欲しがりの義妹に転生したのに、ざまぁしてきそうな隣国の王子様とうっかり出くわしてしまいました
「拝啓〈海のエミリ〉様
お店にお預けいただいた「会議室にて」、先ほど無事に受け取りました。
どうもありがとうございました!
我が国が誇る重臣の皆様、どなたのお姿も生き生きと、今にも動き出しそうに描かれており、見るたびため息が止まりません!
特に素晴らしかったのは……
~中略~
これほどの神品を無料でいただいてしまうのは、先生の作品をこよなく愛する者として非常に心苦しく、また先生の活動を応援したい思いから、心ばかりの品を店主の方に託けてございます。
今後ますますのご活躍を、心よりお祈りしております!
永遠の一ファンより」
「はああああ…………」
届いたばかりのボードを胸に抱きしめ、私はだらしなく口許を緩めた。
描かれているのは、王宮の会議室で論議を交わすイケオジ……げふんげふん、重臣の方々のご様子だ。
議論は白熱しているらしく、静止画なのに躍動感あふれる皆様のお姿からは、今にもそれぞれのお声が聞こえてきそうだった。
「まさか〈海のエミリ〉様直筆の原画をいただけるなんて……!」
きっかけは、王都の文具店で目にした一枚のポスター。
そこにはなんと、財務長官のオブライエン様が描かれていたのである!
オブライエン様といえば、私が勝手に決めた王宮イケオジランキングの第三位に輝くブロンズヒーロー。
四角く、しっかりと肉厚な顎に、知性と憂いを帯びた奥深い目許。
「知的で頼りがいのある大人の男」を具現化したようなオブライエン様が、万年筆のお尻を唇に当て、物憂げなお顔でデスクに肘をついていらっしゃる!
(ちょお、これ描いた人、めっちゃわかっとるやん!)
思わずブタっ鼻にタラコ唇になるくらいショーウィンドウに顔をひっつけた私は、即行でそのポスターを売ってくれるようお店に交渉するとともに、この素晴らしい絵を描いたのは誰なのか、鬼気迫る勢いで詰め寄った。
『ああ、〈海のエミリ〉さん。最近よく見るけど、いいですよね、この方の版画』
『えっ、他にもあるんですかっ!?』
『ええ。確か画材店にも宣伝用のポスターが』
『ちょっと今から行ってきますっ!』
かくして、私は王都中を駆け巡り、〈海のエミリ〉作のポスターを片っ端から集めて回った。
画材店のポスターは絵具の宣伝で、モデルは王宮イケオジランキング第四位のネズビー伯爵ロバート様。
カンバスに向かい絵筆を揮うロバート様、という現実には決してあり得ない設定ながら、芸術家肌のロバート様ならこのお姿も十分アリ寄りのアリ。というかむしろ、前世ならイイネボタンを百万回はぶったたいているところだ。
しかも画中のカンバスに描かれているのはネズビー伯爵領が誇る鑑賞用の薔薇、それもロバート様がご自身で交配した品種〈フィリシア〉であるあたり、モデルに対するリスペクトが感じられて大変に素晴らしい。
革製品を扱うお店のポスターは、トレント伯爵ドナルド様だった。かつて近衛隊長をされていた頃の制服に身を包み、棹立ちになった黒馬に跨る勇壮なお姿は、これもうこのまま銅像にして王宮前のランドマークにしちゃいなYO! というくらいの完成度だ。
(え? 何、この絵師さん。私とめっちゃ好み被ってない?)
何となくだけど、この方となら何時間でも推し語りができる気がする。
そう思った私は、〈海のエミリ〉宛てに手紙をしたため、これらのポスターを刷ったという版画店にダメ元で預けてみた。
もちろん身許は一切明かさず、あくまで「永遠の一ファン」として。
手紙にはエミリ様のすべてのポスターを入手したこと、それぞれの構図に対する考察と賛辞をこれでもかとみっちり書き連ね、最後はオタクの血を吐く叫び――「ぜひこのシリーズの続きを! 何とぞ続きをお恵みくだせえ!」――で締めくくった。
そのお返事が!
