杖の芯に灯るもの
「この杖も……、もう潮時かもしれませんな」
工房の椅子に腰を下ろしながら、老人はそう言って、手にした杖を静かに撫でた。
杖は長く使い込まれたものだった。黒檀の軸は手垢で艶を帯び、金具の留め具はところどころ緩み、先端の魔力導石はかすかにひびが入っていた。
「大事に使われていたんですね」
ノアが柔らかく言うと、老人は笑った。
「この杖がなければ、わしは三度は死んでおったよ」
老人の名はゼルダル。かつては王都の魔法学園で教鞭を執っていた高名な術師だったという。今は退官し、静かな田舎で暮らしているらしい。
「新しい杖を使ってみたんじゃが、どうにも馴染まんのです。手が覚えているのは、やはりこいつで……」
「けれど、魔力が通りにくい」
アレンは杖を手に取り、じっと先端の導石を見つめた。
「導石自体が壊れかけていますね。ただの石なら交換すれば済む話ですが、これは……あなたの魔力に応えて育った石だ」
「そう。だから、簡単に変えたくはないのです」
アレンは少し考えた。
「魔力導線を少し調整して、芯に補助回路を仕込めば――まだ使えます」
「芯に、ですか?」
「杖の芯は本来、魔力の脈動を受け止める“心臓”です。けれど、この杖の芯はあなたとともに何十年も呼吸をしてきた。“無理に元通り”にするのではなく、“老いた心臓にペースを合わせる”のです」
「……なるほど。手を添えるのではなく、寄り添う修繕、というわけじゃな」
作業は一日がかりになった。
導線の調整、ひびの入った導石の修復、芯に施す補助回路の刻印――
アレンは慎重に、けれど迷いなく手を進めた。
そのあいだ、ノアは茶を淹れ、フィンは記録を取りながら、古い魔法道具の構造に興味津々で見学していた。
夕方。作業が終わると、ゼルダルはゆっくりと杖を手に取った。
すっと息を吸い、かすれた声で呪文を唱える。
「〈ひとひらの光よ、心にともれ〉」
ぱ、と杖の先端に柔らかな灯がともった。
光はかつてのような鋭さではない。けれど、それはまるで――暖炉の火のように、静かに、優しく揺れていた。
「……帰ってきたな、この感触」
ゼルダルは、目尻にしわを寄せて、ゆっくりと笑った。
その夜、ゼルダルが去ったあと。工房では、ノアとフィンが語り合っていた。
「ねえ、アレンさん。魔法の杖って、ただの道具じゃないんですね」
「そうだね。杖っていうのは、“魔法使いそのもの”だよ。その人の歩んだ道、心の在り方、全部が形になる」
「……ぼくも、いつか“そういう杖”を持ちたいなぁ」
「持てるさ、フィン。時間はかかるけど、“想い”を積み重ねていけば、きっとね」
【魔法道具、修理いたします。手に馴染むのは、心を重ねた年月だけ。】




