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little  作者: 小糸
11/15

ありがとうの歌

 

 そして。

 小さないざこざは色々ありつつも、まああっという間と言える程度の速度で時が過ぎ。


 気づけば音楽祭二日前。


 わたしは奇妙な事態に気づき始めていた。


『ええと、じゃみなさーん、とりあえずお疲れさまでした!まだちょこちょこと手をいれなきゃならないところはありますが、明日はほとんどリハーサルになるので、今日を持って音楽祭準備の終了を宣言いたします』


 グランド内特設ステージにてマイク片手にいつものスマイルを見せているのは伊勢先輩。もとい我が大学自慢の自治会長。オンナノコたちは多かれ少なかれみーんなそっちの方に目を取られる。あ、でも先輩は弦専攻だから弦と仲悪い管楽器生徒はわざとシカトしているな……うーむ、人間関係ってむずかしい。


 どうでもいいことを考えて現実から逃避しようとする。なぜなら。なぜならなぜなら。


『さて、さて。じゃあここで、今まで頑張ってくださった皆さんに対して執行委員長の方からご挨拶いただこうかなあと思います。恩納緋乃さん──どうぞ』


 とたん、グランド中の空気が変わったぞ。それはもう、ばばばっと。皆ステージを見た。管楽器でさえ。羨望と憧れの眼差しが見つめる先には知的な才女。


『こんばんは、おつかれさまです。執行委員長の恩納です』


 キレイー、という感嘆の声があちこちから聞こえた。異論なし。このひとくらい飾らないで華やかで、凛とした美しさをもつひとって見たことないよ。全然派手じゃない。だけど誰よりも華やか。


『皆さんが頑張ってくれたおかげでどうやら居残りもせずに済みそうです。今日ははやめに家に帰って、ゆっくり食べてゆっくり休んでくださいね。もちろんそれで明日寝坊しちゃっても困るのですけど、逆に言えば多少寝坊しても大丈夫かな。そのくらい準備はよく整っているから』


 つんとしていて。高貴でプライドが高いようでいて。だけどこういう場に出ることをためらわない人格のよさがある。人を思いやれる心を持ってる。


『執行委員長なんて大げさな言い方にはまだ抵抗がありますけど、だけどその場所から見るこの大学は、とてもすてきです』


 勝てない。そう、思う。

 勝負などするつもりもないけど。


『執行委員長をやらせていただいてうれしい。ありがとうございます。今ここで、皆様と一緒に音楽祭を作り上げられていること、ほんとうに嬉しく思います。明日からまた頑張りましょう──以上!』


 歓声、拍手、それに照れたようにさっと引っ込む恩納さん。赤くなった横顔がかわいかった。


 ──瀬川君が魅了される理由がよくわかる。


 だけど、それでも、いま胸に刺さる痛みはもう、隠しようがないのだ。


『じゃ、次は瀬川界君。あ、ちょっと、逃げちゃだめだよ逃げちゃ』


 あははと起きる笑いのなか、心底面倒くさそうにステージに現れた瀬川君。

 その立ち姿を認めた瞬間、わたしは何ともいえない空しさにおおわれていた。


『あー……とりあえず、お疲れ様です』


 怖い位低い声。無愛想な言動。

 鋭い目は自分以外が認めた人間以外には向けられもしなくて、だけど、ほんとうはいい人。


 他人を認めるということを、ちゃんとしてくれる人なんだ。


『正直こういう場所で喋るのってあんまり得意じゃないんですけど』


 歌苗の、気持ちが、わかってしまった。


『けど、今回の音楽祭は俺自身にとっても印象深い祭になりそうです。色んなことがあったし、これからもあるとわかっているので。それを共に体験できる皆さんには、大きな親愛感を感じています。ありがとうございます、お疲れ様でした。今日明日は可能な限りよく寝てください──誰かもさっき言ってたけど』


 こんな遠くから見つめるだけ。

 多くの人にとって瀬川君ってそういう存在。

 歌苗もきっとそうなんだ。だから、たとえ怒りでもなんでも、瀬川君に面と向かって感情をぶつけられてるわたしがうらやましかったんだ。


 わかった。わかってしまった。

 だってわたしは今。



 今、恩納さんが……どうしようもなくうらやましい。


 ***


「音楽祭のチラシできたよーっ」


 オケの時間。

 コンミスの先輩(伊勢先輩の双子さん)からばらまかれたかっこいいパンフレット。

 そこにはセンスのいい金文字で、あのコンチェルトのプログラムが印刷されていた。




 STUDENT'S ORCHESTRA PROGRAM


 第一部


 J・Haydn 

 Sinphonie Nr.98


 C・Debussy 

 Prelude al'apres-midi d'un faune


 *INTERMISSION


 第二部


 A・Dvorak

 Cello Concerto


 Soloist*瀬川界(本学三年)



 指揮 Edward Willson

 管弦楽 Student's orchestra 





「……」


 プログラムの中ほど、しっかりと印刷された彼の名前。ちくり、と止めようがなく胸が痛む。


 もう、それがなにか、わたしはとっくに知っていた。



 ──ちいさなちいさな欠片。


 胸に芽生えたもの。


 育てるつもりはない。

 面と向かうつもりも、なかった。


 ただ、ああ、なんだかなあって気持ちで、見つめてた。


(最初は、怖かったのにね)


 瀬川君のこと、怖くて怖くてたまらなくて、苦手だったはずなのにね。


(だけど、嬉しかったから……)


 わたしのことをひとりの音楽家として扱ってくれたことが。もったいないよって言ってくれたことが。


 すごく嬉しかったから。

 喉が熱くなったから。


 だから、頑張るの。


 あたしはまだ頑張れるよ。




 ありがとうの想いを、オーボエに込めて歌にするから。




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