言ってた私ももう二十歳を越えてしまい、理不尽にもとうに慣れ、どうでもよろしい広告代理店の事務方OLとして黙々と仕事をしているという訳だ。

 変わらないものなんて無いんだと思う。気付かないうちに、ゆるやかなグラデーションを描いて、世界は退廃してゆくのだ。どんな抵抗をしても無駄。あれほど頑なに拒んでいた鳥飼柚子の死ですらも、近頃の私は受け入れ始めているのだから。


 鳥飼・デストロイ・柚子が行方不明になったのは、高校二年の秋だった。私と船木あかり、柚子(ゆずこ)の3人は中学からの同級生で、高校も一緒、The Zugaycotsというバンドを組んでいた。それはそれはひどいバンドだった。仮にもガールズバンドであったにもかかわらず、演奏はムチャクチャだわ禁止用語連発するわ物は投げるわ嘔吐はするわで、今思い出しても最高のバンドだったと思う。

 最高にひどかったのは学祭ライブ。ベースの私は不協和音を奏でながらスピーカーを蹴り倒し、ドラムの船木は奇声をあげてドラムじゃないものを叩いて破壊し、そしてボーカルの柚子はなまはげの格好をしてステージに現れ、レプリカの出刃包丁を振り回しながら観客席に突っ込んだ。

「泣く子は××××!」

 The Zugaycotsの代表曲である。他に〈キ印良品〉とか〈アバラぼね骨折大王〉なんて曲もあった。歌詞を妖怪ネタに勝手に変えてブルーハーツのカバーとかもやった。

 近所の男子校の生徒がいっぱい来ていたけど、みんな失禁寸前の顔で呆然となっていた。まさか女子校の学祭でなまはげに襲われるとは思わなかったのだろう。あれは本当に最高だった。

 ともかく、そんな滅茶苦茶な学祭も終わって数週間経ったある夜、鳥飼柚子は突然いなくなった。あまり語りたがらなかったけれど柚子は事故で両親を亡くしており、親戚と暮らしていたのだが、当初はそのあたりが原因の家出ではないか、なんて言われていた。大きな間違いだ、鳥飼柚子はそんないじけた事はしない。私と船木はそう主張したのだけれど、警察はなかなか動き始めてくれなかった。捜索が開始されたのは最初の晩から6日後。始まってからは警察もかなり真面目にやってくれたとは思う。でもまったく、何の手がかりも見つからなかった。ほんの2日前まで部室で、

 おまえも蝋人形職人にしてやろうかーっ

 などと歌っていた柚子が、何の挨拶も無しに一晩で跡形もなく消えてしまったのだ。

 事故或いは事件に巻き込まれた可能性が高い、最悪の事態も……

 1年経った頃、警察からそんな説明を受けたが、私と船木は決めていた。柚子は死んでいない。死ぬわけがない。奴はどこかで絶対にしぶとく生きている。見つからないのはきっと、

「妖怪とかけおちしたんだよ」

 という船木の説を、私は信じた。柚子の赤いギターには水木御大のカラス天狗とガシャドクロのシールが貼ってある。

 ぜったいそうだ

 柚子は居る、どこかに必ず居る、

 子供じみた考えである事は当時も自覚していた。それでも、当時は心の底からそう信じていたはずなのだ。


 今は、わからない。あの時あの頃、自分がどんな気持ちで船木の言葉を信じたのか、思い出せない。


 十月十七日、

 私と船木は今年も、ファミリーレストラン・セイデリアで待ち合わせている。柚子がいなくなった日だ。特に何をするという訳でもない、ただ昔話をするだけなのだが、私たちは何かに縋るかのように毎年、この定例会を行っている。

「麻江~遅れてごめ~ん」

「罰としてドリンクバーとってきて、私の分も。エスプレッソ」

 ふわふわした声を上げて現れた船木に、私は形だけの文句を返す。船木はエヘと笑って、ギターケースを背負ったままドリンクを抱えて戻ってきた。

「元気だったあ?」

「まあふつう。船木は?祐馬どうしてる」

「うーんまあまあ元気~。ユーはお母さんにあずけてきた~」

 船木ともこの日以外はほとんど会うことがなくなってしまったが、若くしてシングルマザーになってしまった彼女は彼女で、ストレートに元気とは言えない苦労があるのだろうと思う。オレンジジュースのストローに添えられた船木の爪は、かつてはしゃれこうべのアートで飾られていたものだが、今は何も塗られておらず、白い傷がたくさん付いている。

「ね~見たあ?向かいの焼鳥屋さんなかったよ~」

「うん。昔の店だいぶなくなっちゃったね」

 いつの間にか、なくなっている。このレストランも私たちが高校生だった頃は、喫茶UFOという小さな店だった。

「柚子は元気かなぁ」

 船木の漏らした言葉に、私はどきりとする。

「何かやらかして警察のお世話になってなきゃいいけどね」

 下を向いたままそう答えた。あきらめかけている、喫茶UFOが、焼鳥屋が、いつの間にかなくなってしまったように、私の心の中で信じる気持ちが、気付かないうちに、どこかに薄れていこうとしている。

 船木はどうなんだろう?

