なんでも吐き出す鞄
ある曇りの日の午後。
《風の手工房》の扉が、バタンと勢いよく開いた。
「すみませんっ! 修理してほしいものがあります!」
元気いっぱいの少年が、乱暴に入ってきた。
背中には大きな旅行鞄――が、ぶるぶると震えながら、まるで吐き気をこらえているようにぐらぐら揺れていた。
「……それが、“吐く”前に見せてくれ」
「はいっ!」
アレンが差し出された鞄に目をやると、素材は良質な革、留め金は魔力符で補強済み。
が、そのどれもが、明らかに“過剰に使われて”いた。
「これは……“収蔵型無限収納”の鞄だな。中身は?」
「えーと……旅先でもらった小石、パンフレット、手紙、壊れた魔導具……あと、鳥の羽根と魚の骨と――」
「もういい、分かった。そりゃ“吐き出す”わ」
アレンは苦笑しながら、鞄の蓋を慎重に開けた。
その瞬間――
「ぐえっっぷ!」
鞄がまるで生きているように、大量の物品を次々と吐き出した。
紙くず、錆びた金属片、古びた鍵、魔法石の欠片――中には小さなネコのぬいぐるみまで。
「まったく……よくこれで“動いてた”な」
「ふふ、ぼく、この鞄と二年間、ずっと旅してたんです!」
「旅を?」
「はい! 魔法道具を集めて、修理して、交換して……アレンさんみたいな“修理屋”になるのが夢で!」
アレンは、ちらりと少年を見た。
手には汚れた手袋。指先には火傷の跡。
けれど、目はまっすぐに輝いていた。
「君の名前は?」
「フィンといいます!」
修理は思いのほか難航した。
収納魔法と感情認識式が複雑に絡み合っていたため、鞄が“持ち主の感情”を誤認していたのだ。
「鞄ってのは、使う人の“気持ち”を記憶する。詰め込まれた“執着”が強すぎると、排出するしかなくなる」
「えっと……つまり?」
「お前、旅のすべてを“思い出”として押し込んでるだろう。整理してないんだ」
「……思い出は、捨てたくなくて」
「全部取っておくのが大切なんじゃない。“大事なもの”を選べることが、大人になるってことさ」
アレンは鞄の“感情記録結晶”をいったん取り出し、記憶を整理する魔法を施した。
重複する記録、忘れていい記録、まだ覚えておきたい記録。
一つずつ、鞄の“中”を整えていく。
「これで……“吐き出さずに”受け止められるようになるはずだ」
修理を終えた夕方、フィンは晴れやかな顔で工房を歩き回っていた。
「すごいな……こんな場所で、毎日修理してるんですね……ぼく、ここで弟子にしてくださいっ!」
アレンは椅子から立ち上がり、静かに首を振った。
「悪いな、フィン。弟子は取ってないんだ」
「でも、ぼく、きっと役に立ちます! 朝早く起きます! 力仕事も!」
「そういう問題じゃない。“お前の旅”は、まだ終わってない」
フィンは言葉に詰まった。
「……終わってない?」
「この鞄が、お前と一緒に歩いた時間。まだ“詰める旅”を続けてる途中なんだ」
「でも……修理屋になりたくて……」
「なら、旅を続けろ。“直したい”って気持ちが、本物なら、道具たちが君を導いてくれる」
しばらく沈黙が続いたあと、フィンはぎゅっと唇を噛み、そして笑った。
「……分かりました。また旅を続けます。ぼくがちゃんと、何を直したいのか分かるまで」
「うん。そのときまた来い。話くらいは聞いてやる」
夕暮れの工房前。
再び背負った鞄は、もうぶるぶる震えていなかった。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってこい。……その鞄、今度はお前を“守る”ぞ」
静かになった工房に、アレンは残されたぬいぐるみを拾って苦笑した。
「ひとつ、残してったか……まあ、これもまた、旅の“忘れ物”か」
風が木の看板を揺らす。
【魔法道具 修理いたします。詰めすぎた心も、整理します。】