魔法の筆
風の手工房の扉が、軽やかに開いた。
「こんにちは、アレンさん」
ノアの声に続き、フィンもそっと顔を覗かせる。
アレンは作業台の上に並べられた道具のひとつを手に取った。細長い木の軸に、柔らかい毛が束ねられた筆だ。見た目は普通の筆だが、毛先には微かに青白い光が宿っていた。
「これは……?」ノアが興味深げに尋ねる。
「魔法筆だ。依頼主は町の書道家。特別な魔法で文字を美しく整える筆だが、最近うまく文字が流れないらしい」
フィンの目が瞬時に輝く。
「わあ……魔法筆! これ、見たことあります! 書くと魔力が線に乗るんですよね!」
「興奮するのは分かるが、触る前に状況を確認する」アレンは冷静に毛先を手で軽く払う。
魔法筆は、筆を走らせると毛先から魔力が流れ出し、書かれた文字に命を宿す道具だ。筆圧や角度に応じて、線の太さや光の色まで変わる。長年使われるうちに、魔力回路が乱れ、力が毛先に正しく届かなくなっていた。
アレンは筆を持ち、静かに魔力を流しながら内部の回路を診る。青白い光が途切れ途切れに揺れている。
「なるほど……確かに不安定だな」
ノアが手を伸ばしかける。
「私、触ってみてもいいですか?」
「うむ、軽くなら構わない」
ノアが筆を握ると、柔らかい毛先に手のひらの魔力が伝わり、微かに光が回復した。
フィンはその様子を見て目を輝かせる。
「うわ、光が流れた! 文字を書くと、魔力が線になるんだ……」
「焦るな、フィン」アレンは穏やかに注意する。
修理作業は慎重を要した。筆の内部は極めて繊細で、毛先の一本一本が魔力の通り道になっている。少しでも乱すと、書いた文字が曲がったり、力が抜けたりする。
ノアは丁寧に毛先を整え、汚れや古い魔力の結晶を取り除く。
フィンはアレンの指導のもと、筆の軸に沿って魔力の流れを確認し、必要な箇所に微細な修正を加えた。
「こうして、毛先と軸の魔力回路をそろえてやると、筆の力が本来のまま文字に伝わる」アレンは言う。
「なるほど……魔法って、筆の一本一本にも宿るんですね」ノアが感心したように頷く。
数時間かけ、筆の調整が終わった。アレンは軽く毛先を紙に置き、試し書きをした。
青白い光が線に沿って走り、文字が生きているかのように輝く。
「うわ……きれい……」ノアの声が思わず漏れる。
フィンも手を叩いて喜ぶ。
「僕も書いてみたい! アレンさん、触っていいですか?」
「まずは基本の運筆を学べ」アレンは微笑む。
その後、ノアとフィンは順番に筆を手に取り、文字を書いてみた。最初は力加減が難しく、文字はまばらに光ったり、途切れたりした。
しかしアレンの指導のもと、毛先の力の伝え方、角度、速度を調整するたびに、文字は生き生きと輝きを取り戻していく。
「すごい……まるで文字が動いているみたい」ノアは息をのむ。
「道具と心を合わせるって、こういうことか……」フィンも感嘆した声を上げる。
夕暮れが近づくと、魔法筆は完全に修復され、紙の上に美しい光の文字を描き出した。
依頼主の書道家が工房に来ると、二人が書いた文字を見て目を輝かせた。
「すごい……まるで私が書いたようだ。いや、それ以上かもしれない」
アレンは穏やかに笑う。
「筆はただの道具じゃない。持つ人の心と呼吸を感じながら文字に魔力を乗せるものだ。だから、手入れひとつで表情が変わる」
書道家は深く頭を下げた。
「ありがとう、アレンさん。これでまた文字に命を宿せます」
その日、風の手工房にはまたひとつ、力を取り戻した魔法道具が静かに置かれていた。
ノアとフィンは修理の余韻に浸りながら、静かに微笑む。
【魔法道具、修理いたします。魔法筆は、書く人の心を映す】




