学校の放送機器
午後の工房は、いつになく静かだった。
アレンは作業机に肘をつき、魔法石や符刻、ブラシ、工具を丁寧に拭いていた。隣ではフィンが、依頼品や小物の整理をしている。先日の大規模な修理とは違い、今日は特に大きな案件は入っていなかったため、工房には落ち着いた空気が流れていた。
その時、工房の扉が軽く開き、ノア・ルーデンが駆け込んできた。手には封筒が握られている。息を整えながら、少し興奮気味に話し始めた。
「アレンさん! これ、校長先生からの手紙です」
「手紙?」
アレンは眉をひそめつつ受け取る。
ノアは少し息をつき、説明を続ける。
「今日の午後、校長先生に呼ばれて……学校で使う放送機器が故障していることを聞いたんです。校長先生は、修理をお願いできるのはアレンさんしかいない、とおっしゃって……私に手渡すように頼まれました」
アレンは封筒の封を切り、中の手紙を広げる。放送機器の故障状況や校内の案内、必要な注意点が丁寧に書かれていた。普段から学校に在籍しているノアが持参することで、アレンは案内や事情を把握した上で修理に臨める。
「なるほど、ノアが案内役か。学校内の構造や設備を熟知しているから、修理がスムーズに進むわけだな」
アレンは机の上で手紙を読みながら頷く。
ノアは少し胸を張り、誇らしげに続ける。
「はい! 校長先生も、普段私が学校にいることもあって、説明役として同行してほしいとおっしゃっていました。アレンさん、明日、一緒に行きませんか?」
アレンは少し考え、微かに笑みを浮かべる。
「わかった。明日は一緒に学校に行こう。店はフィンに任せる」
「えっ、ぼくですか……でも、わかりました! 工房、しっかり守ります!」
フィンは少し驚きながらも、師匠への信頼と自分への期待を胸に頷いた。
アレンは道具の確認を始める。小型の魔法石や符刻セット、予備の魔液瓶、工具箱を慎重にまとめる。ノアが学校で案内してくれるおかげで、修理に必要な予備の魔石や工具も余分に持参できる。
「ノア、準備ありがとう。明日はよろしく頼む」
「はい! アレンさん、私も楽しみです」
ノアは笑顔で手を振り、アレンも小さく応える。
午後の光が工房に差し込む中、アレンは翌日の学校での修理に備え、静かに道具の準備を進めるのだった。
翌日の朝、アレンとノアは街の道を歩き、魔法学校へ向かっていた。
秋の柔らかな光が差し込み、通学する生徒たちが足早に校門をくぐる。ノアは手慣れた様子で校内を案内しながら、放送室への最短ルートを説明する。
「ここをまっすぐ行って、階段を二つ上がったら放送室です。普段私が使っているので、どの設備がどこにあるか知っています」
「なるほど、助かる」
アレンは頷き、手に持った工具箱や魔法石の入った小型ケースを調整しながらつぶやいた。
放送室に着くと、校長が待っていた。温厚そうな笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げる。
「アレンさん、ノア、わざわざ来てくれてありがとう。実は、昨日から放送が不安定で……今朝も何度か音声が途切れてしまい、全校集会の準備もままなりませんでした」
アレンは軽く会釈する。
「問題を確認させてもらおう。まず、どの部分でトラブルが起きているのか教えてほしい」
校長の案内で、放送室の中央に設置された大きな魔法放送機器の前に立つ。機械は複雑な魔法陣と符刻が刻まれており、アレンの目には微細な損傷や埃が積もっているのが見えた。
「これは……符刻の摩耗と、魔法石の輝きが弱まっていますね」
アレンは機器を慎重に観察し、必要な道具や補助魔法石を確認する。
「ノア、ここから先は君の案内が頼りだ。どの部分が普段よく使われて、どこが最もトラブルを起こしやすいか教えてくれ」
ノアは頷き、アレンの指示に従って、配線や符刻、魔法石の配置をひとつずつ説明していく。
「この魔法石は、放送の声を校内に均等に届けるために使われています。摩耗が進むと音が途切れたり、範囲が狭くなったりするんです」
「なるほど。では、まず石の輝きを回復させる作業から始めよう」
アレンは作業台を用意し、補助魔法石や調整道具を取り出す。
フィンの手助けがあればさらに効率的だが、今回はノアが案内役として同行しているため、二人で手分けして作業することにした。ノアはアレンの指示に従い、必要な符刻や部品を運び、順序を確認しながら慎重に作業を進める。
アレンは機器を慎重に分解し、摩耗した符刻を確認する。小型の魔法石を取り出し、光を確認しながら補充する。ノアはその間、機器の周囲を清掃し、埃や小さな破片が作業に影響しないよう注意を払う。
「ほら、ここ。普段は気づかないけれど、埃が符刻の隙間に入り込んでいます。これが原因で接続が不安定になるんだ」
ノアはアレンの作業を横目で見ながら指摘し、補助の魔石を差し出す。
「ありがとう。君がいなければ、ここまでスムーズにはいかないだろう」
アレンは微笑み、作業に集中する。
放送機器の修理は単純ではない。小さな魔法石の輝きや符刻の微調整が、校内全体の音声品質に直結する。しかし、アレンは長年の経験から一つひとつ確実に作業を進め、ノアも案内役として的確に補助する。
機器の表面が磨かれ、符刻が再配置されると、魔法石は以前よりも鮮やかに輝き始めた。放送機器から微かに流れるテスト音声も安定しており、アレンは頷く。
「これで一応の確認はできた。次は最終調整だ」
ノアも嬉しそうに目を輝かせ、放送機器の周囲で補助作業を続ける。
