のたうち回って惑星ビール、最高すぎて吐きそう
――ロマンの何が悪い? 〈ジェットン=ジ=エット〉
惑星ラーテアは、数ある都市惑星の中でも、経済的にいわゆる〈負け組〉の部類に入る。なかでも赤道直下のイア85地区は吹き溜まりなどと言われ、そこに住む人々の大多数が日雇い労働者か、無職。その他、不法滞在者、難民、バー中(バーチャル中毒)、宇宙海賊、ギャング、殺し屋、悪徳警官なんて奴らがごった返す、治安最悪のアングラ地帯となり果てている。
そういう場所であるから、当然、ギャンブルの類は盛んだ。とりわけ、ガロッツ同士を闘わせて勝敗に金を賭けるガロッツ・ファイト。これが人気を博している。
で、飼い犬を、ガロッツ・ファイトに出場させて日銭を稼ぐ奴らを闘犬ブリーダーと言うのだが。何を隠そう、俺、ジェットン=ジ=エットもその闘犬ブリーダーの一人なのである。
闘犬ブリーダーは通常、闘犬用の犬を何匹も所有している場合が多いが、俺が飼っているのは、キュウだけ。それも、闘犬用の犬種ではない。道端で拾った雑種犬だった。
何に利用するにしても、ガロッツは血統がものを言う。雑種なんか闘犬にしたって金にならない、と、親切でくだらない奴らから幾度となく忠告を受けたが。俺はキュウ以外のガロッツを相棒にするつもりはない。
こいつには絶対、闘犬の才能がある。これは俺だけが知っている事実だ。
誰も信じないし、実際、勝率は30%以下で、つまり10戦やったら7戦負ける、中の下ぐらいの成績だし、だから俺とキュウは明日食う飯にも困っていたりするわけだが、それでも。
いつか絶対、俺たちを馬鹿にした奴らは、後悔することになる。
……はずだ。
たぶん、きっと。
頼むから、キュウ、お前の力を見せてくれよ。
「あ、あっ!」
控え室のソファーの上で目を覚ましたキュウは、バネ仕掛けの玩具みたいに跳ね起きると、
「わーんチックショー!またかよォオ!」
これ以上の悪夢はない、って顔でそう言った。
言った、というか、勿論キュウはガロッツだから思念テレパシーを発して喋ることはおろか、人間のテレパシーを受け取ることも出来ないので、正確な表現をするならば、キュウが音で伝えた犬語を、俺が頭に埋め込んだガロリンガルのプラグでテレパシーとして受信している、という事になる。
「わーんじゃねえよ、キュウお前、勝てた試合だろうが、これ」
俺はため息をついて、そう言った。キュウの頭にも埋め込んである対のガロリンガルが、俺のテレパシーを犬語に訳す。子供のオモチャではあるが、便利なものだ。しかしこんなものを使ってガロッツと意志を疎通している人間は、今時、変わり者と呼ばれるらしい。俺は必要な事だと思うんだが。
「何で負けたのか、わかってるよな?おい」
俺はキュウの頭と顔にナノマシン軟膏を塗り込みながら、確認の質問を投げかける。キュウは少し顔をしかめてから、
「相手が勝ったから?」
と、答えた。
手が止まってしまった。毎度のことながらキュウのとんでもない馬鹿ぶりは、他のガロッツの比ではないと思う。
「ざっけんな馬鹿!あんだけ言ってんのに、ガードしねえからだろうが!」
闘犬としては小柄なキュウは、1撃くらうだけで簡単に吹っ飛ぶ。避ける以外のガードをしないなんて自殺行為だ。だが俺の怒りに肩を落とすどころかキュウは逆ギレ。
「うるせえ!ガードって言葉の意味、一瞬忘れただけだっつうの!おれは悪くねえっ!」
「100パーてめえの自業自得じゃねえか!てめえ今日メシ食わせねえからな!」
「ぎゃああふざけんなごめんなさい次回気をつけますっつってんじゃねーかクソ野郎!悪魔!」
いつ言ったんだこの馬鹿。しょうもねえ馬鹿だ。
俺は馬鹿を連れて、10万マッコイという格安の値段で手に入れた中古のグラウンドシップをエンラエの店に向けて飛ばした。
