クマのぬいぐるみ
その日、「風の手工房」の扉を押し開けたのは、小さな影だった。
年の頃は十歳ほどだろうか。まだ幼さの残る少女が、両腕で大切そうに何かを抱えている。
それは古びた茶色のクマのぬいぐるみだった。
毛並みはすっかりくたびれ、左目のボタンは今にも外れそうで、右の腕からは白い綿がのぞいている。
「……あの、これ……直せますか?」
少女は不安そうに問いかけた。
アレンは手元の道具を置き、ぬいぐるみに視線を落とす。
「ずいぶん使い込まれているな。大事にしてきたんだろう?」
「はい……。小さいときからずっと一緒で。寝るときも、出かけるときも、寂しいときも……」
少女の声はだんだん小さくなっていく。その目は、泣き出すのを必死にこらえるように潤んでいた。
横で見ていたフィンは、思わず口元を緩めた。
「ぬいぐるみかぁ。まさか工房に持ち込まれるとはな。でも、なんかいいな」
「ぬいぐるみも立派な魔法道具だよ」
アレンはやわらかく言う。
「布と綿に魔法を少し込めてあるんだ。持ち主が安心して眠れるように、夢をやさしく見守るためにな」
「へぇ、知らなかった」
フィンは感心したように頷いた。
「じゃあ、ただの思い出じゃなくて、本当に力を持ってるんだ」
アレンは頷き、少女からぬいぐるみを受け取った。
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作業に取りかかる前に、アレンは問いかける。
「少し聞かせてくれるかい? この子と、どんな思い出があるのか」
少女は胸の前で両手をぎゅっと握りしめる。
「……このクマは、お母さんが私に作ってくれたんです。病気で寝込んでいたとき、『ひとりでも寂しくないように』って」
記憶をたどるように、少女の声は震えながらも続いた。
「怖い夢を見たときは、抱きしめてたら落ち着けたし。学校で泣いて帰った日も、この子に話したら、ちょっと元気が出て……。友だちがいないときも、この子がいてくれました」
フィンは黙って耳を傾けていたが、その目はどこか切なげだった。
「……そっか。じゃあ、ただの布切れじゃないんだな。君の、もうひとりの友だちだ」
少女はこくりと頷いた。
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アレンはぬいぐるみを作業台にそっと置いた。
「さて。では始めようか。見ていてもいいかい?」
「はい……!」
まず、ほどけかけた縫い目を確認する。
「腕と足、それから胴体の合わせ目……ずいぶん傷んでいるな」
アレンは小箱を開け、何色もの糸を取り出した。その中から淡い金糸を選ぶ。
「普通の糸でも直せるが、今回は特別な糸を使おう。『夢糸』と呼ばれていて、縫った場所に眠りの魔法を染み込ませることができる」
針に糸を通すと、光が細く瞬いた。
アレンは綿を一度取り出し、日差しに透かして軽くほぐす。そこへ新しい綿を少し混ぜ、均一になるよう指先でふわりとまとめていった。
「ただ詰め直すだけじゃだめなんですか?」
フィンが尋ねる。
「綿には持ち主の気持ちが染み込む。全部捨ててしまえば、ただの人形になってしまう。だから古い綿は残しつつ、新しい綿で支えてやるんだ」
少女の目が丸くなる。
「じゃあ、この子の中には、私の気持ちがずっと……?」
「そういうことだ」
アレンは微笑み、ゆっくりと針を動かした。
一針ごとに金糸が淡く光り、ほころびが閉じていく。
外れかけた目は迷った末にそのまま残した。
「新しいボタンもあるけれど、どうする?」
「……このままでいいです。少し不揃いでも、それが私のクマだから」
アレンは頷き、ほつれを固定するように糸を結んだ。
最後に胸元に手を当て、低く呟く。
「――眠りを見守る心、再び灯れ」
金糸がほのかに揺れ、ぬいぐるみの体がふんわりと温もりを帯びる。
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ふたたびの抱擁
「……できたよ」
アレンが差し出すと、少女は両手でそっと受け取り、ぎゅっと抱きしめた。
くたびれていたはずのぬいぐるみは、不思議と柔らかさを増し、まるで安心させるように温かさを返してくる。
「……ありがとう……! また一緒に眠れる」
少女の顔にぱぁっと笑顔が広がった。その笑顔を見て、フィンも思わず目を細める。
「いいなぁ。オレも小さい頃、同じようにお気に入りがあったんだ。……でもどこかに置きっぱなしで」
アレンは笑って肩をすくめる。
「思い出は失われても、心に残っているなら、それでいいさ」
少女は深々とお辞儀をして、ぬいぐるみを抱きしめたまま工房を後にした。
扉が閉まると、工房に静けさが戻る。
「……アレンさん」
「ん?」
「修理って、ただ直すだけじゃなくて、気持ちまで繕うんだな。なんか、いいな」
「そういうものさ。魔法道具は、持ち主の心を写す鏡だから」
フィンは小さく頷き、自分の昔の玩具のことを思い出していた。
きっと、どこかの箱の奥で眠っているはずだ――。
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【魔法道具、修理いたします。思い出ごと、縫い合わせます】