午後の学校は、校内放送が滞ることで少し慌ただしい雰囲気だったが、アレンとノアの集中作業により、徐々に落ち着きを取り戻していく。
作業を進めるうちに、予想外の問題が立ちはだかった。
符刻の一つを調整して魔法石をはめ直した瞬間、機器の内部から小さな火花が弾ける音がした。放送機器が軽く揺れ、微かな警告音が鳴る。
「危ない!」
ノアが思わず後退しながら声を上げる。アレンは咄嗟に機器を支え、火花が周囲に飛ばないよう注意深く操作する。
「この符刻、摩耗が思った以上に進んでいる……慎重にやらないと、機器全体に影響が出るな」
アレンは魔法石を再度取り外し、輝きをチェックする。火花は一時的なもので、機器そのものの損傷は最小限だと判断したが、気を緩めるわけにはいかない。
ノアは落ち着いて補助魔石を差し出す。
「アレンさん、ここに新しい魔石を使えば安定します!」
「うむ、それでいこう」
アレンは素早く魔石を入れ替え、符刻の位置を微調整する。再度テストすると、機器から流れる音声は安定し、火花も消えた。
しかし、問題は一つだけではなかった。次に調整すべき音声増幅用の魔法石の中に、小さなひび割れが見つかったのだ。これを見逃せば、全校集会中に音声が途切れるリスクがある。
「これは……交換するしかないな」
アレンは道具箱から予備の魔法石を取り出す。ノアも補助として手伝い、ひび割れた石を慎重に外す。新しい石を正確に符刻にはめ込み、魔力の流れを確認する。
作業中、アレンは改めて気づく。ノアは案内役としてだけでなく、魔法機器に関する細かい知識も持っている。符刻の順番や魔石の種類、普段の使い方まで把握しており、指示を的確に出せる。
「さすがノア、君がいなければここまでスムーズにはいかない」
アレンが微笑むと、ノアも少し照れたように笑う。
「でも、アレンさんがいるからこそ安心です。私一人じゃここまで直せません」
修理作業は緊張の連続だった。魔法石の交換や符刻の微調整を間違えれば、放送機器は作動しなくなる。しかし、アレンの冷静な判断とノアの的確な補助により、徐々に作業は順調に進む。
最後の符刻を戻すと、機器は静かに輝き始めた。微かな魔力の流れが、校内全体に広がるのをアレンは感じる。
「よし、これで一通り確認できた」
ノアも放送室の中央で深呼吸をし、安心した表情を浮かべる。
しかし、緊張感は完全に解けたわけではない。これから実際に放送を流してみて、全校に均等に音声が届くかどうかが最後の試験となる。
アレンとノアは、次に控える最終テストに向けて、最後の調整を始めるのだった。
最終テストが始まった。アレンは慎重に魔法石の流れを確認し、符刻の微調整を最後に行う。ノアは横で補助魔石を差し出し、音声の伝わり方や機器の反応を一つひとつ確認する。
魔石の微調整を終えると、校内に放送の声が均等に響き渡った。各教室の生徒たちの声も混じらず、クリアに聞こえる。微かな音の歪みもなく、机を叩く生徒たちの音も魔法的にキャンセルされ、まさに理想的な音量と範囲で流れる。
「……これで完璧だ」
アレンは小さく呟き、機器の表面を整える。ノアも満足そうに頷き、思わず拳を軽く握った。
校長が放送室に入ってきた。温厚な笑みを浮かべ、二人に深々と頭を下げる。
「アレンさん、ノア、本当にありがとう。これで明日の全校集会も問題なく行えます。おかげで安心して準備できます」
「いえ、校長。ノアが案内してくれたおかげで、スムーズに作業できました」
アレンは淡々と答えるが、内心では今回の修理がノアにとって大きな学びになったことを喜んでいた。
ノアは照れくさそうに笑いながらも、目を輝かせて校長に向き直る。
「校長先生、ありがとうございます。私もアレンさんと一緒に修理できて勉強になりました。将来は、こういう魔法機器を自分で管理できる仕事に就きたいです」
アレンはその言葉に軽く頷き、将来の夢に向かうノアの決意を感じ取る。
学校を後にして、街へ向かう帰路。午後の陽射しは柔らかく、穏やかな風が二人の頬を撫でる。ノアは道すがら今日の作業の感想や、校内で見た機器の仕組みについて熱心に語り続ける。アレンは笑みを浮かべながら聞き、時折助言や解説を加える。
「ノア、君ならいつか、こういう仕事を一人でこなせるようになるだろうな」
「はい、アレンさん。まだまだですが、少しずつでも近づきたいです」
歩きながら、二人は今日の修理作業を振り返る。トラブルが起きた時の冷静な判断、魔石の微妙な輝きの差異、符刻の微調整一つで音が変わる微細な変化……すべてがノアにとって、学びと興奮の連続だった。
アレンはふと笑みを浮かべ、思わずつぶやく。
「魔法道具の修理は、壊れたものを直すだけじゃない。学びのきっかけにもなる。今日の君の集中力は、将来必ず役立つだろう」
「はい! アレンさんと一緒なら、もっと頑張れそうです!」
ノアの目は輝き、午後の陽光を受けてさらに生き生きと見えた。
街角を曲がると、学校の鐘の音が遠くに響いてくる。今日一日を無事に終えられた安堵感と、学びの余韻が二人を静かに包む。帰路の道中、ノアは今日の作業で得た知識や体験を思い出しながら、自分の将来に思いを馳せていた。
アレンもまた、静かに微笑み、教え子の成長を喜びながら工房に戻る足を進める。街の景色は日常の穏やかさに満ちていたが、その背後には、今日の小さな冒険と学びが確かに刻まれている。
【魔法道具、修理いたします。――学びと成長も、修理の一部】