 ふとそう思った時、船木が思いがけないことを口にした。

「もしかしたらもうあたしみたいに子供いたりするかもね~」

「え、」

 誰が、と私は思わず口に出してしまう。船木はキョトンとした顔で続けた。

「柚子だよう、だってさあ柚子って時々すごくおかあさんみたいってゆうか、そういう顔する時あったじゃん。麻江はおかあさんてゆうかおとうさんっぽかったけど~、」

「誰がお父さんだよ」

 突っ込みを入れつつも私は内心、愕然としていた。船木の発言に、ではない。ショックだったのは、私の脳内に住むまだ生きているはずの柚子の姿が、高校生のままだったことだ。

 私たちと同じように年をとっていていいはずの柚子の顔を、体を、生活を、私は想像だにしていなかった。

 それは私が、私自身が、

 もうあきらめている証拠であるような気がして。

 ふいうちで涙が零れそうになり、私は慌てて席を立った。

「ドリンクとってくる。なにがいい」

「オレンジ~」

 船木はにっこりと、しかし淋しい笑顔でそう言った。


 2時間ほど喋って店を出た後、私と船木は懐かしき高校まで散歩をした。毎年恒例の流れだ。母校は既に中高一貫となっており、校舎も全く違う外観へと変貌を遂げていたが、年齢不詳の老婆が経営する学校裏の駄菓子屋だけは健在で、少しほっとした。

 くだらない駄菓子を買い込んでから、そのまま公園へ赴く。ブランコに座って駄菓子を食べながら少しばかり昔の話をして、私たちは別れた。

「じゃあ、また」

「来年ね~」

 船木が両手でギターを抱えて私に寄越す。ケースには水木御大の妖怪シールが、これでもかというほどベタベタと貼られている。

 柚子のギターだ。

 今度は私が保管する番。これも恒例の流れだった。


 マンションに帰宅する頃には夜が来ていた。来年なんてすぐだ。いつからこんなに時間の過ぎるのが早くなってしまったのだろう。皆目見当がつかない。何もかも取り返せないスピードで過ぎ去ってゆく。けれど悲しむべきなのは、最近過ぎ去って行ったものの中に本気で取り返したいものなど一つも無かったことの方だろう。

 柚子、

 私が取り返したいものは、柚子だけだ。子供の居る、変化した柚子を想像出来る船木は、一見頼りないようだけれど本当は私よりもずっと強いのだと思う。

 柚子は生きてる、

 尋ねればきっと船木はまだはっきりと、そう答えるに違いない。勿論私だって柚子が死んでいるなんて思いたくない、薄れかけてはいたって、まだ心の底では生きているかもしれない希望を捨てきってはいないつもりだった。そのつもりだったのに、

 私は十七歳のままの柚子がどこかで生きているなんて、そんな100%有り得ない映像しか思い描いていなかった。いつの間にか柚子は私の中で既に、二度と取り返せないものの1つとしてカウントされてしまっていたのだ。

私は、失ったものを、失ってしまった、とただ嘆いている。取り返すことはおろか、失ってなどいない、と叫ぶことすら出来ず。ただ高速で走る時間に乗って、行き先も見ずにすすり泣いているようなものなのかもしれない。

 無性に悲しくなった。

 なんで

 いつから、

 私はこんなになってしまったんだろう。

 今日会ったばかりなのに船木に電話をかけたくなる。コートのポケットを掻き回す手が、空を切った。

「あ、」

 無い、携帯。


 ファミレスには無かった。という事は、盗まれたか、若しくは母校の付近を散歩していた時に落としたのかも知れない。探す時間はあるだろうか。私は終電の時刻を思い出し、駅前の電光掲示板に映し出された時計を確認して逆算する。

 夜の高校の前を早足に通り過ぎながら、ふと、くだらない気持ちになった。

携帯ごときでなぜこんなに、必死になる必要があるだろう?明日の仕事に差し支えるから?個人情報が盗まれるから?

 違う、他にする事が何もないからだ。必死になっているふりをして、大切なものでもなくしたかのように、

「馬鹿馬鹿しい、」

 私は歩くスピードを緩めた。馬鹿馬鹿しい、本当に。

 いつだったか、柚子が携帯にキレたことがあった。校内合唱コンクールの練習に出ろ、と、クラス委員から電話がかかってきたからだったと思う。

「もー!」

 柚子は電話に出なかった。代わりに、鳴り続ける着メロにあわせて歌い出した。有名な妖怪アニメの主題歌だった。

 おばけはしなない~、とか何とか。

 曲が切れるまで歌っていたあの時の柚子の金切り声を思い出し、私は僅かに吹き出した。

 公園の街灯が目に入る。誰もいないブランコの下に、小さな長方形が落ちていた。

 何だ、あったよ……。

 屈んで携帯を拾い上げ、頭を上げた一瞬、公園奥の雑木林が私の視界に入る。

「ん?」

 一度携帯に目を落とした私は、再度雑木林に視線を移し直した。何か妙なものを見た気がして。

 二度見したものの、実際には、それほど妙なものでもなかった。おそらくは母校の高校生だ。制服を着たロングヘアーの少女が、木々に隠れるようにして黒い空を見上げている。私たちにもそんな頃があった。思い出す事はできても再現することはできない。

 薄暗い街灯の明かりに、通り過ぎた車のライトが加わって、少女のディテールがさっきよりはっきり見えてくる。

 いや待て、やはり妙だ、だって、おかしい、

 私の喉は勝手に唾を飲み込んだ。

 雑に切りそろえた前髪、ポカンとあけた口、そんなはずはない、だって、

 速度を増した私の脈拍に重なるように、少女が声を発した。唐突に。

「やっべぇえなぁもう~」

 私は、私の脳が確信を抱く前に、既にその名を口に出してしまっていた気がする。

「……柚子、」


「………?」

 柚子の、僅かにつり目気味の大きな目がこっちに焦点を合わせるまでの数秒間、私の心臓は沸騰したようにバクバクと速度を上げ続けた。何だか頭がじんわり熱い、私はきっと夢を見ているのだと思う。

