冒険者に必須のもの
その朝、工房の扉を叩く音はいつもよりも重かった。
金属が打ち合うような、どこか緊張をはらんだ音。
アレンが手を拭きながら扉を開けると、そこには深緑のマントを羽織った男が立っていた。
胸には「冒険者ギルド」の紋章。
ギルドの正式な依頼であることを示す印だった。
「失礼します。こちら、“風の手工房”でよろしいですね?」
「ええ。何か修理のご依頼でしょうか」
アレンが応じると、男は慎重に包みを取り出した。
厚手の布をほどいた瞬間、淡く輝く黒い石板が現れる。
表面には古代文字が浮かび、ところどころに淡い亀裂が走っていた。
「……これは、“旧遺物”ですか」
アレンの目が細くなる。
それは、ただの魔道具ではなかった。
「はい。冒険者の登録・能力測定・スキル解析を行うための“冒険者石板”です。
古代文明期の魔導技術で造られたもので、いま動かせるものは世界でも数が少ない。
ですが、こいつが……」
男が言葉を詰まらせる。
アレンは石板に指を触れ、魔力の流れを読む。
途端に、背筋がわずかに震えた。
「……魔力核の導脈が焼き切れている。しかも、二層構造だな」
「さすがに、お分かりになりますか……! ほとんどの職人が“手に負えない”と断りました。
ですが、ここの評判を聞きまして――“どんな魔道具でも直す男がいる”と」
アレンは軽く笑った。
「大げさな評判ですね。けれど、挑戦する価値はありそうです」
黒い石板は、まるで眠っている竜のように静まり返っていた。
その奥に封じられた古代の魔力を感じながら、アレンはゆっくりと机にそれを置いた。
“旧遺物”――それは、ただの修理ではない。
歴史そのものを、もう一度目覚めさせる作業だった。
アレンは、工房の奥に石板をそっと運び入れると、深呼吸を一つした。
光を抑えた作業灯が、黒い石板の表面に複雑な紋様を浮かび上がらせる。
見慣れた魔法回路とは異なる幾何学――古代文明の“構造魔法陣”だ。
「やはり、通常の魔導構成とは違うな……」
アレンは小声で呟きながら、解析用の水晶板を取り出した。
魔力を流すと、水晶板に淡い光の線が走り、石板の内部構造が浮かび上がる。
そこには、二重らせんのように絡み合う導脈がびっしりと張り巡らされていた。
通常の魔道具ではあり得ない構造――おそらく当時の最高位の魔術師が設計したものだ。
「……完全に焼き切れてる。これは修復というより“再接続”に近いな」
アレンは工具台から細い銀線と魔力導体を取り出し、慎重に作業を始めた。
石板の破損部を一つひとつ確認し、導脈を再び繋げていく。
金属のきらめきが淡く反射し、魔力がほんのわずかに脈動を取り戻した。
――ピリ、と空気が震える。
アレンはすぐに手を止める。
石板の表面に、一瞬、青白い光が走った。
まるで何かが“息を吹き返そう”としているかのように。
「……まだ、完全には眠っていないのか」
古代の魔力核が反応している。
しかし、その波動は微弱で、不安定だった。
アレンは静かに魔力を流し込む。
直接干渉するのではなく、魔力の“声”を聴くようにして。
ほんの一瞬――頭の奥に、かすかな響きが伝わってきた。
《記録者、名を……》
その声は遠く、埃をかぶった書庫の奥から聞こえてくるようだった。
アレンは眉をひそめ、作業を中断する。
「……“記録者”か。つまり、所有者認証が生きている」
つまり、ただの修理では動かない。
古代の封印を解き、石板そのものに“新たな主”として登録される必要がある。
「なるほど……。さすが、旧遺物だな」
魔道具の修理ではなく、歴史との対話――
アレンはそう感じながら、再び工具を手に取った。
石板の修理は、予想以上に難航した。
古代の魔法で組まれた構造は現代の術式とはまるで違い、魔力の流れひとつ読むにも数時間を要する。
アレンは診療所のときのように軽やかではなかった。
魔力を細い糸のように流しながら、符の割れ目を読み、内部の構成を少しずつ探る。
目を閉じれば、頭の中に膨大な数の魔力回路が浮かぶ――光の筋が何重にも絡み合い、まるで脳の神経網のようだった。
「……これは、旧時代の“魂計測”系か」
思わずつぶやく。
魂と魔力の結びつきを数値化する技術――それは千年以上前に失われたはずのものだ。
冒険者ギルドがこの石板を秘蔵してきた理由も、ようやくわかる気がした。
修理を進めるうちに、石板が微かに脈打つ。
古い心臓が再び拍動を始めたような感覚。
アレンの額に汗が浮かぶ。ほんの一瞬でも力加減を誤れば、石板内部の魔法構造が崩壊する。
――そして、それは二度と再生できない。
指先に全神経を集中させ、アレンは静かに魔力を送り続けた。
石板が淡く光を帯び、古代文字が浮かび上がる。
「……動いた、か」
その瞬間、背後から小さな息を呑む音が聞こえた。
いつのまにか、ギルド職員たちが作業室の外から覗き込んでいた。
誰もが息を詰め、光のゆらめきに見入っている。
古代遺物に命が戻る――その奇跡のような光景を。
アレンは一歩下がり、光の強まりを確認する。
魔法陣の安定は完璧。
もう少しで、完全修復だ。
石板の光は次第に落ち着き、やがて柔らかな金色に変わった。
表面に刻まれた古代文字が静かに収束し、ひとつの紋章を形作る。
――それは、古の職人たちが「完成」を意味する印。
アレンは深く息を吐き、そっと手を離した。
部屋の空気がふっと緩む。見守っていたギルド職員たちが、次々に顔を見合わせ、やがて拍手が広がった。
「す、すごい……! 本当に動いた!」
「百年前に壊れたって記録されてたのに……」
「いや、百年どころじゃないぞ。これはもう奇跡だ」
アレンは苦笑を浮かべながらも、工具を片付ける手を止めなかった。
「奇跡ってほどでもないさ。ただ、少し時間をかけただけだよ」
――だが、ギルド長の老魔導士だけは違う表情をしていた。
彼は静かに歩み寄り、修復された石板に手をかざす。
淡い光が指先を照らした瞬間、わずかに目を見開く。
「……この再生痕、まるで当時の魔導師が手を加えたようだ。
まさか、君……古代式の修理まで使いこなすとはな」
アレンは肩をすくめる。
「古い友人に教わっただけですよ。人じゃなくて、古文書の方ですがね」
老魔導士は笑った。
「謙遜するな。こんな修理ができる者など、わしの知る限り、世界に数人もおらん」
光を取り戻した石板は、今もかすかに鼓動しているようだった。
その輝きを見つめながら、アレンは静かに思う。
――どんなに古い魔道具にも、“直してほしい”という声がある。
それを聴き取れれば、世界にひとつの命が、再び息を吹き返す。
【魔法の箒、修理いたします。古の声を今に繋ぐ】