この!
エミリ様直筆の原画だったのである!!!
「はふう……」
幸せすぎて過呼吸気味になった私は、ようやく呼吸を整えると、届いたばかりの「会議室にて」――すなわち王宮イケオジ勢揃いの図を改めて鑑賞し始めた。
描かれているのは、オブライエン様、ロバート様、ドナルド様の他、紋章官のベレスフォード様に商務庁長官のグレヴィル様など、いずれも王宮イケオジランキングの上位に輝く錚々たるメンバー。
そして……。
「む?」
並みいるイケオジ達の中でも、ひときわ光り輝いているこの方は……。
「デビアス閣下……? じゃ、ないよねえ……」
デビアス辺境伯閣下。
御年六十を迎えた今も王国の守護神と言われ、魔物が跳梁跋扈する北部辺境領でばりばり活躍されている現役のイケジジ様――に、どことなく似た面差しのイケオジが、画面右端のお誕生日席に掛けていらっしゃる。
「ていうか、閣下はちゃんとここにいるし。ヴォルフ様? ……にしては歳がいってるし……」
デビアス閣下のご子息ヴォルフ様。二十七歳にして早くも極上のイケオジの片鱗を垣間見せている義姉の(推定)本命のお相手を思い出したとたん、私の胸がちくりと痛んだ。
――が、今はそういうのは置いといて。
「えー? 誰だろこの人……」
不覚である。
私としたことが、こんなキングオブイケオジみたいなお方の存在を、今日まで見落としていたなんて!
「知りたいか」
ふいに真後ろで聞こえた声に、私は「ぴゃっ!」と飛び上がった。
「殿下。わたくしの可愛い妹に軽々しく近づかないでいただけますこと?」
見れば、この王国の第三王子ラドフォード殿下と、義姉のイングリッドが並んで立っている。
「お茶会の時間になってもリーシャが来ないものだから。……皆様、もう応接間にお揃いよ?」
そう言うと、義姉は私の肩越しにボードをひょいと覗き込んだ。
「まあ、すごい。どれもご本人そっくりだわ!」
「さすがはおねえさま、お目が高い! 最近、私が嵌まっている絵師様の原画なんです!」
むふー、と胸を反らす私。
「ただ、この方だけ誰だかわからなくて……」
と画面右端を指さすと、義姉は微妙な顔で殿下を見た。
「そうか、アリシア嬢は知らなかったか」
「はい」
残念ながら。
「では教えてやろう。このお方はな……」
ラドフォード殿下は一拍おくと、カッと目を見開いた。
「この国の国王陛下だ、大馬鹿者! この前、デビュタントの夜会でご挨拶したばかりだろうが!」
◇◇◇
いや、だってさあ……。
お茶会の席に移ってからも、なおもねちねちと叱言を言い続ける殿下をよそに、私は胸の中だけでぶちぶちと言い訳を呟いていた。
しょうがないじゃん。王族とか辺境伯とか、ざまぁしてきそうな地雷には極力近づかないようにしてたんだもの。
そう、私リーシャには前世の記憶がある。
生まれ変わった今世の私はピンクの髪にピンクの瞳。おまけに血の繋がらない義姉がいる。
これはもう前世でさんざん読んだお約束の「欲しがり義妹」で確定じゃん?
うっかり義姉の持ち物やら婚約者やらに手を出したら最後、ぼっこぼこにざまぁされる運命じゃん?
そう思った私は決心したのだ。義姉のものは絶対欲しがらない! 当て馬王子には手を出さないし、その周辺の王族にも近づかない! 何なら辺境伯の息子だの隣国の王子だの、義姉の本命になりそうな人物は片っ端から回避すると!