「わ、」

 つり目がパチリとまたたいた。

「わぁあああうっそ!麻江だ!麻江がいるううう!!」

 あれから七年も経っているのだ。少しも変わってないなんて事があるわけない、やはりこれは夢だ。夢の中の柚子は変わらぬ瞬発力で駆け込んできて、私の体を抱きしめた。

「すっげえ、本当に麻江だァア!何であたしがここに来るってわかったの!?すげえよ!すごすぎて気持ち悪ィよ!何だよコレ!」

 本当に最高の夢だよ。私は笑いたかった。笑いたいのに、どうしてかゆるむのは涙腺ばかりで、声が出せない。

「どこ……行ってたんだよ……ばかやろう…」

 ようやく吐き出した私の言葉に、柚子の馬鹿は

「宇宙のかなたカンダハルだよ」

 なんて言いやがって、けれどそれで私はやっと笑うことができた。

「カンダハルじゃない、イスカンダルでしょ、ばかだなぁお前……」

 何でもいい、夢でも何でもいいよ、柚子。あんたにまた会えたなら私は、もう何だっていい、

「おかえりゆずこ」

 私は柚子の体を抱きしめ返した。あれっ、

「なんかお前巨乳になってない?」

「ウヘヘヘ」

 柚子は奇妙な笑い方をして、そして衝撃の事実をさらっと告げた。

「あたし結婚して子供産んだからな」

 なっ、にっ?

 私は一瞬固まった後、柚子の頭を両手で掴んで引き離した。

「あんたが!?デストロイ鳥飼が!?だ、誰と!」

「ククククク……」

 柚子はニヤニヤと笑った。

「聞いて驚け麻江、あたし運命的な出会いをしちゃったんだぜウヘヘ」

「だから誰とよ!あんた妖怪としか結婚しないんじゃなかったの!?」

 そうなのだ。The Zugaycotsのギターボーカル・鳥飼デストロイ柚子は、妖怪を愛していた。水木御大を神と呼んで憚らない、妖怪フェチだった。人間の男の×××なんかこっちから願い下げだね、なんて言うくらい。

「あたしもそのつもりだったんだけど、出会っちゃったモンはしょうがねぇべよー」

 うわ何だそのエロい目。私はこの時、本能的に確信した。

 生きてる

 この柚子は私の願望が作り出した幻でも夢でも幽霊でもない、

 今、現在進行形で生きている、そしてそれなりの変化も経験した正真正銘の、

 生きているトリカイユズコだ、と。

「麻江くるしい」

 私は再び柚子の体をギュウギュウと抱き締めていた。


「そんな訳でさー、せっかくの再会だけどちょっとバタバタしてんだよう」

 一気に喋り終えた柚子は、悪ィね、と笑って頭を掻いた。私は、というと、返す言葉も失ってポカンとしていた。だって、


 7年前のあの日、UFOにさらわれて、タコ型宇宙人に捕まっていたところを、同じく別の星からさらわれて来た緑色の宇宙人に助けられて、その緑色宇宙人と結婚して息子が生まれて、親子3人で宇宙強盗やってて、そしたらある宇宙船を襲った時に息子が事故ではぐれてしまって、宇宙警察から逃げながら今は息子を追いかけ中、


 だなんて、そんな話を聞かされたら誰だってそうなる。有り得ない、という台詞すら出て来なかったのは、柚子がいなくなった当時とほとんど変わらない姿をしていたからだ。

 超光速で動く宇宙船に乗って宇宙に行って帰ってきた人間は、その間、地球で普通に生活していた人間よりも歳をとっていないはずである。と、相対性理論の本に書いてあったのを私は覚えている。原理は忘れたけど。柚子の話はまるで荒唐無稽なマンガだ。でも、アインシュタインがそう言っていたのなら、そして実際柚子にその通りの現象が起きているのなら、信じない訳にはいかないではないか。それにそれより何よりも、

 私にこの話をしているのは鳥飼デストロイ柚子だ。柚子だったら、或いは、それぐらいの事はしてしまうかもしれないと、

 ああそうだ、私はあの頃、柚子と居ると常に何か無駄にわくわくする気持ちを抱いていたのだ。何かが起こるって、そう、このぐらいとんでもない何かが……

「それでさ、宇宙警察があんまりしつっこいから、まこうと思ってどっか近くの星に降りようってことになったんだけど、それがたまたま地球でさ、我が懐かしの。だからどーせならってんで日本にしたんだ、麻江や船木に会えるかもって思ったから」

