ノアの夏休み課題
夏の日差しがまぶしくて、風の手工房の前に置かれた日除けの布が、かすかに影を揺らしていた。
「アレンさーん!」
ぱたぱたと小さな足音が工房の前に響き、ノア・ルーデンが勢いよく戸を開けた。後ろからは少し気恥ずかしそうな表情を浮かべたフィンが続く。
「こんにちは、アレンさん。ご迷惑じゃ、なかったですか?」
「いや、大丈夫。ちょうど涼しいお茶をいれたところだ」
アレンは手を止めて笑った。長い作業台の上には、バラバラになった何かの脚部のような部品が積み上げられている。
「それ、壊れた椅子ですか?」
ノアが目を輝かせて身を乗り出すと、アレンはうなずいた。
「客からの依頼なんだが、ちょっと時間がかかりそうでな。魔力の流れがねじれてる。普通にくっつけても、座った途端、どこかに吹っ飛ぶぞ」
「うわ、それは危ないですね!」
「で、ちょうどいい機会だ。ノア、フィン。夏休みの課題で“手を使って何かを作る”ってのがあるんだろ?」
「えっ、知ってたんですか?」
ノアが目を丸くし、フィンが小さく笑った。
「お祖母ちゃんが、言ってたんです。『工房に行って、何か教わってきなさい』って。だから今日は、その……お願いしようと思って」
「ふむ。それなら――この椅子、二人に任せてみるか」
「えっ?」
「ええっ!?」
二人は同時に声を上げた。アレンは口元だけで笑いながら、修理途中の部品をひとつ、ぽんと差し出した。
「もちろん、手伝いはする。だけど基本は二人で調べて、考えて、組み立てる。お客さんのものだから、本気でな」
その一言に、ノアとフィンは無言でうなずいた。
工房の中に、夏らしい緊張と期待が立ち込めた。
* * *
「ねえフィン、ここ、魔力が通る線が二本あるみたいなんだけど、これって……?」
「ほんとだ。普通の椅子なら一本でいいのに。これ、たぶん魔法の“反発力”と“安定”の二重構造なんだと思う」
フィンはルーペ越しに部品を見つめ、ノアは横から魔力量を測るクリスタルを当ててみる。
椅子には、自動で高さを調整する機能が付いていた。使用者の体格に合わせて脚の長さが変わる、という便利な魔法椅子だ。しかし経年劣化により、内部の魔力導管が曲がり、力が逆流していた。
「反発の線がズレてる……こっちを直さなきゃダメか」
「ううん、こっちだけ直すと、バランスが崩れて余計に暴れちゃうよ。両方とも一回外して、位置を合わせ直そう」
二人は額に汗をにじませながらも、真剣に道具と向き合っていた。アレンは少し離れた椅子に腰掛け、時おり視線を向けては、ふむと頷いていた。
魔法道具の修理は、ただの技術ではなく、“意志”との対話でもある。道具の使われ方、持ち主の癖、蓄積された魔力の流れ。そうしたすべてに耳を澄ませながら、手を動かす。
それを――アレンは彼らに体験させたかった。
* * *
「これで……最後の脚部。ノア、固定、頼める?」
「うん!」
二人は互いに息を合わせて、再組み立てを完了させた。アレンが側で軽く魔力を流し、最終調整を加える。
「……よし、試してみるか」
ノアがそっと腰を下ろす。魔力がふわりと椅子を包み、きゅ、と高さが調整される。
「わっ、ちゃんと動いた!」
フィンも手を叩いて喜び、アレンは深く頷いた。
「よくやったな。調整も精度も、申し分ない。初めての共同修理としては、上出来だ」
ノアとフィンは顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
「アレンさん、この椅子の修理、課題にしてもいいですか?」
「ああ、もちろん。その代わり、ちゃんと報告書も出すんだぞ。魔力の流れ図もな」
「うっ……頑張ります」
フィンが苦笑する。だが、その顔には達成感と、修理師としての自信がわずかに宿っていた。
* * *
夕暮れが近づき、涼しい風が工房に吹き込んでくる。
「フィン、私たち、ちょっとだけアレンさんに近づけた気がしない?」
「うん。アレンさんが、どうやって道具を見てるのか、少しだけだけど分かった気がする」
二人の声を聞きながら、アレンは棚の整理をしつつ、小さく笑った。
成長というものは、いつだって日々の中にこっそりと芽を出す。今日のふたりは、しっかりと一歩を踏み出したのだ。
【魔法道具、修理いたします。あの手、この手、ふたりの手で】