だからデビュタントのご挨拶の時も、国王陛下とは極力目を合わさないようにしていたのだ。
なのに……。
(何でここには当て馬王子に辺境伯の息子、さらに言えば幼馴染まで全員揃っちゃってるの――っ!?)
六人掛けの円卓には、時計回りに義姉とラドフォード殿下。その隣にネズビー伯爵令嬢ペネロープ様と、その婚約者オーガスタス様。その隣に私とヴォルフ様が座っていた。
これで円卓を一周するので、義姉はちょうど当て馬の殿下と本命のヴォルフ様に挟まれる形である。
どうでもいいけど。
「しっかし、この何とかいう画家、たいしたもんやな。ようまあここまで本物そっくりに描けるもんや」
そう言ったのはガス兄ちゃんことオーガスタス様。紋章官のベレスフォード様のご子息にして、私の幼馴染である。
幼馴染といえば、ピンク髪の偽ヒロインのもうひとつの地雷だが、こちらは先ごろ、本命の婚約者、ペネロープ様とめでたく相思相愛になったので、ざまぁフラグは折れている。
私達が今いる応接間には、さっきまで私が見ていた「会議室にて」の他、これまで私が蒐集してきたポスターがずらりと飾られていた。
あまりに良い出来だから、お客様にもお見せしたいと義姉に言われたからである。
推し絵師さんを布教したい私としても、エミリ様が殿下や高位貴族の方々の目にとまり、メジャーになれば万々歳。ということで二つ返事で承知した。
「そうだな。会議室の内部も、細部まで実によく描けている」
何気なく呟いた殿下の言葉に、ヴォルフ様がはっとしたように顔を上げた。
「殿下。少々まずくありませんか」
「何がだ」
「この調度。それに窓からのこの景色。ここは内廷の会議室では?」
「何やそれ。やばない?」
そう言うオーガスタス様の横から、ペネロープ様も身を乗り出す。
「この様子は……おそらく先週開かれた御前会議ですわね」
「ペネロープ嬢。そう思う根拠は?」
「父のクラヴァットピンですわ、殿下。ルビーがついておりますでしょう? 私が誕生日に贈ったもので、この日、父は初めてこのピンを挿していきましたの」
ペネロープ様の父君のネズビー伯爵は、確かに絵の中で赤い宝石のついたクラヴァットピンを挿していた。
殿下はしばらく考えるように黙っていたが、やがて言った。
「先週の御前会議というと、議題はあれか。ルーファスの嫁探し」
「国防に関わる重大事でなかったのは幸いですが、だからといって捨て置くわけにはいきません」
と、ヴォルフ様。
「要するに、王宮に密偵が紛れ込んでいるということね」
「ス、スパイ!?」
義姉の言葉に、私はようやく事の重大さを悟って声を裏返した。
「ままままさか、私の推し絵師様の絵がこんなことになるなんて」
「そうだ、鍵はその絵師だ」
「リー坊。そいつ、一体何者なんや?」
口々に問い詰められた私は、仕方なくこれまでの経緯を洗いざらい白状した。
文具店でポスターに一目惚れし、町中のポスターを集めて回ったこと。
あまりに好きな絵だったので、絵師さんにファンレターを送ったら、お返しに原画をプレゼントされたこと。
「つまり、その版画店を張っていれば、いずれその絵師が現れるということか」
「あながちそうとは限りません。絵師本人がスパイなら、絵や代金の受け渡しには別の者を使うでしょう」
「ふうむ。となると、絵師に直接接触できそうな人物は……」
え、ちょっと。
何でみんな急にこっちを見るの?
「アリシア嬢」
「リー坊」
「憧れの絵師殿に、実際に会ってみたいとは思いませんか?」
思う。そりゃ思うに決まってる。
決まってるけどぉぉぉぉ――――!
