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魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


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侯爵の杖

 朝の「風の手工房」は、秋の柔らかな光に包まれていた。

 窓から差し込む日差しが作業机を照らし、昨日のうちに整えられた工具の刃先を銀色に輝かせている。アレンは湯気の立つカップを片手に腰を下ろし、机の上に置かれた一通の手紙をじっと見つめていた。


 封蝋に刻まれているのは、クラヴィス・デュラント侯爵の紋章。厚みのある上質な紙には、整った筆跡で依頼の内容が記されている。

 ――近々行われる「魔法実演会」に備え、久しぶりに取り出した家伝の魔法杖を試したところ、まともに魔法を発動できなくなっていた。杖は家の象徴であり、実演会でも人前に立つ以上、このままでは家の名に傷がつく。どうか急ぎ見てほしい。


 アレンは読み終えると、ふうっと長い息を吐いた。

「……侯爵の杖、か。こりゃ簡単な仕事じゃ済まなそうだな」


 そのとき、工房の奥から軽い足音が聞こえてきた。

「アレンさん、行ってきます!」

 元気な声を響かせて飛び出してきたのはノアだった。制服の裾を軽く押さえ、鞄を肩にかける姿は、いつも学校に向かう前の慌ただしい朝そのものだ。


 続いて、少し緊張した面持ちのフィンが姿を見せる。

「師匠、ぼくも行ってきます。今日は魔法理論の講義と、修理実習があるんです」

 彼は新しい鞄をぎゅっと握りしめ、真剣な眼差しを向けていた。


 アレンは2人の様子を見て、口元に笑みを浮かべる。

「おう、気をつけて行けよ。ノア、学校で居眠りするなよ。フィン、お前はちゃんと食って集中力切らすな」


 2人は顔を見合わせて笑い、工房を飛び出していった。扉の閉まる音が静かな空気を残す。

 アレンは少しだけ寂しさを感じながらも、机の上の手紙に視線を戻した。


「……ま、こういう大仕事は俺ひとりで向き合うしかないか」


 椅子から立ち上がったアレンは、出張用の工具鞄を手早く詰め、扉の内側に【出張修理中】の札を掛けた。今日はフィンもノアもいない。完全に、自分ひとりで侯爵家に向かわなければならない。


 工房を後にし、秋の澄んだ空気の中を歩く。石畳を踏みしめるたび、街並みがゆっくりと後ろへ流れていく。遠くに見えてきた侯爵家は、街の象徴のひとつだった。高い石壁に囲まれた広大な庭園、荘厳な門構え。その向こうにそびえる大きな屋敷は、まさしく名家の威光を誇っていた。


 門前に立つ衛兵が来訪の用件を聞き、アレンは侯爵からの手紙を示す。すぐに中へ通され、石畳の長い道を進む途中で、アレンは心の中でそっと呟いた。

「さて……どんな顔して待ってるか、だな」


 重厚な扉の向こうには、依頼主である侯爵が待っている。

 アレンは工具鞄の重みを確かめるように肩を揺らし、一歩、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 屋敷の応接間は深緑の絨毯と重厚な調度で整えられ、壁には歴代当主の肖像画が並んでいた。

 その中央に立つクラヴィス・デュラント侯爵は、背筋を伸ばし、落ち着いた眼差しでアレンを迎える。


「これはアレン殿。先日はお茶会以来になりますな」

 侯爵の声音は品位を保ちながらも、どこか親しみがこもっていた。


「ええ、クラヴィス様。その節はご丁寧にしていただき、ありがとうございました」

 アレンも礼を尽くして頭を下げる。お茶会で交わした会話が互いに記憶に残っていることが、今のやり取りに温かさを添えていた。


 侯爵は小さく頷き、卓上に置かれた一本の杖へと手を伸ばす。

「さて、本題に入ろう。この杖だ。久方ぶりに魔法の実演会で使おうと思ったのだが、どうにも魔力が通らぬ。力を注いでも応えがなく、何人かの修理屋に診てもらったが原因が分からずじまいでな」


 アレンは近づき、杖を両手で受け取った。黒檀の木肌には長年の使用を物語る艶があり、銀の装飾はところどころ輝きを失っている。侯爵家に伝わる由緒ある杖――ただの道具ではなく、家の象徴でもある。


「……なるほど。確かに、ただの摩耗ではなさそうです」

 アレンは杖を指先で撫で、耳を澄ますように魔力の気配を探る。木の奥底にあるはずの流れが滞り、深い淀みとなっているのを感じた。


 侯爵は腕を組み、真剣な面持ちでアレンの言葉を待つ。

「何とか直せそうか?」


「今の段階では断言できません。ですが、長い年月の間に蓄積した負荷と、杖そのものが抱える性質の問題が絡んでいるように思えます。分解して内部を診させていただければ、詳しく分かるはずです」


