出張修理中ーー舞台幕
舞台裏を歩くと、巨大な布が天井から吊るされているのが見えた。観客席からは見えないが、この幕こそ劇団の象徴――魔法の舞台幕だ。
場面転換に合わせて模様を変え、時には光を映し、時には風景そのものを描き出す。まさに「一枚で舞台を変える」力を持っていた。
だが今は、端のほうに不自然な焦げ跡が広がり、模様も途切れたように乱れている。
「……これは」
アレンが幕を見上げ、小さく息をついた。
「師匠、まるで絵が崩れ落ちてるみたいですね」
「魔力織りの糸が焼き切れている。原因は――過剰な魔力の流し込みだな」
舞台監督が額を押さえた。
「実は先日の稽古で、背景をもっと派手にしたいと役者が魔力を込めすぎまして……。以後、幕が暴走してしまうんです」
「魔法道具は使い手を選ぶ。舞台幕は精緻な調整が要るのに、無茶をすれば壊れるのは当然だ」
アレンは道具箱を置き、幕に手を触れた。布は冷たく、微かに震えている。まるで苦しんでいる生き物のようだった。
「フィン」
「はい!」
「織り糸の補強は任せる。俺は魔力の流れを安定させる」
「やってみます!」
フィンは梯子を登り、ほつれた部分を近くで覗き込んだ。魔力糸は、ただの糸ではない。光の粒を宿した繊細な線が、蜘蛛の巣のように重なり合って布を形作っている。その一本が切れると、全体の模様が歪み、背景が崩れてしまうのだ。
フィンは深呼吸し、針に新しい光糸を通した。光糸は扱いが難しく、ほんの少し力を入れすぎると霧のように消えてしまう。逆に緩めすぎれば結び目が浮き、模様が乱れる。
「焦らないで……一本ずつ」
額に汗を浮かべながら、フィンは慎重に糸を織り込んでいった。
下でアレンは片手を幕に当て、もう片手で魔力石を操作していた。焼き切れた部分に余計な魔力が滞留しているのを、ゆっくりと引き抜いていく。
「フィン、結び目を作るときは、必ず魔力の流れと合わせろ。逆らうと、せっかく繋いでも弾かれる」
「はい!」
フィンは糸の光の向きを確かめ、指先で魔力を流し込む。すると光糸はすっと布に溶け込み、切れ目をなぞるように馴染んだ。
焦げ跡が薄れ、模様が少しずつ戻っていく。フィンの結ぶたびに、幕が小さく震えて答えるようだった。
「よし、その調子だ」
「師匠、あと三筋で終わります!」
最後の糸を結んだ瞬間、アレンが魔力石を離した。幕全体がふっと揺れ、光の波が走る。崩れていた模様は再び整い、背景に青空と城郭の映像が鮮やかに浮かび上がった。
「おお……!」
舞台監督が感嘆の声を上げる。
「素晴らしい! これで舞台が救われます!」
梯子を降りたフィンは、少し得意げに胸を張った。
「師匠のおかげです」
「自分の手で直したんだ。胸を張れ」
アレンが静かに言うと、フィンの顔はぱっと明るくなった。
そのとき、舞台の奥から軽やかな声が響いた。
「まあ、すごいじゃない。幕が息を吹き返してる」
二人が振り返ると、そこにいたのは女優レイナ・セリーヌだった。煌びやかな稽古衣装のまま、柔らかく微笑んでいる。
「先日は私の衣装棚を直してくださってありがとう。今度は幕まで……あなた方、本当に頼りになるわ」
フィンは一瞬固まり、慌てて頭を下げた。
「れ、レイナ様……!」
「ふふ、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
レイナは舞台幕を見上げ、満足そうに頷いた。
「これでまた、観客を夢の世界へ連れて行けるわ」
舞台幕の修理は無事に終わった。だが、舞台裏にはまだ不具合のある道具が残っているという。
アレンとフィンの出張修理は、まだ続く――。




