羽ペンで書くこと
工房の扉が、かすかな風とともに開いた。
夏の終わりを告げる風鈴の音が、店内に涼を運ぶ。
「こんにちは……修理って、どんな道具でもお願いできますか?」
小さな声でそう尋ねたのは、ひとりの少年だった。
年は十歳前後。胸に古い革の筆記帳を抱え、手には箱に入った羽ペンを持っている。
「できるかどうかは、見てからだな。見せてごらん」
差し出された羽ペンは、濃い青の羽根でできていた。
軸の部分は金属製で、ところどころに小さなルーン文字が刻まれている。
見れば見るほど、繊細な手仕事が光る一品だった。
「これは……古いね。お前の?」
「母の形見です。……もう魔力が入らなくなって、文字も書けなくて」
「ふむ。魔力書記式の羽ペンか。書き手の感情に反応して、自動的にインクを流すタイプだな」
アレンは作業台に羽ペンをそっと置いた。
少しだけ軸が歪み、羽根の先端が折れかけている。
「……無理に書こうとした?」
「はい……母の手紙を、どうしても返したくて」
「返す?」
少年は小さく頷いた。
「母が亡くなってから、ずっとこの羽ペンで書いてたんです。“ありがとう”とか、“寂しい”とか。でも最近、もう一文字も出てこなくなって……」
アレンは静かに羽ペンを撫でた。
「道具が書けなくなるのは、壊れたからじゃない。……“書けない言葉”があるときだ」
「……書けない言葉?」
「たとえば、“さよなら”とか」
少年はぎゅっと唇をかんだ。
その言葉を、自分が言えていなかったことに気づいたのだろう。
「直せますか?」
「試してみよう。お前の言葉が、まだこのペンに残っていれば、きっと」
修理室に入り、アレンは羽ペンを分解し始めた。
芯の部分に魔力導管が通っており、そこが細かく詰まっている。
「感情が詰まりすぎてる。書けなかった想いが“渋滞”を起こしてるんだ」
彼は導管の中を特殊な魔力液で洗い流し、
折れかけた羽根に、補修魔法をかけて形を整える。
羽根はふわりと柔らかさを取り戻し、軸の文字も輝きを取り戻した。
「よし。最後は、心の蓋を開けるだけだ」
アレンはペンにそっと魔力を通し、少年の“書けなかった想い”にアクセスした。
そこには、ただひとつ――強く、強く押し込まれた言葉があった。
「……さよなら、が言えなかった」
その言葉を、アレンはペン先に込めて戻した。
「これで、“最後の一言”が書ける」
工房に戻った少年は、アレンに導かれ、試し書きの用紙に向かった。
「好きな言葉を書いてみな」
少年は、深く息を吸い、ゆっくりとペンを走らせた。
「さようなら、でも、ずっと大好きです」
青いインクが、紙の上でゆっくりとにじむ。
インクが出た。
魔力が戻った。
そして――少年の目から、涙が一粒だけ落ちた。
「書けた……」
「ああ。お前の心が、ようやく前に進めたからだよ」
少年は紙を抱きしめるようにして、何度も何度も頷いた。
「これで……もう一度、ちゃんと“話せた”気がします」
「言葉は道具と違って、形がない。でも、書けば形になる。“書くこと”は、心の修理でもある」
少年が帰ったあと、アレンは机に羽ペンと似た古いインク瓶を並べた。
「たぶん、これであの子も、明日からまた書けるな」
工房の窓を、かすかな風が吹き抜ける。
【魔法道具 修理いたします。言葉も、想いも、かたちにできます。】