 でもまさか本当に会えるなんてなー、キモいくらい奇跡だよ、奇跡、と言って柚子はニカッと歯を見せた。

「あんたはもう……何でも唐突過ぎんだよ…」

 私は放心した息を吐き出した。

「7年ごしだよ7年ごし。いなくなんのもいきなりなら、帰って来るのもいきなりじゃん……なんか、若いしさ」

「電話とかできなくてごめんね麻江。怒ってた?」

 柚子はそこで初めて、ちょっとだけしおらしそうに眉を下げた。でも眉の下の二つのつり目は全くもって反省の色無しで。

「もういいよまったく……」

 私は柚子の頭をポンと小突くだけにした。そりゃあものすごくものすごく心配した。だけど柚子だ、鳥飼デストロイ柚子だから仕方がない。

「で?まいたの?警察。私と船木にあんたの噂のダーリン紹介してくれる時間はあんの?」

「それなんだけどさー」

 柚子はウヒッと笑って両手を合わせた。

「ちょっと困ったことになってて、手伝って欲しいんだよねー。いーい?」

「宇宙人と戦えとかじゃなきゃね」

「………」

おい、なんで返事をしないんだ。


「ん~?もしもし~」

 電話口の船木はゆるい声で返事をした。

「船木、いまどこ。もう家着いた?」

「んーん、ユーにお菓子買ってくから、ハトセン寄ってた」

「じゃあまだ市内か、今からちょっと来れない?車、車あると助かる」

「いいよ~。どこ」

「タコ公園。急いで」

「は~い」

 さすが船木だ。理由も聞かない。まあただボーっとしているだけかもしれないけれど。

「呼んだ。たぶん10分ぐらいかかる。あんたここで待ってて。いい?誰か来たら映画の撮影準備って言うんだよ。私、そこのTOTOSでブルーシート買ってくるから」

 携帯を閉じてコートにねじ込み、私は柚子にそう指示した。

「ヨイヨイサー!」

 敬礼のポーズをとる柚子を後に、私は高校の頃よく利用したホームセンター・TOTOSへと走った。まだあってよかった。

 交差点を斜めに渡って、店内に入るとあの頃と同じ脳天気なシンセサイザーのBGMが鳴っていて、少し顔がにやけた。いかん、今はブルーシートだブルーシート。

 柚子の頼み事とは、こういう事だった。


 宇宙警察がしつっこいからさ、あたしとダーリンは一回、別行動してまこうってことにして、バラバラに逃げたの。タコ公園で待ち合わせって事にして。あたしの方はまあ何とかなったんだけど、ダーリンが来ないんだよ。てゆか忘れてたけどダーリン地球人じゃないじゃん?なんか宇宙警察じゃなくて地球警察に捕まったりとかしてんじゃね?って思って、やべぇ探さなきゃってなったんだけど、宇宙警察まだウロウロしてるからうかつに動けなくて困ってたんだよね、あたしたちのロケットさんも置きっぱにしてる間に見つかっちゃって待ち伏せられちゃったらヤバいし。

 どうしたらいーかなー?


 言いながら柚子が指差した先、タコ公園の雑木林の薄暗がりの中に、巨大で銀色の、細長い卵のような、もはやUFOとしか言いようのない物体が佇んでいて。

 荒唐無稽だとか何だとか騒いでいる場合じゃなかった。とりあえず先ず、これ隠さないと、宇宙警察どころか地球警察にしょっぴかれる事になる。血の気が引いた。

 あんたこんなもん丸出しで公園にほっぽりだしてバカなの?と口に出して言う前に気付く。あ、そっか、バカなんだった。こいつバカなんだった。

 既に私の身体は私のパートを思い出していた。

 ベースだ、

 どんどん走りまくって滅茶苦茶になるギターと、てんでマイペースなドラムをなんとか曲にしていたのは、

 問題になりそうな行動を起こしても問題にならないよう予め手を打っておいたのは、

 冷血ベーシスト・及川・ケルベロス・麻江、この私だっただろ馬鹿野郎なんで忘れてたんだよ。

 店にあるブルーシート全部と、黒黄縞の紐1巻、それから〈工事中ご迷惑おかけいたしますプレート〉3枚をひっ掴んで高速でレジに飛び込んだ私は、怪しまれぬよう、店員に向かって冷静にこう告げた。

「領収書。上様でいい」


 車でやって来た船木にも手伝わせて、3人で銀色の卵型UFOをブルーシートで隠した。周囲を黒黄縞の紐で囲って、〈工事中ご迷惑おかけいたします〉のプレートをかけた。

「とりあえずはこれで良しか……じゃあ船木、車」

 振り返ると船木が柚子の胸をむにむにと触りながら自分の頬をつねっていた。

「わー夢じゃない~。ほんとにユズコだ~。ユズコおかえり~おかえり~」

 船木の目からこぼれた涙を制服のスカーフで拭って、柚子が船木を抱きしめる。

「ただいま船木」

「うん」

 なるほど、

 私は船木が昼間セイデリアで、「柚子は時々母親のようだ」と言った意味を少し理解した。

「ほらお前ら行くよ。積もる話は車の中でもできるでしょ、早く柚子のダンナ探さないと」

 声をかけると二人は抱き合ったまま顔をこっちに向けて

「は~いパパ」

「ぶラジャー上官!」

 などと言い、ああ何だか街灯の明かりが薄暗いせいなのか船木までもあの頃の船木のように見えてきて、私は つい

「うるせえ早く乗れ」

 と、二人の頭を小突いたりしてしまった。


 The Zugaycots

 後部座席:鳥飼デストロイ柚子ギター・ボーカル

 運転席:船木アンデッドあかり(ドラム)

