コーヒータイムに死を添えて
これはとある町にある喫茶店『Cafe Deadline』での日常。
寂れたその店で出されるのは1品のみ。痩せこけた店主が出すおまかせのコーヒーのみだ。誰にどんなコーヒーが出されるかは、店主が店に来た客の顔を見て決める。そんな経営方針で、喫茶店の経営が成り立つのか怪しいが、その店は町が出来た頃から存在し、寂れてはいるものの、潰れる気配はなく、町の日常として溶け込んでいた。
そんな『Cafe Deadline』に、今日も客がやって来る。
カランカランとドアベルがなり、店主が入口の方へ目を遣れば、四人の客が立っていた。
「いらっしゃい」
店主が挨拶する。客は男三人に女一人。別に彼らは知り合いではない。たまたま来た時間が同じだっただけだ。それだと言うのに、四人の客は、迷う事なくテーブル席へと向かい、四人でその席を占領した。この店では良くある事なので、店主はそんな事を気にせず、客にとりあえず水をお出ししてから、カウンターへ戻ると、いつものように豆を挽きコーヒーを淹れる。
「お待たせしました」
10分程で淹れたコーヒーをトレイに載せて、客たちの前に出す。鼻腔をくすぐる香気に四人の客はうっとりしながら、それぞれが己の前に出されたコーヒーと向き合う。
一人目の男は、ブラックのホットコーヒーだった。見事にブレンドされたコーヒーを口に持っていくと、それを一口含む。芳醇な苦味が舌を喜ばせて、香気が鼻腔から抜けていくのを感じながら、喉が望むままにそれを嚥下する。自分が望んでいた味がそこにはあり、一口飲むだけでこの店に来た甲斐があった。と思うと同時に、脳の奥の奥、記憶の底と、このコーヒーの味が混ざり合い、その感想が口を出る。
「やはりこの店のコーヒーは死を思い起こさせるな。死んだ事などないのに、この苦味が、死と言うものが俺にとって、苦いものであり、さりとてその苦味が俺の死を完成させるものだと思わせる。やはり死とは苦く、人生とは苦く、その苦味の先に人生の終わりと言う完成が待っている。と俺の生き方を肯定してくれる」
一人目の男がコーヒーについて語る。自分の人生観を揺さぶるこの店のコーヒー。その味について、聞いてくれる人間が欲しかったから、男は、見ず知らずのこの四人の客は、テーブル席を選んだのだ。
「ほう。貴方にとってこの店のコーヒーは苦いものなのですね」
一人目の男と向かいの席に座った、二人目の男は、自分とは違う感想だ。とでも言いたげに、己の前に置かれたホットコーヒーを口に含んだ。
二人目の男に合わせてブレンドされたコーヒーは、苦味に寄り添うように酸味が広がる味だった。それはつまり男の思う死と言うものが、苦いだけではなく辛酸なものである事を表していた。男にとって死とは屈辱を伴うものであり、忌避するものであった。しかし同時にこの苦味と酸味のブレンド具合が絶妙で、死を想起させるこのコーヒーを飲み干すと言うその行為が、男にとって死を乗り越えるような偉業であると、男は思っていた。
「私は酸味の効いたここのコーヒーが好きなんですよ。苦いだけでなく、この酸味が味を複雑にしてくれて、一口では理解し切れないこの味を、じっくり味わいながら平らげると、急峻な山を登りきった時のような達成感を与えてくれる」
二人目の男は、そんな事を口にしながら、もう一度コーヒーを口へ運ぶ。
「俺の死は詰まらない。とでも言いたいのか?」
「いえいえ。貴方を否定はしませんよ。ただ、死に対しての考え方の違いですよ」
「ふん」
対面の二人がそんなやり取りをしている横で、女はアイスコーヒーにストローを差していた。
キンキンに冷やされたコーヒーは、器まで冷凍庫で冷やされていたようで、触れれば凍傷になりそうな器の中では、ゴロリと氷が主張していた。それをストローで一口啜る。それだけで全身が凍りつきそうなコーヒーは、苦味の奥に甘味を感じさせるものだった。女にとって死は冷たいものだった。死した者は冷たいものであり、熱を取り戻す事はない。それはその先に何もない突き当たりを意味し、それ以上先がないと言う絶望であった。しかして実際のコーヒーには、苦味の奥にほんの少しだけ甘味が感じられた。先がないと思われた死だが、死する先に感じられた甘さが、女を絶望から救う細い細い糸のようで、その一糸の希望の味に、女は静かに涙を流した。
三人目の男は、出されたコーヒーに、まず口を付ける事もせず、卓上のミルクをドバドバと入れたうえ、角砂糖を次々と入れていく。普通の人ならやらない背徳的な甘いコーヒーがその場で出来上がり、男は満面の笑みを浮かべてそれに口を付ける。
それは極上の甘さであった。ただ甘いだけの蜜や砂糖をそのまま口にする事では得られない、苦味を打ち消した事で創られるこの甘さこそが男を陶酔させる。男にとって死は終着点ではなく、通過点でしかなかった。死を想起させるこの店のコーヒーを穢す事は、男にとって死を穢す事と同義であり、穢す事によって、死は特別なものではなくなり、死への道程は苦いものでも、忌避するものでも、絶望するものでもなく、死もまたこの世界に組み込まれた生死の輪環の途中でしかない事を明示した。盛大に甘く、贅沢に甘く、溺れる程に甘いこのコーヒーを飲むと言う行為は、人生を飾り、贅沢の限りを尽くし、幸福に溺れる。男にとっての死は、そんな幸福の中の通過点でしかなかった。だからこそ死への恐怖はなく、それは甘く甘く着飾る贅沢だった。
同じテーブルについた四人の客は、それぞれのコーヒーの飲み方こそが至高であり絶対であると、信仰に近い価値観を一杯のコーヒーに見い出していた。だからこそ彼らはコーヒーの味を論じ、コーヒーの在り方を論じ、死の在り方を論じる。
今日もまた、それぞれの席で、相手が誰とも知れない者と相席になった客たちが、そんな議論を交わすのだった。店主の一杯のコーヒーと共に。