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little  作者: 小糸
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胸に生まれたもの

 切れのいい音。

 正統的な解釈。

 だけどどこか斬新でエキセントリック、なにより驚くぐらいスケールの大きい演奏。


 瀬川君のチェロは本当にすごい。


 ──うわ、楽しい


 オーボエのソロ。ソリストの瀬川君と、オケの中で唯一わたしだけが演奏する部分。

 今までは怖くて腰が退けていたその場所を、わたしは今、おもうがままに伸びやかに吹いている。


 ──たのしい、ほんと、たのしい


 瀬川君、挑発してくる。

 だけど合わせてくれる。

 わたしの音に答えるような音をくれる。



(風景が、わたしの周りを、飛んでるみたい……)



 息の苦しさなんて感じなかった。

 ただ、楽しくて。無我夢中で。

 嫌なこともわずらわしいことも教授のことも全部忘れて、やりたいように、やった。


 そうしたら、できた。


「BRAVO!」


 ソロが終わった瞬間ウィルソン先生が叫んだ。もちろん演奏はそのまま続行だけれど、手が空いてる人のなかでは拍手してくれた人もいる。


 瀬川君が、チェロを弾く手を止めぬまま、ちょとだけ私の方に首を傾け、あの傲慢な笑みを見せた。


 にやり、って。


 大方、「やるじゃん、オーボエ」ぐらいの。


 ……くやしいけどかっこよかった。

 ドキドキしてしまった。


 テンションが上がった私はその後も絶好調限りなし、で、周囲の性格悪い女の子たちのこともすっかり頭から追いやられるほど、集中してオケの練習を乗り切った。



 グッジョブ、わたし!



 *** 



 るんたかるんたかるんたった。


 気分最高。

 うーん、やっぱり瀬川君の言うとおりに大胆になってみてよかった。


 あんなにオケが楽しかったことって今までないよー。


 うきうきで家路につき、駅までの道を歩いていたわたしは、ご機嫌だった。嫌がらせのことは忘却のかなた。なんだか妙に胸が浮き立つ。


 と、おやおや。曲がった小路の先に、なにやらうちのガッコの生徒らしきカップルが出現……。


「──て、えっ?」


 カップルの服装・持ち物・声をさりげなく観察してみてからわたしは思わず声を上げていた。


 長身で、黒のミリタリージャケットがよく似合ってる、まぎれもないチェロケースを背負った男の子。

 その男の子の肩下くらいの身長で、つややかに波打つ黒いロングヘア、ちらりと見えた横顔が、まるでどこかの絵画みたいにきれいな女の子。ながいまつげ。輝く瞳。


 ふたりとも、すっごく楽しそうな顔で、わらっていた。


 笑っていた。あの、彼が。



 ──瀬川君……?



 確認した瞬間、つきんと胸が痛んだ。

 ごくごく小さな痛み。それでもたしかに。


 わたしはそのことにうろたえた。


 え。やだ。なんで。

 なんで痛いの。


 なんで、ショックなの?私。


「っは、恩納、超ウケるし。何、じゃあさ、教授にタンカ切ったわけ?授業中に?ショパンを民族音楽として認めて何が悪いのですかって?」

「もー、そんな楽しそうな顔して言わないでよ瀬川!けっこう修羅場だったんだからね。教授ってばくだらない、前代未聞だ、生徒っていうのは黙ってノートを取ってればいいんだっていうのよ。信じられないでしょう?あまりにもおかしいと思ったから率直に意見を述べただけなのよ。双子は一緒にいたくせにくつくつ笑ってるばかりで全く助けてくれなかったけどね」

「ほんと、恩納らしー。最高だよ、そういうトコ」


 満面の笑み。こぼれる笑い声。


 下品じゃなくて、うるさくもなくて、

 ただ耳にここちいいその笑い声が、わたしの心をこんなにも乱す。


 女の子を見つめる瀬川君の眼は、あまりにも雄弁だった。

 もう、口に出してるも同然だった。


『この子が好きです』

『好きで好きでたまらない』

『どうしても一緒にいたいんだ』


「……」


 わたしは息を吸い込んだ。

 足が、止まった。もう前へ進むような気が起こらなかった。


 ブーツの足元で、あの女の子はどうしてあんなにまっすぐ歩けるんだろう。どうしてあんなに、花が咲くみたいに笑えるんだろう。


 どうしてあんなに強く、瀬川君の眼を見据えることができるんだろう。


 きれいなひと、とてもきれいな人。


「電車間に合うかなー、今日は早く帰らないとまずいよね」

「え?あ、やべ。そういや夕飯作らなきゃならないんだっけ。恩納、走れる?」

「瀬川こそ。チェロ大丈夫なの?」

「俺は早歩きで十分ですから」

「そうよね、足長いですもんねー」


 あまりにも似合いの二人組は、進む速度を上げた。わたしは、動けなかった。


 そういえば、あの女の子、すごい有名な子だった。恩納さん、恩納緋乃さんとか言ったっけ。瀬川君と対を成すっていう位、天才肌の。


 考えながら、視線がどうしても地面におちた。灰色をしていた。



 ……どうしてだろう、少し前に進めたような気がしてたのに。




 なんかすごい、置いてきぼりをくらった気分だ。





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