最速の箒、その想いは
坂道の中腹にある《風の手工房》。
いつものように、風に揺れる木の看板が、今日も静かに訪問者を待っていた。
「これ、見てくれますか」
ドアを開けたのは、背の高い青年だった。
筋肉質な体つき、額に巻かれたバンダナ。
魔法競技に関わる者がよく身につけている装備だ。
彼が抱えていたのは、金属と木材を組み合わせた、精巧なつくりの空飛ぶ箒だった。
ただし、その姿は無残だった。柄の一部が焼け焦げ、先端には亀裂が入っている。
「見たところ、レース用の箒だな」
「はい。“フラッシュアローⅡ”。元々は父が乗っていた機体です」
「壊れた理由は?」
「……無理をさせました。最高速を超えて、さらに加速しようとして……気づいたら、空から落ちてました」
アレンは黙って、箒の破損部分を見つめた。
「速さを追いすぎたな。魔力回路が悲鳴を上げてる」
「……父の記録を超えたかったんです。だけど……箒の方が、もう“終わりたい”って言ってたのかもしれない」
アレンは静かに頷いた。
「それでも、お前はここに持ってきた。つまり、“終わらせたくない”んだろう?」
「……はい。もう一度、一緒に空を飛びたい。記録じゃなくて、今度はちゃんと“走る喜び”を、味わいたくて」
「なら、やれるだけのことはやるよ」
修理台に箒を置き、アレンは準備を始めた。
今回の作業は、構造強化と“心の再接続”が中心になる。
「このモデルは、もともと最高速型じゃない。“技術で加速する”のが設計思想。無理に魔力を詰めれば壊れる」
柄の内部に埋め込まれた“流速核”を取り出す。
中には、黒く焼け焦げた魔力導管が見えた。
「ここが焦げてるってことは、感情的な“加速”をしたな。怒りとか、焦りとか」
「……はい。あの時、父の記録に届きそうになって……、でも、届かなくて。悔しくて」
「道具は“感情”に影響される。速くしたいという願いも、強すぎると“破壊”に変わる」
アレンは焼けた導管を取り除き、新しい導管を編み込む。
ただし、そこには“感情緩衝石”という希少な部品をひとつ加えた。
「これで、使用者が焦っても、箒の内部は冷静でいられる」
「そんなことが……」
「機体の強化も大事だが、“意思の強化”はもっと大事だ」
次に、箒の先端――“風読みの羽根”に触れる。
ここは飛行方向を微調整する、箒の“感覚”とも言える部分だ。
「お前の父さん……この羽根の感覚、すごく大事にしてたな」
「えっ?」
「メンテナンスの痕跡が細かい。“速さ”より“走り心地”を優先していた。……優しい飛び方をする人だった」
青年は、驚いたように目を見開いた。
「父は、口では“最速”って言ってました。でも、本当は……」
「“風と一緒に走るのが楽しい”って、思ってたんだろうな」
アレンは、箒の先端に魔力を流し込んだ。
亀裂が閉じ、表面がやわらかく輝き始める。
「よし、これで……“再起動”だ」
青年が箒にまたがるのは、修理が終わった日の夕方だった。
アレンの工房の裏手、開けた丘の上。
空にはまだ少し、夏の雲が残っていた。
「……いけるか?」
「はい。今度は焦らずに、ちゃんと“風と一緒に”飛びます」
彼が足を蹴ると、箒が静かに浮き上がった。
風を読むように、一度だけ小さく揺れて――そのまま、空へと駆けていった。
その姿は、確かに“速さ”ではなく、“喜び”を追う飛び方だった。
「……戻ってきたな、お前の“心”」
アレンは、静かに微笑んだ。
夜になり、青年が再び工房に戻ってきた。
箒は静かに彼の背に乗っていた。
「もう記録なんて、どうでもよくなりました。あんなに楽しいって、知らなかった」
「それでいい。道具と一緒に笑えるなら、それが最速だ」
「……父も、こんな気持ちで飛んでたのかもしれません」
青年は、深く頭を下げて帰っていった。
風のように、すっと。
看板が夜風に揺れる。
【魔法道具 修理いたします】
壊れた“想い”も、ちゃんと直せる。
時間がかかっても、壊した理由がわかれば、きっと。