「アリシア嬢? 畏れ多くも国王陛下のご尊顔は忘れても、陛下のために働くことくらいできるよな?」
腹黒殿下がにっこりと私に微笑みかける。
いや怖いから! 目が全然笑ってないから――!
◇◇◇
「拝啓〈海のエミリ〉様
頂戴した「会議室にて」、毎日欠かさず眺めております。
実は、ぜひ先生に新しい絵をお願いしたく、再び筆を執りました。
画題や謝礼についてご相談させていただきたく、一度お目にかかれませんでしょうか。
来たる風の月十日の午後二時、王都のカフェ〈薔薇の庭〉にてお待ちしております。
永遠の一ファンより」
――という手紙を、殿下監修のもとで書き上げたのは、あのお茶会の翌日のこと。
ちなみに私が最初に書いたバージョンには「次に描いてほしいイケオジとそのシチュエーション一覧」が微に入り細を穿って便箋十二枚分書き連ねてあったのだが、殿下の「長い」の一言でばっさり削られ、「新しい絵をお願いしたく」の一行だけにされてしまった。
解せぬ。
それでもエミリ様からは「喜んで伺います」と短いお返事が届き、かくして今日、私はスパイの手がかりとなる人物を探るための囮として、指定のカフェの四人掛けのテーブルに、緊張でカッチカチになりながら義姉と並んで座っていた。
「いくら雅号が女名前だからって、本人が女性とは限らないわ」
と義姉が言い出したからである。
「万一男性だった場合も、付添人がいれば安心でしょう?」
「それはそのとおりですけど、おねえさま……」
月光のごとき銀髪に、夜空のごとき濃紺の瞳。
道行く人が十人いれば十人すべてが振り向くだろうどえらい美人の義姉が、髪と目の色こそ珍しいものの十人並みの容姿の私の付添人だなんて、設定に無理がありすぎる。
しかも。
「紅茶のお替わりをお持ちしました」
ティーポットを手に颯爽と現れた店員の姿に、店中の女性客からため息が漏れた。
金髪碧眼、白シャツに黒のカフェエプロンというシンプルな制服さえもハイブランドのオートクチュールのごとく着こなしているのは誰あろう、ラドフォード殿下その人である。
「万が一、その絵師が男性だった時も、近くに護衛がいれば安心だろう」
というのは殿下ご自身の言だが、その殿下を護衛するために、店内にはさらに多くの護衛がいるという、もはやどこから突っ込んでいいのかわからない状況だ。
「くっ。店員役なら私だって……っ」
すぐ近くで、恨みがましい声がした。
「無理やって、若様。あんた練習の時、何枚皿割ったんか憶えてへんの?」
「そうですわ。第一、こういったカフェの店員は、若いほうが好まれますのよ」
「~~~~っ!」
背後のテーブルに座るのは、オーガスタス様とペネロープ様、そして白髪の鬘とつけ髭で変装したヴォルフ様の三人だ。
ここ〈ローゼンガルテン〉は、ネズビー伯爵が自領の薔薇を王都に広めるために開いたカフェだそう。ペネロープ様に無理を言って、今日はひそかに貸し切りにしてもらった。
あちこちに薔薇モチーフがあしらわれた上品な店内。
そこにいる客や店員は、厨房とペネロープ様以外、ほぼすべてが王宮か辺境領の息のかかった人々だ。
いくらスパイの正体を探るためとはいえ、さすがにこれは大袈裟すぎでは……と出がけに抗議した私に、
「「大事な女性を護るためだ」」
殿下とヴォルフ様は異口同音に口を揃えた。
――大事な女性。
つまり義姉のことである。
「こうしていると、学院祭でカフェをやった時のことを思い出すな」
温めたカップに紅茶を注ぎながら殿下が言えば、
「忘れがたい思い出ですわね。殿下の淹れたお紅茶は、とても飲めたものではありませんでしたから」
