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エントランスから足早に外へと出て、俺は無意識に左へと折れた。ずんずんと進んだ先、歩いてくる人を避けた場所に樹があった。その樹に寄りかかり、一息つく。
頭の中で『恋人がいますから』と言ったハロルドの言葉がぐるぐると回っている。
──好きって言ったくせに
なじる言葉が自分の中に浮かんできて、俺は慌てて首を振った。
いつまでも寄りかかっているわけにもいかず、俺はさらに足を進めた。頭の中ではぐるぐると台詞が回っているが、体を動かしているとふとした瞬間にその台詞が抜けて穏やかな一瞬がやってくる気がする。
その何度目かの穏やかな時に、俺の目に食べ物屋が入ってきた。平たく焼いた穀物の生地の上に野菜や肉を乗せタレをかけてくるくると巻いていく。タレの匂いだろうか、かなりスパイシーな香りが漂っている。
思えば、今日は一度も固形物を口にしていない。微熱があるからといって、食べられないわけではないのだ。ぐっと食欲が増してくる。
「それ、一つ」
屋台の男に声をかける。
「どんな風にする?」
聞かれて、首を傾げる。
「初めてなんで、お勧めで」
こういうときは任せてしまうに限ると、そう言えば「辛いのは大丈夫か?」と聞かれたので頷いておく。
「じゃ、これだな」
そう言って、男は作っていたものを脇に置き、新しい生地の上に野菜をふぁさりと置いていく。その上に肉そして最後に何かオレンジ色で細長くきられた野菜?を置いた。
「それ・・?」
初めて見たものなので思わず口にすれば「今が旬だぞ。ピリッとするがこれが後を引くんだ」と答えてくれる。タレを絡めて、巻き終わったものをナプキンでくるんで「ほい」と渡された。ぴっと片手で支払いを済ませ、口にする。
ピリ辛のタレと野菜の味が広がったと思ったら、後から強めの辛味がやってくる。
「うまいか?」と言われて、俺は租借したままだったのでうんうんと大きく頷いた。
飲み込み終わった頃になると、辛味で若干舌先がじんじんしている。汗が出てくるほどではないが、顔の辺りが若干ほてっている気もする。
「本当にクセになりそう」
やっと口にすれば男は満足そうににやりと笑った。
「これがそれには合うんだぞ」と勧められた飲み物も買って「じゃ」と店を後にする。座れる場所もあり、食べ終わるまで座っていようかと一瞬迷ったのだがやめておいた。
食べながら、飲みながら歩いていると、より余計なことを考えなくなってくる。露店を冷やかしながら俺はずんずんと北の方へと足を伸ばしていった。
『あれ?』
左手にある細い通りはオアシスに着いた時に通った道のようだ。俺は迷わず、左手へと折れてみた。
予想通り、しばらく進めばムゥロを預けた建物が見えてくる。
昨日からとても時間ががってしまった気がして、俺はしばらくその建物をぼーっと見ていた。
と、以前エルヴェが話していたことを思い出す。
昔に戻りたくて、巻き戻りたいという思いで不安になったときに後転を何度もする少女の話だ。
『ここに戻ってきた自分も、もしかしたら昨日に戻りたいのかもしれない・・・』
自分が無意識にそんなことを思ったことにはっと気付き、我に返る。
その間、誰もこの道を通らなかったので、やはりムゥロで旅をする人はかなり少ないらしい。
辺りをきょろきょろしていると、通路の左先に小さい看板が見えた。近づいていって見てみる。
──"遊歩道"
下に書かれている小さな文字を追えば、オアシスの周りに生えている木々の間を道が数本走っているらしい。砂漠ばかり見ていると、木々や草花を見ながらのんびり歩きたくなるのかもしれない。
俺は遊歩道の入り口にあったゴミ箱へナプキンと紙コップを捨てて、少し暗く見える道へと足を踏み出した。




