歌苗
「じゃあ、ごちそうさまでした」
「イエイエ。またいつでもいらっしゃいな、高崎ちゃん。なんかあったらいつでも言えよー、俺にはフルート科の大親友がいるからな。内から守ってやれるよ」
「まも?」
「そうそう。大事なオーボエ奏者ですから。いなくなられると僕も界もオケの皆も困ります」
「……はあ。」
「ったく、相変わらずそんな曖昧な返事しかしないんだな。もちょっと自信持てよお前」
うめくみたいな低い声と一緒に頭をぱかって叩かれてた。痛いし!瀬川君とわたしの身長差から考えると、それ絶対バイオレンスだし!
「じゃ、いこ。カズ、またあとで」
「おう。お疲れさん」
「ご馳走様な」
男の人三人は声を掛け合い、別れた。わたしも続く。すごーく軽くて、だけどホントに仲いいんだろうなあって思わせるやりとり。
「仲よしさんなんですね」
横に並んだ伊勢先輩に聞いてみる。と、
「そうだねー、腐れ縁みたいな。楽なんだよ」
にこり、といつもの笑顔が返ってきた。
楽かあ、とわたしはちょっとうらやましいような気持ちでつぶやいてみる。
そういえば今わたしにそーゆー友達っていないなあ。皆に煙たがられてるし。
「……高崎は高崎の求めるもんがあるところで、ちゃんとそういう奴ら見つけられるよ。」
「え?」
「うん。僕もそう思う。大丈夫だよ」
「そんなにオーボエ好きなんだからな。」
「そうそう。がんばれる力があるんだから」
「……」
少し前を歩く瀬川君に、隣を歩く伊勢先輩。
ふたりして何だかすごく、気を遣ってくれてるみたいでくすぐったい。だけどうれしい。
「……ありがとうございます。」
「ってことで、今日のオケには出るようにね」
「え。嘘、そのためだったんですか!?」
「あははー、まあ、二度は駄目でしょう。ねえ界?」
「当たり前だ。あの曲にどんだけオーボエのソロがあると思ってる。昨日も大変だったんだぞ、セカンドオーボエに代わりやってもらったはいいものの、そいつヘタクソで……」
瀬川君の毒舌がはじまった。
伊勢先輩が隣で明るく笑い声を立てて、わたしはうえーと泣きそうな顔。
学校まではずっと坂道。
誰かに見られそうな位置まで行ったら離れるよって伊勢先輩が約束してくれていたけど、だけどわたしはちょっとだけ、このままでもいいのになあって思った。
なんかすごくうれしいから。
「界、次の時間なに?」
「んー、多分声楽科のゲストのイタリア人の接待と、続けてオペラのドイツ語字幕の翻訳作業手伝い。」
「あいかわらずクリエイティブな仕事してるね。でも、ドイツ語だったら緋乃も呼んで一緒にやったほうが早いんじゃないの」
「あいつは室内楽の練習だとさ。時間ずらしてくれよって言ったんだけど」
「断られちゃったんだ?」
「……うん」
むーっと、ききわけのないコドモみたいに拗ねた顔をする瀬川君。伊勢先輩が心からおかしそうにくつくつと笑って、わたしは対して興味のないふりを装いながら、またも登場した「彼女」の名前にひじょーにうろたえていた。
緋乃、って、恩納緋乃さん、だよね。
最近やたら目にする、知性と美しさあふれる才女。去年先輩たちのオケをバックにピアノコンチェルト弾いてたな。ベートーヴェンの『皇帝』。ソリストに見惚れて団員たちがミス連発、とかいう話があってそんなバカな!って思ってたけど。
……彼女ならありえるかもって、今ならナットクする。
「この間一緒に帰ったんでしょー」
「な。んで、知ってんだよ!?」
「目撃情報多数。めっちゃデレデレしてたって。界が。お似合いすぎて近づけなかったってもっぱらの噂」
「う……」
噂にまでなってんのかよ、と赤い顔でつぶやく瀬川君を、見ないようにした。うん。なんか見るのやだから……見るのやめよう。大丈夫。もう学校見えてきたし、すぐに別れるし、って……わかってるのに。
──やだなあ。
わたしは顔をしかめた。
なんでこんな、胸がひりひりするんだろ。
***
歌苗が話し掛けてきたのはその後すぐ。
オーボエ科の模擬店を準備していて、重い重いアイスクーラーを一人でえっちらおっちらと運んでいたわたしの、横を彼女が通り過ぎようとして。
「あ」
目が合ってしまった。思わず声を上げていた。
歌苗は一瞬怖いぐらい無表情な顔をして、だけどそのあとにちょっと、ぎごちないように、笑った。
笑ってくれたのだ。
「かな……」
「重そだね。手伝うよ」
そしてなんだかよくわかんない内にアイスクーラーがひょいっと軽くなって、わたしは歌苗と一緒に校舎の入り口へと歩いていた。
運んでいる間は終止無言。気まずいことこの上なかった。
「……よいしょ、っと」
目的地に到達し、アイスクーラーを地に降ろす。歌苗とわたしは向き合って──彼女は、つぶやいた。
「ごめんね。まゆ」
ずきんって言った。
胸が。
あやまられるような関係じゃなかったはずなのに。
「歌苗」
「こんなくだらないことでキレて。勝手して。ほんとごめんね」
謝罪なんだか独白なんだかよくわかんない言い方をして、彼女は気がついたらあっという間に離れていってた。あ、と思わず口から声がもれる。手を伸ばそうとして、だけどそれは重かった。
(歌苗)
ごめんねって、なに?
(歌苗。あやまるくらいなら、どうしてあんなことしたのよ)
言ってくれればよかったのに。
瀬川君が好きだったんだって。
わたしみたいな全然カンケーない子までうざくなっちゃうくらい好きなんだって、そう言ってくれればよかったのに。
わたしは別に彼のこと、なんとも思ってないんだから──。
「もう戻れないのかなぁ」
つぶやいた。
悲しかった。
けっこう歌苗のこと好きだったんだなあって、今更になって確認した。
彼女は、自分のやったことで私がこんな状況になってて楽しいんだろうか。
それほどまでに私のことを憎むようになっていたのだろうか。
友達として隣にいた時から、ずっと、わたしのことが憎かったのかな……。
模擬店の方に戻りながら思いついた考えに、われながら打ちのめされた。いや、それは、あまりに……きつすぎるよ。やめてやめて。
歌苗自身の口からきいたわけじゃないし、ききたくもない。
音楽祭、終わったら。
フツーに、なれるかな。
歌苗と。