辛辣な口調で義姉が言い返す。
「いつまでもあの日のままの私ではないぞ」
と殿下が差し出した紅茶からは、義姉の好きな薔薇紅茶の馨しい香りがふわりと漂った。
「殿下。アリシア嬢の好みはオーソドックスなミルクティーです」
背後のテーブルからヴォルフ様の声がする。
(えっ)
私の胸がどきりと鳴った。
確かに私が好きなのは、ノンフレーバーのミルクティーだ。
でも、なぜそれをヴォルフ様が……。
その時だった。
りりん、とカフェのドアベルを鳴らし、大小二つの人影が店内に入ってきたのは。
◇◇◇
「本日は、このように素敵なお店にお招きいただきまして」
〈海のエミリ〉様は、金茶色の髪に榛色の瞳の大人しそうな女性だった。
年齢は義姉と同じくらいだろうか。
背後には、シックな暗紫色のドレスに同色のベールで顔を隠した長身の女性が控えている。
「彼女は私の付添人です。――申し訳ありません。あなた様がもしも男性だった場合、二人きりでお会いするのは支障があると思ったものですから……」
「いえいえ、どうかお気になさらず! 私のほうも同じことを考えておりましたし!」
私はいそいそと立ち上がり、どうぞどうぞとエミリ様と付添人の女性に席を勧めた。
「とりあえず、注文を先に済ませてしまいましょうか。ご存知かもしれませんが、こちらのお店はネズビー伯爵領から直送された薔薇紅茶が有名で、それぞれの品種のお紅茶が楽しめます。エミリ様のお描きになった〈フィリシア〉のお茶もあるんですよ」
私の言葉に、エミリ様は「まあ」と小さく微笑んだ。
「では、私はそれで」
「承知しました。お連れ様はどうされますか?」
私の問いに、エミリ様の隣に座る暗紫色のベールの婦人が、同色のレースの手袋をはめた指でメニューブックの一点を指し示した。
「……この〈ドラメアの宝石箱〉というのはどういったお品でしょうか」
女性にしてはやや低めの落ち着いた声。
「そちらはお茶ではなく焼き菓子の盛り合わせです。商務庁長官のグレヴィル様が、南方諸島のドラメア王国との交易振興のため、これまで輸入していた果物に加え、バニラビーンズの輸入も始めましたの」
バニラの原料となる蔓性植物は非常にデリケートで、栽培できる産地は熱帯地域の中でもごく僅かだ。
その果実を発酵・乾燥させて香りを引き出した香辛料、いわゆるバニラビーンズは、この世界でも最も手間がかかる作物のひとつである。
「ドラメア王国の果物とバニラを使ったフルーツケーキは、今や王都でもひっぱりだこの大人気ですが、その火付け役がグレヴィル様なのですわ!」
「……では、私はそれと〈フィリシア〉のお紅茶をいただきましょう」
ふんす! と鼻息を荒くした私に、付添の婦人が笑いを含んだ声で言う。
「ところで……」
エミリ様がおずおずと口を開いた。心なしか、頬や耳たぶに赤味がさしているようだ。
「〈永遠の一ファン〉様は、グレヴィル……卿、についても、ずいぶんとお詳しくていらっしゃるのですね」
「それはもう!」
王宮のイケオジたちの中でも、グレヴィル様は特異な位置を占めるバイプレイヤーだ。
いわゆる美丈夫、美男子ではないけれど、個性的で忘れがたい風貌はその強烈な個性とともに独自の魅力を放っている。
後退した生え際や目の下に深くはっきりと刻まれたクマは「常に寝不足」とか「神経質」といった印象を与えるが、そこがまた哀愁ただよう大人の渋みがあっていい!
その上、ドラメア王国との通商協定を始め、目立たないながら優れた業績をいくつも上げているその手腕!
