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little  作者: 小糸
3/15

わたしの音

「まゆ、最近すごいうまくなった」


 室内楽で組んでいる歌苗が、驚いたように言った。そうかな?と私は首をかしげる。たしかにちょっと弾き方は変わったかもしれないけど……周りには不評だ。自分ではいいと思っているけれど、特に担当の教授からの反応は最悪。


「そんな音じゃどこにいっても通用しない」


 だって。正直かなりへこんでる。

 どうやって弾けばいいのかわからない。

 どんな音がいいのかわからない。

 音を否定されるっていうことは、多分、わかんないけど文章でいったらまず文字を否定されるのと同じことだから、ほんとに寸止めされてる気分。弾いちゃいけないよって。


 泣きたくなるよね。

 じゃあ、わたしの音楽は?って思うんだ。

 音だけで耳をふさがれてたら、わたしの表現したいものは、誰が聞いてくれるの?って。


「よくなった?ほんとーに、そう思う?」

「うん。あたしが思うには、だけど。音がくっきりして、言いたい事が明瞭になってきたみたいだよ。まゆは今までうまいのに、どっかオドオドしてて歌がちゃんと聞こえてなかったから」

「んー。そうなのかなあ。でも周りには不評。まいってる」

「大学が合わないのかな。まゆって独特だからね」


 独特だからね。

 うれしくない。


 どういう意味で言ってるんだろう。

 いい意味なのか、悪い意味なのか。

 個性という言い方をすれば都合よく捕らえられるけれど、だけど所詮わたしはまだ勉強中の身。なにがよくてなにがいいかなんて、誰かに聞いてももらわなければわからない。


 でも、教授や友達に聴いてもらったって、別にうれしくもないし、満足もしないのだ。


 へたなのにもっと大きな場所を求めてる。



 最近、わたしは大学が息苦しい。



「高崎さんー」

「んー」


 最終講義の時間、机につっぷしていた私の元に訪れたクラリネット奏者がひとり。中西くんだったかな。まじめで誠実な男の子。

 オケでは近くの席だから、割とよく話す方だ。


「どーしたの」

「あのさ、聞いた?音楽祭である室内楽のステージでさ、高崎さんオーボエ四重奏やることになったんだってよ」

「は?誰が?」

「だから、高崎さん。あなただよ、あ・な・た」


 息を止めた。理解する。


「…………はあーーーーー!!!???」



 なんの話、なのお!?



 *** 


「無理だよ」

「だけどもう決定事項なんでしょ」

「無理。できない。ただでさえ今スランプ」

「……まゆう。かわいそーだけど、やるしかないよって言うしかない」


 ファミレスのお向かいの席で、歌苗が言う。メロンクリームソーダを飲んでいる。わたしはわたしで、うさっぱらしにハンバーググラタンを注文していた。

 なぜか隣に中西くん、歌苗の隣には歌苗の彼氏のサックス科の痩せた男の子。辻田くんとか言った。たしか。


「まゆは自分で思う以上に周りから注目されてんだよ。うまいんだから。成績はいまいちぱっとしないけど、あんたはうまいの!」

「逆ギレされながら言われてもわけわかんないからー」

「逆ギレもしますよ!瀬川くんにあんなにしごいてもらっちゃってさー、憎たらしいったらありゃしない!」

「……だったら歌苗しごかれてみれば?毎回オケの時間に周囲から無言の憎悪を受けてるわたしの立場にもなってよ!」

「ま、まあまあ。ふたりとも落ち着け!ほら、注文きたよ!」


 辻田くんが割って入り、いつのまにやらテーブルの隣にたっていたウェイトレスが面倒くさそうな顔で届けたメニューを置いていった。ハンバーググラタン、チョコレートパフェ、エビフライ、オムハヤシ。みごとにばらばらで食い合わせが悪そう。


 今の今まで音楽雑誌を読んでいた中西君が顔をあげ、やおらスプーンを片手にオムハヤシを食べ始める。

 ぱくぱくと口を動かしながら、「っていうかさ」と喋り始めた。


「なんで瀬川君が出てくるわけ、そこで。歌苗さん」

「かっこいいから。あこがれだから。まゆがうらやましーから。それだけ」

「おまえ、彼氏が隣にいんのにフツーそゆこと言うか?」

「いいますとも。瀬川君みたいな人はふたりといない!」

「……まあそりゃ認めるけどさ。彼は今カンケーないでしょ」


 辻田君のつぶやきに心から賛同した。まったくだ。


「瀬川君なんてどーでもいいし。っていうか私は四重奏なんてできない。第一メンバーだれか知りもしないし」

「うお、大胆発言。高崎ちゃん瀬川君にキョーミないの?」

「ないよ。むしろ怖いし」

「っはー、悠長なこと言っちゃってさ。あんたその内やな目にあうよ」


 今日はほんとに虫の居所が悪いらしい歌苗。わたしはわたしで余裕がないから、感情を押さえることもできずにムカツイていい返す。


「は?何それ、どういう意味歌苗」

「オケの女の子たちはみーんな、あんたを目の敵にしてるってこと。瀬川君にひいきされてるって理由で」

「意味わかんない、ひいきなんてされた覚えもないし。第一彼とほっとんど接点なんてないし」

「だから、それが白々しいっつってんの!」


 いきなり、歌苗はファミレスのBGMも途切れるくらいに大きくてヒステリックな叫び声をあげた。


 叫ぶと同時にだん、と拳でテーブルを叩いたものだから、メロンクリームソーダがこぼれて私のハンバーググラタンのお皿に入る。


 一瞬、他のお客も店員も私も中西くんも辻田君も、わけがわからずに歌苗を見つめた。


 歌苗は頬を紅潮させて、もともと厚めの唇をさらに突き出して怒っていた。本当に怒っていた。わたしがあっけにとられるくらいに。


「かなえ?」

「帰る。あんた、ちょームカツク」

「え?え?え?なに、なんなの?はっきり言ってよ、わたしが何した?」

「わかってないとこがムカツク。四重奏、キャンセルでもなんでもすれば?何が起きても知らないけどね!」

「……意味がわからない」


 ショック、だった。

 歌苗はわたしの一番近い友達のはず、だった。


 それなのにどうしていきなり怒るのだろう。本気で。本気でわたしが憎くてしょうがないような、あんな目つきで私を睨んだのだろう。


「ま、待てよ歌苗、おまえ何やってんの?」

「ついてこないで。ひとりで帰るし。浩平いらない」

「い……おい、待てよっ。歌苗っ!!」


 スニーカーの足元でずんずんと歩いていく歌苗を、慌てて追いかける辻田くん。彼もまた怒っていた。歌苗に対して。

 歌苗を怒らせたのは私だった。

 私は、何に怒っていいのかわからなかった。


「……高崎さん、大丈夫?」

「……へこむ……」


 中西くんが心配してくれて、ほんとキツかった。


 辛いとき優しくされると号泣したくなる。


「とりあえず、食べない?食ったらまた元気でるかも」

「……あ、お勘定……」

「だいじょうぶ。俺払うよ。明日浩平にまとめて請求すっからさ。」


 中西君は笑い、それから小さな声でこう付け加えた。



 もちろん、アイツが明日学校来てればの話だけど。




「もーやだあ」


 落とした視線の先にはバッグと、今日学校からもらってきたばかりの四重奏の楽譜。

 ほんとどうしていいかわからなかった。

 テーブルに肘をついて髪をかきみだす。




 最近、ほんといいことないよ……。





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