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魔法の箒、修理いたします。  作者: 仲村千夏


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専門学校の見学

 その日、「風の手工房」の扉には「臨時休業」の札が掛けられていた。

 朝早くからアレンとフィンは身支度を整え、街の中心にある広場へと向かっていた。


「……師匠、本当に今日は休みにしてよかったんですか?」

 フィンが歩きながら振り返る。工房を空にするのはまだ慣れていないのだろう。

「たまにはいい。仕事ばかりじゃ体も気持ちも持たない。それに、今日の目的は大事だろう?」

「はい……」

 答えたフィンの表情には、不安と期待が入り混じっていた。


 広場の正面に姿を現したのは、白亜の外壁を持つ四階建ての校舎だった。塔のように伸びる屋根が青空に映え、大きな窓からは、授業のざわめきや笑い声が遠くに響いてくる。

「……すごい……」

 フィンは思わず足を止め、口を開けて見上げた。

 石造りの堅牢な門柱には「王都魔道具修理専門学校」と刻まれた銘板がかかり、その下には歴代の卒業生の名が細かく彫り込まれている。


「ここが、お前が進むかもしれない場所だ」

 アレンの声は淡々としていたが、その横顔はどこか懐かしげでもあった。

「……師匠も、ここで学んだんですよね」

「ああ。俺にとっても原点みたいな場所だ」

 フィンは小さくうなずき、門をくぐった。


 校舎の扉を開けると、冷たい石の床と高い天井の空間が広がり、外とは別世界のようだった。

 そこへ、ひとりの男性が足早にやって来た。

「やあ、ようこそ。今日は見学の予約が入っていたな……おや?」

 相手はアレンを見るなり目を見開き、そして破顔した。


「アレンじゃないか!」

「……カラン!」

 二人の声が重なる。


 現れたのは、アレンと同じ頃に机を並べた旧友――カラン・ディールだった。

 髪にわずかに混じる白が年月を感じさせたが、快活な笑みと大きな声は昔のままだった。

「まさかお前が来るとはな。案内役を引き受けたのが俺だと知ったら驚くだろうと思ってたよ」

「こっちこそ驚いた。教師になったとはな」

 肩を叩き合う二人の姿を見て、フィンは少し距離を取りながら黙って見守っていた。


 カランはフィンにも気さくに目を向ける。

「おや、この子が見学を希望してるって子か? ……なるほど、いい目をしてる」

 褒められたフィンは思わず背筋を伸ばし、ぎこちなく礼をした。


「では、案内を始めよう。ここが君にとって未来の居場所になるかもしれないからな」

 そう言って、カランは歩き出した。フィンは胸の奥で高鳴る鼓動を感じながら、その後に続いた。


 カランの案内で、三人はまず一階の広い廊下を歩き出した。

 石畳の床は年月を経て磨き上げられ、窓から差し込む光を反射して淡く輝いている。壁には歴代の名工や教授の肖像画が額縁に収められ、学び舎としての重厚な空気を漂わせていた。