――というような内容をオタク特有のノンブレスで滔々と語りきった私は、すっかり冷めたミルクティーをがぶりと飲み干し、「ふう」と息をついた。
「そういうわけで、ぜひ、エミリ様の次回作はグレヴィル様をモデルにしていただきたいのですわ……?」
見れば、エミリ様は真っ赤な顔でテーブルに突っ伏し、付添の婦人は俯いたままふるふると両肩を震わせている。
おそるおそる隣を見れば、義姉はぽかんと口を開けてこっちを見ているし、厨房の出口ではラドフォード殿下が頭痛を堪えるように人差し指でこめかみを揉んでいた。
(あちゃー……)
これは私、やっちゃいましたか。やっちゃいましたね?
スパイの手がかりを探ることも忘れ、皆様の前で自らの性癖を大暴露するとか、これはもうセルフ公開処刑。一世一代の大自爆である。
その時だった。
「……それ、父です……」
テーブルに突っ伏したまま、エミリ様が蚊の鳴くような声でおっしゃった。
父。
え、父?
誰が? 誰の?
「あのう……その、まさかとは思いますが……」
私の声が震えだす。
エミリ様のお父様がグレヴィル様?
てことは私、娘さんの目の前で、お父様の後退した生え際とか目の下のクマとかについて、熱く語り倒していたわけで……。
「……ふっ。ふふふふふっ!」
テーブルの向かい側から、低い笑い声が聞こえてきた。
暗紫色のベールの婦人が、肩を揺らして笑っている。
「ご……ごめんなさい。もう限界。だって――だってこの子、あまりにも私と趣味が丸被りなんだもの!」
ずいぶんと地声の低い人だな、と思う私の目の前で、婦人がベールをかなぐり捨て、レースの手袋を引き抜いた。
「えっ」
その下から現れたのは、褐色の肌に黒髪の精悍な若者の顔だった。
「ルーファス!」
「ルーファス殿下!」
ラドフォード殿下と義姉の声が被る。
褐色肌の青年は、呆然とする私に向かい、にっこりと微笑みかけてきた。
「改めましてこんにちは、愛らしいお嬢さん。私はルーファス・エミール・ドラメア――雅号は〈海のエミリ〉です」
騙すような真似してごめんなさいねえ、とウィンクする青年の横で、エミリ様――に扮していた女性がぺこりと頭を下げた。
「ドラメア王国で大使館員をしております、メラニー・グレヴィルと申します。その……父を……そこまでお褒めいただいて……」
やめてえ! もう言わないでええええ!
(は……は、恥ずか死ぬ――っ!!!)
私は今度こそばったりとテーブルに倒れ伏したのだった……。
◇◇◇
ルーファス様は、我がフェルメア王国とは海を隔てた南方の隣国、ドラメア王国の第二王子だった。
かつて我が国の王立学院に一年間だけ留学されていたことがあり、当時はラドフォード殿下や義姉とも同級生だったそうだ。
「お、王子様……隣国の……」
私の脳内で盛大に警報が鳴り響く。
隣国の王子! しかも留学生!
それって、辺境伯の息子と同じくらい高確率でヒロインの本命になるやつじゃん!
「あらあら。そんなにかしこまらなくていいのよ、お嬢さん。私のことは、これまでどおり気軽にエミリって呼んでちょうだい?」
「そそそそんな、おおお畏れ多くて無理寄りの無理ですっ!」
うっかり近づいたらざまぁフラグがバリバリに立ちそうだし!