〈エンラエの店〉は、ゲームセンターと飲み屋をごっちゃにして、全体に駄目にした感じの汚い店で、辛気くさいランゲ星人のマスターが1人で切り盛りしている。あまり繁盛もしていないが、この界隈で犬を連れて入れる店は(殿堂入り闘犬とか、人気のあるレース犬、ショー犬だったら話は別だが)ここしかない。
「惑星ビール2つ。あとルルサ虫の唐揚げも」
注文をするとカウンター席で足をプラプラさせながらキュウが、
「あと焼きビードルっ!」
と叫んだ。ふざけんな。俺はキュウを睨むが。
「えー?いーだろ?酒とつまみはメシのうちに入らないって、てめーで言ったんじゃん」
こいつ全然反省が無いばかりか、人の好意につけ込みやがるとは。くそ。俺は面倒になって、結局それも注文に加えた。財布が恐ろしく軽い。今月もまた家賃をすっぽかす事になりそうだ。
「にゃっは!」
出された惑星ビールの瓶を3本爪で掴み上げ、歓声を上げたキュウは俺の気も知らないで、水でも飲むように傾ける。
「ぎゃー!惑星ビールうめえよ、うめえよー!しあわせだなあああん、おれ」
脳天気な奴である。だが、俺はこいつほど美味そうに酒を飲む犬を知らない。喉が鳴った。俺はカウンターの上に転がっていた店名ロゴ入りのカップを、勝手に取って全部にビールを注ぎ、前腕、中腕、後腕、全ての腕に1カップずつ、つまり合計6杯のビールを持つと
「飼い犬だけ先に幸せになってんじゃ、ねえっ!」
一気に喉へ流し込んだ。
思いっきり、脳が痺れてくる。惑星ビールは、確かに最高だ。高い酒なんか必要ない。安い酒で最高な気分になれるなら、それが一番いい。
キュウの馬鹿みたいな笑い声がどこか遠くの異国の音楽のように聞こえて、俺も馬鹿みたいに笑いながら、焼きビードルを手づかみした。
「よお、エリート。ずいぶんご機嫌じゃないか」
ぐにゃぐにゃになってカウンターに突っ伏す俺の背後から、針でつつくようなテレパシーが飛んできた。俺は無視を決め込む。誰だかは判っている。ヴァインシーだ。くされ吸盤野郎のグート星人。不快な事にこいつは俺と同業者であった。
「あらま。くされ吸盤野郎じゃん、イヒヒッヒ」
店の隅に設置されたバーチャル格闘ゲームに向かって嘔吐していたキュウがそんな事を言ったが、ガロリンガルを装着していないヴァインシーは何を言われたか判らず、馬鹿にした目で一瞥しただけで、俺の隣に腰かけた。
「相変わらず犬と仲良しごっこか。さすがエリートだぜ、ジ=エット」
ヴァインシーが俺をエリート呼ばわりするのは、俺の人種が、シャス16星人だからだ。シャス16にはビジネスの成功者が多い。惑星自体が先進惑星とか言われいて、緑豊かなまま空間増幅法ビルディングが建ち並ぶ綺麗な都市で、宇宙連合の会議場まである。
要するに、そんな優秀なシャス16星人のくせに、こんな吹き溜まりで犬と酔っ払っている脱落者の俺への、皮肉というわけだ。
「知ってるぜ?また負けたんだろ。クズだなあ。お前、本っ当に、向いてねえよブリーダー」
うるせえ男だ。馬鹿馬鹿しい。つき合うだけ時間の無駄だ。
「わかんねぇなあ。お前さ。クズのくせに、何のプライドなんだ?それ。ロマンでも追いかけてるつもりか?なめてんの、この仕事。エリートぼっちゃんの気質が抜けてねえクズはさ、」
ヴァインシーはカップに僅かに残っていたビールを、俺の頭にかけた。
「頭、冷やしな」
ほんと幼稚なクズだなこの男は。いいかげん何か言い返そうかと思ったが、俺は、言い返す言葉が無い事に気づいた。
俺もまた、クズだからだ。たぶん、こいつより。
何だか、非常に鬱な気分になる。
俺だって、こんな人生を最初から望んでいたわけじゃない。ヴァインシーみたいな奴にはわからないかも知れないが、世の中には不運でクズになる奴以外に、俺のように、ロマンのために自分で何もかも駄目にしちまう馬鹿が、たまにいる。そういうのを、最低のクズと言うのだ。
そんな事は知っている。作家になりたくて家を出てきたんだ、てめえよりはものを勉強しているつもりだ、俺は。いいかげんむかついてきた頃、ガターンと椅子の倒れる音がして、ヴァインシーと俺は振り向いた。何かと思えば、べろべろに酔っ払ったキュウが椅子を蹴り飛ばしたのだった。