 すれ違う生徒たちは資料を抱えたり、腰に工具を下げたりと慌ただしいが、その顔はどれも真剣そのものだ。


「まずはここだな」

 カランが教室の扉を開くと、長机と椅子が規則正しく並び、黒板には魔法陣の図解が残っていた。壁際の掲示板には課題や研究発表の予定がぎっしりと張り出されている。

「座学の教室だ。基礎魔術から道具の歴史、魔力理論まで、四年間で徹底的に叩き込まれる」


 フィンは黒板を食い入るように見つめ、唇を動かした。

「……こんなふうに、体系的に学べるんですね」

「俺たちの頃はまだ教材も十分じゃなかったよな」

 アレンがつぶやくと、カランは「そうだったな」と苦笑する。

「俺とアレンは、この学校の同期なんだ。お互い、何度も競い合ってな」

「競い合ったのはお前が勝手に挑んできただけだ」

「へっ、そう言うな。お前には何度も負けたんだからな」

 カランが肩をすくめると、フィンは驚いた顔で二人を交互に見た。


 次に二階の実習室へ。そこは活気に満ち、木屑や金属片、魔力の光が飛び交う。生徒たちが道具と格闘し、時折、魔石から淡い光が漏れる。

「ここは当時から変わっていないな」

 アレンが感慨深くつぶやくと、カランはにやりと笑う。

「いや、覚えてるか? 俺が魔力制御をミスって工具を吹き飛ばしたこと」

「忘れるわけないだろ。あの時、先生に一時間以上説教されてただろ」

「お前は横で涼しい顔してたよな。くそ、今でも悔しい」

 二人の掛け合いはまるで昨日のことのようで、フィンは思わず笑ってしまう。


 さらに三人は研究室へ。机には未解明の古代魔道具や複雑な設計図が並び、静謐な空気が漂っていた。特殊な水晶板や測定器がずらりと並び、そこに立つだけで背筋が伸びる。

「四年目になると、自分の研究テーマを持つ。新しい修理法を編み出すやつもいるし、古代遺物を解析するやつもいる」

 カランが誇らしげに説明し、フィンは目を輝かせた。

「ぼくも……ここで研究できるようになるんでしょうか」

 問いかけに、カランは力強くうなずく。

「なれるさ。お前にはアレンが認める腕があるんだろう? それだけで十分だ」

 真剣な言葉に、フィンの胸は大きく揺さぶられた。


 廊下を歩きながら、カランはふと横に並んだアレンに目を向ける。

「アレン、お前が残ってくれていたら、この学校はもっと変わっていたかもしれないな」

「俺は俺の道を選んだ。それだけだ」

「……らしいな」

 同期としての互いの歩みを思い返しながらも、二人の目にはどこか温かな光が宿っていた。


 三階の広い窓辺に立つと、外の光がさざ波のように廊下の床を揺らした。遠く広場の喧噪がかすかに聞こえ、若い声や木靴の音が混ざり合っている。その一方で、この階の空気は図書室の紙の匂いと、長年積もった知識の匂いで満ちていた。


 フィンは窓枠にもたれ、ゆっくりと息をついた。胸の中がざわつき、鼓動が手のひらまで響く。手の中にはカランが渡してくれた薄い小冊子がある — 「基礎魔力学概論」の抜粋だ。ページをめくると、専門用語と式が整然と並んでいる。文字の冷たさが指先を伝い、現実味が増していく。


「……ここまで学べるって、本当にすごい」

 ぼくの声はほとんど震えていた。頭の中では”もっと知りたい”という欲望と、“ここで見ていたい”という愛着がぶつかり合う。


 アレンは少し離れて立ち、ぼくの横顔を静かに見ていた。いつもより表情が柔らかく、師匠というより年長の先輩のように――同期だったカランを眺める目と似ている。アレンの沈黙は重さを持って迫ってきたが、責めるものではなかった。


 カランが、棚から古い卒業アルバムを引き抜いてページをめくる。写真の中の若い二人は、今と同じ目つきをしていた。泥だらけの手を笑い合い、夜遅くまで実習室の蛍光灯の下で作業する姿。想い出がモノクロのページの中で生き返る。


「お前たち、若かったな」カランがふいに笑う。

「若かったというか、無茶ばかりしてたな」アレンが応じる。二人の間にあった、ほどよい照れと誇り。そのやり取りに、フィンは胸がぎゅっと締め付けられる。


 カランは真剣な顔になり、フィンに視線を向ける。

「フィン、お前がここで学ぶってのは、ただ資格を取るためじゃないはずだ。ここで学べば、物事の理由や原理が見えるようになる。そうすれば、直感だけじゃ辿りつけなかった修理法も開発できる。お前の手は、きっともっと強くなるよ」


 その言葉は暖かく、しかし少し冷たい現実の匂いも含んでいる。知識は力だが、同時に責任も増す。フィンは小さく頷いたが、また心の中の別の声が顔を出す。


「師匠の手つきを見て学ぶことは、何にも代えがたいんです」

 思わず口をついて出たその言葉に、アレンの眉がわずかに動く。言葉の最後に潜む「師匠」という呼び方の温度に、フィン自身が気づいた。普段は軽口で「師匠」と呼ぶが、今はその言葉に依存や甘えが混じっていることを自覚していた。