「分かった。必要なものがあればすぐに用意させよう」

 侯爵は即座に召使いへ指示を飛ばし、作業机と照明が応接間に運び込まれる。


 アレンは工具鞄を開き、杖をそっと置いた。静かな緊張が広がり、応接間はまるで臨時の工房のような空気へと変わっていった。


 アレンは杖を両手で持ち上げ、光に透かすように眺めた。黒檀の艶やかな表面は一見すると美しいが、その奥に仕込まれた魔法の道筋は、ところどころ歪み、淀み、まるで川がせき止められたように停滞している。


「……これは、かなり厄介だな」

 低く呟いた声に、侯爵がわずかに眉をひそめる。


 アレンは工具を取り出し、銀の装飾を慎重に外していく。かすかな音とともに、内部の魔法石が姿を現した。それは半分にひび割れ、今にも砕け散りそうなほど弱っていた。長年の使用に耐えてきた証であり、同時に寿命を迎えた印でもある。


「魔法石はもう使えません。……ただ、新しい石を入れるだけではだめです。回路全体が歪んでいる」

 アレンはそう告げると、工具の先端を杖の内部に差し込み、青白い光を走らせた。


 侯爵は椅子に深く腰掛け、腕を組みながら見守っていた。

「他の修理屋も挑んだが、皆、匙を投げた。やはりそう単純なものではないのだな」


「ええ。魔法回路というのは生き物みたいなものです。持ち主の癖や、年月の流れをすべて吸い込んで形を変えていく。……だから一度壊れると、同じ型をなぞるだけでは直らない」


 アレンは割れた石を外し、懐からいくつかの予備石を取り出した。淡い光を宿す石を、一つずつ掌に載せて魔力の響きを確かめる。高すぎる音のものは即座に除外し、鈍すぎる響きのものも置き直す。やがて一つ、澄んだ青を帯びた石を選び上げた。


「これなら……杖の性質と馴染むはずだ」


 しかし問題は回路だった。長年の歪みによって、魔力の流れが複雑に絡まり合い、枝分かれするように乱れている。アレンは指先に魔力を込め、淡い糸のような光を回路に流し込んでいく。


 すると、杖全体が低くうなり、光の筋が暴れるように走った。

「……っ、まだだ。力の流れが偏ってる」


 アレンは冷静に息を整え、道筋を一度壊してから、再び組み直す。まるで千切れかけた糸を編み直すかのように、一本ずつ確かめるように修復を進める。


「焦るな……慌てるな……」

 独り言のような声が部屋に響き、侯爵はその真剣な表情を黙って見守っていた。


 やがて、新しい魔法石が慎重に収められると、杖全体が淡い光を帯びた。しかしそれでも、かすかに脈打つような揺らぎが残る。


「まだ安定していない……。微調整が必要だ」

 アレンは額に汗を浮かべ、さらに細かく回路を繋ぎ直していった。


 光は少しずつ穏やかさを取り戻し、杖はまるで眠りから目覚めるように、静かに輝きを取り戻し始めた。


「……よし。あとは試すだけだ」

 アレンは深く息を吐き、杖を侯爵へと差し出した。


 アレンから杖を受け取った侯爵は、ゆっくりと立ち上がった。指先で杖をなぞるように確かめ、その重みを掌に馴染ませる。ひと呼吸置き、静かに魔力を込めると――杖の先端から淡い光が走り、室内の空気が澄み渡るように震えた。


「……おお」


 侯爵の低い声が漏れる。今度は意図的に呪文を紡ぎ、小さな炎を掌に呼び出してみる。炎は安定して揺らめき、余計な暴走もなく、すぐに彼の意志に従って消え去った。


「見事だ。まるで若い頃に戻ったようだな」

 侯爵は目を細め、満足げに杖を握り締めた。


 アレンは工具を片づけながら、安堵の息を漏らした。

「無事に直せてよかった。これなら実演会でも問題ないはずです」


 侯爵は頷き、深い笑みを浮かべた。

「さすがはアレンだ。他の修理屋にはできなかった仕事を、見事にやってのけた。……お茶会のときに見せてもらった手腕も驚いたが、今日もまた私を驚かせてくれたな」


「褒めすぎですよ。俺はただ、道具を生かそうとしただけです」

 アレンが少し照れくさそうに答えると、侯爵は朗らかに笑った。


「その謙虚さがいい。だからこそ、道具もお前に応えるのだろう」


 二人の間に穏やかな空気が流れる。しばらくして、侯爵は深々と頭を下げた。

「本当に感謝する。お前のおかげで、私は安心して実演会に臨める」


 アレンは軽く手を振り、笑みを返す。

「俺の仕事は、道具を使う人が安心して笑えるようにすることですから」


 侯爵の邸宅を後にし、アレンは帰路についた。夕焼けが街を染め、工房へと続く道は柔らかな光に包まれている。ひとり歩きながら、彼は心の奥で小さく呟いた。


【魔法の箒、修理いたします。道具に応える心とともに】

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