 助手席:及川ケルベロス麻江ベース


「ザージザジザジザジ、ダァアアリィイインやああああーい!」

 大してスピードを出しているわけではないはずなのにやたら荒っぽく感じる船木の運転に揺さぶられながら、柚子が窓から歌うように怒鳴った。

「そんな大声出したら宇宙警察とかいうのに見つかっちゃうんじゃないの」

 私が言うと柚子は犬のように大口を開けたまま

「見つかったらソッコーで逃げんべよ!麻江見張ってて!上っ!渦巻きが出るからすぐわかるぜ」

 そう答えて、

「あ、でかくてカッパっぽいカラス天狗見つけた時も言ってね、それダーリンだから」

 と付け加えた。

「え!?ダンナそんななの?」

 想像できない。てゆうかそんなのいたらもう誰かに捕まってんじゃないの?テレビとか来て。

「ユズコはつまり~妖怪と結婚したの~?」

 船木は先ほど柚子が説明した話をよく聞いていなかったようだった。

「ばっか船木何聞いてんのザジは宇宙人だってば。しかも最強宇宙人ね。ガシャドクロ並みに強いかんね、ちょっとぼーっとしてるけど」

 柚子が少し目を細めて窓の外を凝視しつつ自慢げに笑った。

「へぇ~そうなんだ~」

「基準がわかりづらすぎだろ……」

 船木の適当な相槌のあと私はそう呟き、そしてふと上空に妙な模様が浮かんでいる事に気付いた。

 半透明の、

 カメラのシボリのような奇妙な、

「おい、柚子あれ、」

 後部座席に手を伸ばして頭を叩いてやると、柚子は私の指し示した空を見て

「やっべ警察だぁあああ」

 と、叫んだ。なぜちょっと笑いながら言うんだこいつ、ホントにイカレてる。私は先ずそう思ってしまってから、上空の未確認飛行物体への驚きより先にそんなことを考えている自分も充分にイカレているのではないか、と気付いた。




――ぜったいほんとにそうなの 〈船木祐馬〉


「ハンバーグ、ぽっけにいれてきたよ、食べる?」

 暗い部屋で声を殺して、祐馬はクローゼットの中のものにそう尋ねた。

「たべる」

 緑色の生き物は、ギザギザの歯の生えた巨大なくちばしを、あもっ、と広げる。祐馬がその中に半分残したハンバーグを入れると、生き物は紅く光る目を細めて一息にそれを飲み込んでしまった。

「ザジ、おいしい?」

 覗き込んでそう訊くと生き物は大きく頷いて、たどたどしく質問を返した。

「これ、にく?」

「ハンバーグだよ」

「はんばく……」

 片言ではあったが、生き物は喋ることができた。祐馬は生き物から、彼がザジという名前で、宇宙人であること、何かを探していること、それは隠れて探さなければならないものだということ、そしてお腹が空いていることを聞き、部屋に招き入れてクローゼットの中にかくまったのだった。

 祐馬はザジに恐怖を感じなかった。ザジはその恐ろしげな容貌に反してとてもおとなしかったのだ。鋭く硬い爪を生やしてはいたが、彼は部屋の中の全てのものに対してとても恐る恐る、まるでガラス細工でも扱うかのような手つきで触れた。真っ赤な瞳はアニメ映画に出て来る悪魔にも似ていたが、ぱちぱちと瞬きをして自分を見つめる眼差しを、祐馬はむしろウサギの目のようだと感じた。

「おそと暗くなったよ」

 祐馬はカーテンの隙間から窓の外を覗いてザジに言った。ザジはクローゼットからヒョコッと頭だけ出して

「ゆーま、そと、ぐるぐるする、した、やつ、あるか?」

 と尋ね返した。

「ぐるぐるしたやつ?」

 祐馬はもう一度外を見回すが、〈ぐるぐる〉がどういうものなのかよくわからなかった。

「どんなの?大きい?」

「ぐるぐるする…するて、あと、まっすぐ、き…くる。ゆずこは、けさつ、とか、ぽり、とゆってる。みつかる、よくない」

「こわい?」

「×××つけらる。はずすの、たいへん。ゆずこが、いたくなる、」

 ×××の部分は祐馬には聞き取れなかったが、何か痛そうなことをされるのだなと思い、怖くなった。

「どれがぐるぐるかわかんないよ、ザジ、わっ」

 振り返った祐馬の目と鼻の先に、いつの間にか足音もたてずにクローゼットから出てきたザジが立っていた。

「行っちゃうの?」

「ウン」

「ぐるぐるいるかもよ」

「そと、くらいくなった。おれ、ゆずこさがす」

「ゆずこってなあに」

 先ほどからザジの言葉の中に繰り返し出てくる〈ゆずこ〉の意味を、祐馬は尋ねてみた。ザジは少し首を傾げてから、小さな声で囁いた。

「だいじ、いきもの、やわらかい」

 例の、ガラス細工を扱う手つきを声で表現したらこうなる、というような、とてもやさしい調子だった。

「だいじなの?」

「だいじ。あいたい」

 そう言ってザジは、窓枠に足をかけた。祐馬はその言葉を聞いてなぜだかとても悲しくなった。目頭がつんと熱くなった。

「まって」

 祐馬の小さな手に背中のトゲを掴まれて、ザジは振り返り、まばたきをした。

「ぼくいっしょにいっちゃだめ?」

 祐馬は、緑色の生き物に向かって言う。ザジは窓枠に乗ったまま困ったように首を傾げ、返事をしなかった。しゃくりあげる祐馬を赤い目玉でじいっと見つめている。

「おかあさんはぼくがだいじじゃないんだ、だからあいたくないんだ、あいたくないからぼくがずっとないてもかえってこない、いなければいいんだ、ぼくがいなければいいんだ、ザジつれてって、ぼくどこかにいきたい、おねがい、」