「ていうか、ドレス姿で女言葉の王子様って……」
いくら何でも属性盛り過ぎでは。
胸の中で突っ込む私の隣で、義姉が「はあ」とため息を漏らした。
「相変わらずドレス姿が様になっていらっしゃいますのね。さすがは〈ルフィーナ様〉ですわ」
「うふふっ。学院祭の美人コンテストを思い出すわねえ」
「やめろ! その話は二度とするな!」
何を思い出したのか、声を荒げるラドフォード殿下。
義姉たちが二年生の時、一年間だけ同じクラスにいたルーファス様は、帰国される間際までずっと「ルフィーナ」という女生徒で通されていたそうだ。
当時、私はまだ入学前だったし、翌年にはルーファス様は帰国していたから知らなかった。
「うちの国内でちょっとゴタゴタがあってね。要は身をやつして国外に隠れていたわけだけど」
「だったら美人コンテストで優勝なんてするな!」
(あ)
思い出した。学院祭の美人コンテスト。
「あれって確か、優勝者は生徒会長の頬にキ……」
「ていうか、ルーファス。おまえなあ!」
ラドフォード殿下が食い気味に怒鳴った。
「不用心にもほどがあるだろ! ポスターはともかく、正体もわからない相手にあんな絵を送りつけるなんて!」
「あら、正体ならちゃんと知ってたわよ?」
とルーファス様。
「あんな熱烈なファンレターをくれた子だもの。即行で身許を調べるに決まってるじゃない」
ねえ? と私に向けられた流し目に、何ともいえない色香が漂う。
「アリシア・ウィークリング伯爵令嬢。先日は素敵なプレゼントをありがとう。大事に使わせていただいてるわ」
とルーファス様がバッグから取り出したのは、一本のガラスペンだった。
私が原画のお礼状と一緒に贈ったものだ。
「この色、オブライエン様のイメージで選んだものでしょう?」
途端に、それまで恐怖に縮こまっていた私はむっくりと起き上がった。
「そうなんですよ! 初めてエミリ様、じゃない、ルーファス殿下のポスターを見た文具店で見つけたんです。最初は万年筆にしようと思ったんですけど、絵の感じから、きっとガラスペンの方が使っていただけるんじゃないかと思って!」
「嬉しいわぁ。そんなところまで見てくれてたのね。ますます好きになっちゃいそう」
背後でがちゃん! と音がした。
ちょうどヴォルフ様がいるあたりからだ。
ルーファス様が、ずいとテーブルに身を乗り出した。
「ねえ、アリシアちゃん? よかったら私のとこにお嫁に来ない? ていうか、私、第二王子だから婿入りもできるわよ」
「ルーファス殿下。どさくさに紛れてわたくしの可愛いリーシャに求婚するのはやめていただけますこと?」
すかさず気色ばむ義姉に、ルーファス様は悠然と微笑んでみせた。
「あら。アリシアちゃんにとっては、そう悪い話じゃないと思うわよ?」
言いながら、テーブルの下から、すちゃっとクロッキー帳を引っ張り出す。
ぱらりと開かれたそこに描かれていたのは――。
「わああああ! グレヴィル様が、グレヴィル様がダガーを持って暗殺者に扮していらっしゃるうぅぅぅ!」
「それだけじゃないわよぉ。ほらほら」
ぱらりとめくった次ページには、
「きゃー! ベレスフォード様の貴重な居眠りショットぉ――っ!」
「うわ、マジか! てか、こんなとこでオトンの寝顔晒されるとか、何の罰ゲームやねん……」
慌てて飛んできたオーガスタス様ががっくりと膝から崩れ落ちる。
その時、ガタン! と背後で椅子の引かれる音がした。
振り向けば、白髪頭の老紳士が仁王立ちしている。ただしつけ髭は半分剥がれかけていた。
「あら。どちらのおじい様?」
「お戯れはそこまでに願います、ルーファス殿下」
ヴォルフ様はぴしゃりと言った。
「我々は今日、内廷の御前会議を描いた絵の出所を確かめるためにここにいる。――ルーファス殿下。あの会議の様子を、どこでご覧になったのです?」
「どこって、その場に決まってるじゃない。私のお嫁さん探しの会議だもの、本人がいなくてどうするの」
え。
てことは、何?