「にゃっろー、えーと、何様だこのやろー、おれの飼い主になにやってんだよ、お前だよお前、ぶっ殺す」
ガロリンガルを埋め込んであるキュウには、俺以外の人間の言葉もある程度聞こえている。それに対して、ヴァインシーにはキュウの犬語は、理解できない音の波でしかない。だがさすがに、中の上クラスのブリーダーだ。アルコール漬けの敵意だけは理解できたのか、
「てめーの駄犬、しつけが悪いな」
そう言ってヴァインシーが眉をひそめた瞬間、キュウは先刻までやっていた格闘ゲームのキャラクターの動きで、
「うーるせぇーい!ロマンだっ!駄犬はロマンだ、ばっきゃろー!」
叫んでヴァインシーに飛びかかった。
この瞬発力、頼むから試合で出してくれキュウ。と思いながら俺は慌ててヴァインシーの前に立ち、
「やめろキュウこら!」
必死でキュウを止めた。
「何でだよジェットン!うぜえよ、こいつうぜえよ!ケツから真っ二つに裂きてえんだけどだめなの?だめなの?」
「馬鹿、やめろ!狂犬扱いされたら保健所行きになるのはお前だっつうの!」
「にゃにィ!?じゃあ言われっぱなしかよっ!」
「誰が言われっぱなしで済ますと言った?」
俺は呆れてニヤニヤしているヴァインシーを振り返ると、
「俺の犬は駄犬じゃねえ!」
奴の顔を、触角で思い切りぶん殴ってやった。
頭脳労働向きのシャス16星人の触覚ムチぐらいじゃ、大したダメージにはならないだろうし、裏社会に片足突っ込んだヴァインシーの方が俺より断然喧嘩慣れしているのはわかっている。だが、あの顔。驚いたヴァインシーの顔。
あれを見られただけで充分だ。
俺はその隙をついてキュウの首根っこを掴むと、全力で店を逃げ出した。
裏通りのマーケットの地下にある、いけすかないピーピン星人の経営する闘犬場が、本日の試合会場である。
控え室で、おれはキュウに言った。
「ガードというのは、急所に攻撃を受けないように守ることだ。避けきれないと思ったら、腕でも足でも何でも使ってダメージ軽減しろ。わかったか?」
「何だよ最初からそう言えってのよー。わかっちゃったぜ!たぶん」
「たぶん、かよ……」
俺がため息をつくと、キュウは二ヒヒッと、地球犬みたいな(実際、集中力のなさからしてこいつには地球犬の血が混じっている気もする)笑い声を出し、
「まー見てろって。今日はおれ、絶対勝てる秘策あんの」
などと言いやがった。いやな予感がする。
「見てみ」
キュウは、どこの星の犬から受け継いだものだか見当もつかない、間口の広がった奇妙な形の耳を指差した。その耳に、小型音楽プレイヤーがはめ込まれている。
「お前、これ俺のじゃねえか!壊したらもう買う金ねえんだぞコラァ!」
俺は泣きたくなった。
「ケチケチすんなよバカ。音楽きくとテンションあがって勝てそうな感じするじゃねーか。いいアイデアすぎて、死ねるぜ」
全く悪びれないキュウに、もう一言、二言いってやりたかったが、ちょうどそこで、壊れかけた自動扉が開き、闘犬場のスタッフが顔を出した。
「時間っす、入場して下さい」
「あー、はい」
俺が諦めて腰を上げると
「ういっ」
キュウは、してやったりという表情で爪を2、3回開いたり閉じたりしてから、後をついて来た。プレイヤーの音響電波が漏れているみたいだ。俺の脳にも、キュウの聴いている音楽が少し聞き取れる。
アップテンポの。
こいつらしい。
ああ、いつもの事だが。おれは控え室を出て行くこの瞬間、
実に鮮やかに、相手の犬を瞬殺でぶっ飛ばし
「おれに賭けなかったクソ野郎は損したなっ!ざまああああ!」
と、憎たらしく笑ってみせるキュウの姿を毎回想像してしまうんだ。
ロマンだからと言うよりもこれは、きっと、
キュウ、俺はおまえのことを犬じゃなくて、相棒だと思っちまってるからなのかも知れない。