 外からの街灯の光だけに薄暗く照らされた室内に、しばらく祐馬のすすり泣きだけが響いた。やがて、ザジが窓枠からゆっくり離れ、祐馬の頭の上にそっとくちばしを触れさせた。

「あえないだいじ、ある」

 くちばしにはほんのり、ぬるい温度があった。

「ちがう、だいじじゃないからあえないんだもん」

「おれ、ベイビーが、あえないだいじ」

「ベイビーってなに」

「ベイビーはこども」

「ザジの?」

「おれとゆずこのこ。とてもだいじ、でもあえない、さがしてる、あたまに考えてるいつも、かたさ、大きさ、色も、ぜんぶ」

 祐馬はザジのくちばしに手を重ねた。手で触るともっと温かかった。けれど母親の唇よりは冷たかった。

「ぜんぶ?」

「ぜんぶ」

 ザジは答えながらそっとくちばしを引いた。祐馬はその目を見つめる。

「ぼくのおかあさんもあたまにぼくのぜんぶ、考えてるとおもう?」

「いま」

「ほんとにぜったいそう?」

「ほんとう」

「ザジまってて、うそだったら、つれてって、いっしょに、」

 祐馬は腕で涙を拭って廊下に駆け出した。しっかりドアを閉めてから、祖母を呼んだ。

「おばあちゃん!おばあちゃん!」

「まあまあどうしたの怖い夢でも見たの?大丈夫?」

 直ぐに居間から出てきた祖母に、祐馬は頼んだ。

「ぼくおかあさんに、でんわしたい」




――もうあんたは、ほんとにもう、まったく、 〈及川麻江〉


「ちょ、待っ……なんなのアレはァア!」

 空間に、ぽっ、と出現したシボリのような模様の真ん中から、回転する四角い物体が飛び出て来たと思ったら、そいつが物凄いスピードで私たちの車に向かって突っ込んで来た。

「うわ~」

 船木がローテンションな悲鳴を上げながら、普段のテンポのゆるい動きからは想像できない、思い切りの良いハンドルのきり方をした。体がガッと窓にぶつかったけれど、私たちの車はスレスレで四角い物体をかわす。ナイス船木、と笑ってから柚子は懐に手を入れ、

「あれはね、無人パトカーみたいなもんなんだぜよにぃ、」

 何だかよくわからない白い筒を取り出した。

「だからぶっ壊しても特に問題なァアアし!」

 一瞬、鼓膜に激しい衝撃が加わった。紫色の光に目が眩み、私は反射的に顔を下に背ける。

「あちゃ、やべはずした」

 筒をピストルのように構え直し、舌打ちする柚子。

「そういうのやる時、事前に言ってよ!」

 文句を言った瞬間、対向車線のミニバンに乗った一家が唖然とした顔でこっちを見ているのが目に入り、私は慌ててさっき道路地図の裏側にマジックで殴り書いておいた文字を窓の外に掲げて見せた。

 撮影中です

 ご迷惑おかけいたします

「くっそコレもっと出っ張んないと当たんないじゃん、麻江、後ろきて足つかんでてぇ!」

 叫びながら柚子が窓からぐっと身を乗り出した。今にも落ちそうなばかりに。7年前とほとんど変わらぬ柚子の白い足が、ずるり、と外に向かって滑り、私はぞっとした。後部座席に飛び込む。

「ば、馬鹿!」

 すんでのところで柚子の足を掴んだ。こいつもう、なんなんだ、掴んでから出るだろ普通、ちっくしょうびっくりさせんなよ!

「いひっありがと」

 振り返ってそう言った柚子は、なんだかもう、なんだ、もう柚子そのものとしか言いようのない顔をしていて、私はため息をつくしかなかった。

 その拍子にふと、エンジン音に紛れて車内に電子音が響いていることに気づく。国民的妖怪アニメのテーマだ。

「あ~、あたしの携帯~」

 ハンドルをきりながら船木が言った。あの頃のことを思い出す限り、こいつは絶対にそうするだろうなとは思ったけれども、今まさに四角物体が脇を掠めていっているにもかかわらず、やっぱり、

「ユーからだ~、はあいもしもしぃ~?」

船木は電話に出た。


 ハンズフリー機能にしてあるのか、カーステレオの辺りに置かれた船木の携帯から、子供の声が聞こえる。

「おかーさん、」

 祐馬だ。船木の息子。

「ん~ど~したの~?」

 船木はバックミラーを確認しながら、ふわふわと返事をした。パシッと外が紫色に光る。よけんなよばかこらー、と、風に半分流された柚子の罵声が入ってくる。

「おかーさん、ぼくのかみのけ何色か、いまわかる?」

 祐馬の言葉の隙間に、息の音が混じっている。私は、ちゃんと狙えよばか、と、柚子の足をつねりながら、スピーカーホンに耳をすませた。

「ぼくのおひざにあるもようのかたち、おかあさんいまわかる?」

 ねえ祐馬泣いてんじゃないの?私がそう言おうとした時、船木が告げた。

「船木祐馬さんの髪の毛はね~、馬みたいな赤っぽい黒ですよ~。おひざのあざは、木の形~。それから~、ユーは知らないかもしれないけど~、背中にはハートみたいなほくろがあるんですよ~、あのねぇ、このぐらいの大きさ。あ~見えないか見えないよね電話だもんやだおかしー」