「スパイなんて、最初からどこにもいなかったってこと……?」
「……そうなるな」
ラドフォード殿下が脱力したように呟く。
「ルーファス。おまえ、こうなることもわかった上で、あの絵をアリシア嬢に贈ったな?」
「さあ、どうかしら」
ルーファス様はそう言うと、すいっと席を立った。
「皆、今日は私のために集まってくれてありがとう。久しぶりに懐かしい顔が見られて楽しかったわ」
そうして、流れるように私の手を取ると、指先に触れるか触れないかの口づけを落とす。
ヴォルフ様のそばで、みしり、と何かが軋む音がした。たぶん椅子の背もたれだ。
「アリシア嬢。求婚の話、次に会う時までに考えておいてね。それじゃ」
私たちは次の予定があるから。
そう言うと、ルーファス様はメラニー様を従えて、颯爽と店を出ていった。
◇◇◇
「くっそ、ルーファスの奴! 来るたびに俺たちを振り回しやがって!」
ラドフォード殿下が王子様にあるまじき言葉遣いで荒れている。
「そういえば、御前会議でルーファス様の花嫁は決まりましたの?」
そう訊いたのは、オーガスタス様と一緒に客に扮していたペネロープ様だ。
ラドフォード殿下は「いや」と首を横に振った。
「あいつの立場は少々複雑でな……」
ラドフォード殿下の話によれば。
ルーファス様は側妃腹の第二王子で、正妃腹の王太子殿下とは同い年。しかも王太子殿下よりできがいいものだから、本人にその気がなくとも担ぎ上げようとする貴族が後を絶たず、一時は王太子派に命まで狙われていたのだそうだ。
王立学院に留学していたのは、ちょうどその頃のことらしい。
(それ、前世で百回は読んだお家騒動テンプレ……!)
「今は落ち着いているが、下手に有力な家と縁を結べば、またぞろ火種になりかねん。だから花嫁は、あまり身分の高くない、ドラメアとも繋がりのない家の令嬢を、という話になっているんだが……」
え、ちょっと。
何でみんな急にこっちを見るの?
「あー、なるほど。リー坊なら条件どんぴしゃりやなぁ」
のんびりと言うオーガスタス様に、義姉と、なぜかヴォルフ様までが気色ばんだ。
「渡しませんわよ」
「渡すものですか」
ヴォルフ様は、意を決したように私のほうに向き直った。
白髪の鬘もつけ髭も、今は取ってしまっている。
(……っ! くうっ!)
総髪に束ねた見事なアッシュブロンドに、日焼けした肌。目許と口許に刻まれた笑い皺。
相変わらず、うっかりすると意識が持っていかれそうなほど私の好みど真ん中の顔面が眩しい。
「アリシア嬢」
「は……はいっ!」
近い近い近い!
「北部辺境領では、毎朝飛竜の飛行訓練があります」
「……?」
「おいでになれば、毎朝、飛竜に跨る父の姿が見られますよ。絵ではなく、本物が」
「あ。それは……素敵、かも」
朝日を浴びて、飛竜に跨るアッシュブロンドの騎士の横顔。
でも、真っ先に思い浮かんだのは、デビアス閣下の姿ではなく。
「あの、その飛行訓練には、ヴォルフ様も?」
「え? ああ、はい、もちろん。私も一応、副団長ではありますので」
(だったら……)
辺境領で毎朝、その景色が見られたらきっとすごく幸せだ。
義姉の手前、口が裂けてもそんなことは言えないけれど。
なんて切ない想いに浸っていた私は、だから気づかなかった。
「あの二人いつまでウダウダしてんねん、はよくっつけや」
「まあ、オーガスタス様ったら。ああいう甘酸っぱいのが最高なのじゃありませんの」
オーガスタス様とペネロープ様がひそひそと囁き合っていたことも。
「ううっ! わたくしの、わたくしの可愛いリーシャが……。でも辺境のほうがドラメアよりはましかしら……」
ぶつぶつ呟く義姉の肩をラドフォード殿下がそっと抱いていたことも。
〈Fin〉