 アレンは窓の外を見つめたまま、ゆっくりと口を開く。

「俺だってな、ここを出たあと色んな道があった。だが結局、俺は工房を続けた。理由は単純だ。修理する相手がいるからだ。町の人たちの顔があって、直したときの『ありがとう』がある。学校で学んだことを使う場も、必要だと思ったんだ」


 その言葉は、決して「お前は残れ」と押し付けるものではない。むしろ、アレンは自分の選択が一つの道であることを示し、フィンにどちらが正解というレールを敷こうとしていないのが伝わる。フィンは胸の奥で、師匠の背中に対する敬愛が、どう応えるべきかを問い続ける。


 廊下の向こうで、実習室から金属が擦れ合う音がして、若い声が笑う。あの音に、フィンはふと惹かれる自分を認める。実際の現場で工具を握る感触、失敗して仲間と笑い合う夜。けれど図書室の並んだ書架を見ると、そこに眠る論文や解析資料が新たな世界を開く。


 フィンは拳を作り、指の節に力を込める。胸の中のひび割れた魔石が、きしむ音を立てるようだ。どちらを選んでも、後悔はあるだろう。けれど、今感じているのは「選べない」という恐れよりも、「どちらも深く愛している」せつなさだ。


 カランが穏やかに言った。

「お前がここで学ぶなら、俺たちが支える。お前が工房に残るなら、俺はお前の道を応援する。同期だったあいつ(アレン)が証明してるだろ? どの道も、手塩にかければ意味がある」


 その言葉は、フィンの胸に小さな灯をともした。答えはまだ出ない。しかし、選ぶための材料と励ましが、確かに増えている。窓辺の光は少し柔らかくなり、フィンはもう一度深く息を吸った。


 ──決めるのは自分だ。誰かの期待や後押しで決めるのではなく、自分が納得する形で。


 フィンはその決意を胸に、静かに頷いた。決断の瞬間はまだ来ていないが、心の奥で何かが整い始めているのを感じていた。


 校内の見学を終えた二人は、夕暮れの街へと足を踏み出した。校門を背にすると、広場には橙色の光が差し込み、人々が行き交う足音や噴水のしぶきが重なって、賑やかな日常が広がっている。だが、フィンの心はその喧騒から離れた場所にあった。


 振り返れば、四階建ての校舎が夕陽に照らされて立っている。窓に映る光が金色に揺れ、そこに眠る数々の知識や技術が彼を誘うように輝いていた。胸の奥でざわめいていたものが、確かな形となって息をつく。


「……師匠」

 フィンは視線を校舎から外し、横に立つアレンを見上げた。

「ぼく、ここに入って学んでみたいです。工房で教えてもらったこと全部が、もっと広がる気がします。……でも、戻る場所は、やっぱり工房でありたい。だから、ここで学んで、もっと役に立てるようになります」


 言葉を重ねるほど、胸の奥に灯がともるように温かくなる。もう迷いはなかった。


 アレンはしばらく黙っていた。夕陽に照らされたその横顔は、厳しさと優しさの両方を湛えている。やがて、ふっと息を吐き、小さく頷いた。

「そうか。なら、自分の足で選んだ道を歩け。俺は……お前がどんな道を進んでも、帰る場所を残しておく」


 その声は低く穏やかで、胸に沁みる重みを持っていた。

 フィンの喉が熱くなる。涙が零れそうになったが、彼はぐっとこらえて笑みを浮かべた。帰る場所がある。それは不安をすべて溶かし、背中を押す風に変えてくれる。


 二人は並んで歩き出す。朱に染まった道の先に、灯り始めた街の光と、帰るべき工房の温もりが待っている。

 未熟ながらも確かな決意を抱き、フィンの歩みはゆっくりと未来へ伸びていった。


 【魔法の箒、修理いたします。臨時休業】

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