 船木は片手の指で小さな小さな輪っかを作ってニヤニヤと笑った。

「……どうしてわかるの?」

 祐馬の、呟くような声。

「え~だってさ~、おかあさん出かけてるとき頭の中おまえでいっぱいだもの~」

 船木の言葉に、柚子が一瞬振り向いた。私は窓の外を確認する。

「船~木!ハンドル、右」

 私の指示に頷いてまたも四角物体をギリギリかわした船木は、変わらぬ調子で息子に笑いかけた。

「な~にどうしたの急に?」

 祐馬は僅かな間を挟んだあと、

「ほんとだ……ザジがあたってた」

 ぽつりと妙な言葉を漏らした。途端に柚子が足をばたつかせる。

「おっ!あっ?ちょと!まったまったあああ麻江引っ張って!引っ張って!」

「いたっ!ちょっと暴れんなっての!何なの!?」

 ズボッ、と、えらい勢いで窓から首を抜いた柚子が叫んだ。

「見っけたーーー!」

 え、待て待て、何が?と尋ねる間もなく柚子電話に向かってがなりたてていた。

「ねっ!ねっおい!船木のガキ、きいてる?」

「……だ、だれ?」

 祐馬が怯えた返事が聞こえる。

「ばか、ユズ、祐馬びびらせんなよ、可哀相だろ」

「あ~あのね~、おかーさんのお友達で~、」

 私の文句も船木の説明も終わる前に、柚子は勝手に会話を続けた。

「そこにいんの?ザジそこにいんのね!?」

「……え、」

「そいつ緑色のでかいやつだしょ?トゲトゲついてんだしょ?くちばしある?」

「……う、うん、ねえあの、……もしかして…〈ゆずこ〉?」

「あったーり!よっしゃザジに伝えな!そこ動くなって!」


 船木の家は山沿いの、作りかけみたいな新興住宅地にある。四角い未確認飛行物体をなんとかかわしながら、私たちはカーブを蛇行し続けた。というか、正確に言えばかわしきれていなかった。四角物体に何度も体当たりをくらわされた船木の車はバンパーの部分が大きくへこんで、ミラーも歪んでしまっていた。運転のせいだけではなく、何だかやけに車体が揺れる。パンクしているのではないか、と思ったが、じゃあどうするかなんて誰も考える余裕がなかったのだ。走れるまで走るしかない。

 街灯は暗く、まばらな対向車は柚子の撃つ奇妙な筒状ピストルの紫の光に照らされる度に、UFOでも見たような顔をして逃げてゆく。実際、四角物体はUFO以外の何物でもないのだから、それは正しい反応だと言える。おかしいのはそんなもんに追いかけられているばかりか、かわして応戦なんかしている私たちの方なのは判っているが、もうはっきり言って感覚が麻痺してしまったようで、私の頭は、車が船木の家に到着する前に四角物体を始末する方法を勝手に考えてついていた。

「おーいそろそろ着いちゃうよ~」

 バックミラー越しにマイペースな声を上げた船木の額に青あざができている。私の口の中も何だか鉄の味がする、が、まあ知ったことか。私は対向車にすいませぇん、などと頭を下げつつ走行中の車のドアをバチンと蹴り開け、船木が山に沿ったカーブを無理矢理に曲がって四角物体と併走する形になった瞬間、余ったブルーシートを投げ出した。

 風の音、

 やかましくはためいたブルーシートが四角物体に絡みつく。まるで生き物のように。

 視界を青に包まれた四角物体の軌道がうねった。予期せぬ衝突を避けようと、上に向かう。

 そりゃそうだ。

 冷静なのに心臓がバクバクしているのは、麻痺した平素の私の自我が、自分のしている事に驚いているのだと、そんなふうに思った。

 ああ、なんか今日、星がきれいだな。

「キャッチ!」

 柚子が金切り声で喚きながら私の体に乗っかって筒を構えた。いてっ

「アンド、リリース!」

 バチューン、

 紫に光った道路に嫌な金属音が鳴り響いた。がりがり、と車の屋根を擦ってから、四角物体がコンクリートに叩きつけられる。キャッチアンドリリースでも何でもない、撃ち落としただけだった。

「ざまぁみそづけ」

「ざまぁみそづけ」

「ざまぁみそづけ~」

 なんで同時に同じセリフ言ってんだ私ら。背後の暗闇に見えた火花が遠ざかる様子を見て、麻痺していた私の感覚がようやく戻ってきた。膝が震える。運転席に目を遣ると、ハンドルを掴む船木の手も僅かながら震えていた。

 そりゃそうだっつうの……

「やっふー」

 柚子だけが平気な顔でぐるぐると筒を回して遊んでいた。こいつは。


「あー……」

 無機質な量産型住宅の脇の月極駐車場にボロボロになってしまった車を停め、私たちはのろのろとため息を吐き出した。7年分のスリルを一気に味わった気分だ。

「ここまでやってあんたのダンナがつまんない男だったらぶっとばすよホント……」

 そう言ってやると柚子はものすごい自信満々に口角を上げた。

「言っとくけど宇宙一カッケーけどあたしのだからやんないよ」

 誰がとるかよ。吐きそうになりながら車を降りる。船木の家の玄関には明かりがついていた。だるそうな動作で船木が先を行き、息子の部屋と思われるサッシ窓を軽くグーでノックした。からから、と窓が開く。祐馬が顔を出して船木に抱きつくのが見え、私は脳天気にキョロキョロしながら後ろを歩く柚子の袖をちょっとだけ引いて、歩調を緩めた。

 高校時代と違って船木には祐馬が居る。ただ、船木が、マイペースだけれどいとしい者をちゃんと抱きしめてやる事が出来る奴なのは、昔からだ。

 きっと全てのものは、まるで変わってしまうか、それとも全く変わらないかの2択などではなく、変わる部分と変わらない部分の混合体なのだろう。私は、少し悲しみすぎていたのかもしれない。ていうかそもそもこいつがいきなり居なくなるから、なんか余計に悲しくなってたんじゃないか馬鹿野郎。

 私は柚子を振り返った。文句を言ってやろうとおもったけれど、

 言えなかった、

 柚子の背後の空間に、

 逆光の四角いシルエットが、浮かんで、いたから、

 馬鹿、

 柚子の馬鹿、うしろ、

 言葉に出来なかった。その前に私は柚子の手を掴んで引っ張っていた。

 ほんの一瞬の出来事が、とてもゆっくりしたスピードに引き延ばされて感じた。

 四角い未確認飛行物体が、私と柚子を目掛けて、まっすぐ、

 飛んでくる、

 船木が口を開けて何か叫びかけている、

 後頭部に冷たい、風、

 くる、

 頭を上げた柚子は大きな目を見開いて、

 見ている、

 何かを、

 信じられない事だけれど、私はその時確かに、柚子の真ん丸い瞳に映り込んだ風景を見ていたのだと思う。

 黒目に映った黒いかたち。鋭い突起物、つめ、尖った足、巨大な、赤い二つの光、しなやかで力強い、


 生き物だった。


 悲鳴のような破裂音と共に四角い飛行物体のシルエットが掻き消え、時間がもとの速さに戻った。いや掻き消えた訳ではなかった、四散したのだ、巨大な生き物によって、原型を留めぬほどバラバラに、それは破壊されていた。いつの間にか柚子を下にして地面に転がっていた私の身体にも、冷たい破片がピシピシと降り注ぐ。

「麻江、」

 私の下から柚子が囁いた。

「ね?宇宙一でしょうダーリンは。でもね、」

 唖然として声も出せない私の額に柚子は自分の額を重ねて、

「あたし、あんたと船木も宇宙一、すき、」

 柔らかい、とても柔らかい声でそんな事を告げてきた。

 こいつばかだ

 言わなくたってそんなこと、しってるにきまってんじゃん

 私は返事が出来なかった。出来なかったけれどどうせ、なんか私、泣いてるし、もういいや、もう何でもいい。

 私の下から這い出た柚子は、大きくて美しい生き物の腕にすっぽりと収まった。

「ぶじ、よかっ、た」

 四角い物体を粉々にぶち壊した生き物とは思えない繊細な手つきで、柚子のダンナはその長い長い腕を柚子に巻き付けた。そして柚子は、

「うん」

 とだけ答えて、ダンナの赤い目にくちづけをした。

 綺麗だ、と、

 単純にそう思ってしまった。柚子は別にウエディングドレスを着ているわけでもないし、というかまだ高校の制服なんか着てるくせに、なんでだか、そう思った。多分私は心のどこかで、緑色の生き物に嫉妬している。だけど、だからと言って不思議と、嫌な気分ではなかった。

 何と言ったらいいか判らないが、柚子が、変わらないまま変わった姿を見て、私は、嬉しかったのだと思う。振り返ると船木がニヤニヤしながらジェスチャーで顔を扇いでいた。祐馬はその横であんぐりと口を開けて固まっている。そうだね、お前にはちょっとまだ刺激が強かったかも。




――勝手なあんたは勝手にすればいい 〈及川麻江〉


「ちょっと~、ヤバい~全然忘れてるんだけど~」

「私もだよ、まぁ思い出すまでやるしかないね」

 あの後、柚子と柚子のダンナ(謎の巨大生物)を車でタコ公園まで連れて行き、銀色タマゴに乗っかった二人を見送った私と船木は、楽器の練習をしなければならない羽目になった。

 息子を追いかけて再び宇宙へ旅立つ(言葉にすると本当に陳腐な漫画のようでバカバカしい気持ちになるが)という柚子に、私が

「じゃあこれ持ってけば。あんたのだし」

 と、妖怪シールだらけのギターを返した時のことだ。柚子の奴がこんなことを言ったのだ。

「とっといてくれたって事は……やるって事だよね?」

「は?」

「え~」

 私と船木は顔を見合わせた。

「練習しといてよ。息子とダーリンに聴かせんの。ねっ、聴きたいろ?ダーリン、あたしの歌に鼓膜とノウズイぶち抜かれたいろ?」

「ぶち……?うん」

 微妙に物騒なことを言われたにもかかわらず、ダンナは素直に頷いた。おい…わかってないと思うよこの生き物は。詐欺みたいなことするなよ。

 しかしまあ、文句を言う前に柚子はツルリと卵型UFOに乗り込んでしまったので、明日私は、ベースギターの弦を買いに行かなくてはならない。

 明日から私は昔と変わらないベースギターを、張り替えた新しい弦で、また弾くことになる訳だ。

 なんで明日からなのかというと、あいつは勝手な奴だからいつ突然帰ってくるかわからないので、常に準備をしておかなきゃなんないからなんだよ馬鹿野郎。

 私と船木は、柚子の金切り声が響き渡っているであろう宇宙を見上げて、苦笑いした。


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