珍しい竹の箒
「この箒、修理できますか?」
その声は、春の午後の陽だまりのように穏やかだった。
風の手工房の扉を開けて現れたのは、背筋の伸びた年配の女性。麻の着物に身を包み、手には――一本の竹製の箒を抱えている。藁ではない。羽根でもない。柄も穂先も、すべてが丁寧に編まれた竹でできていた。
アレンは目を細めてその箒を見る。どこか懐かしさを感じさせる、素朴な佇まい。だが、年季の入ったその表面には、細かいひびや、魔力の流れの乱れが確かにあった。
「どういった不調があるんですか?」
「うまく飛べなくなってしまって……ふわりと浮くには浮くのですが、進まないのです」
女性は箒を大切そうに撫でる。
「この箒は、私の母の母……祖母の代から受け継いだものなんです。竹を編むのは一族の伝統でして。いまではもう、作れる者はいません」
アレンはその言葉に、小さく頷いた。
「わかりました。診させてください」
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■ 風の通り道
竹の箒は、魔法道具としては非常に珍しい部類に入る。
多くの箒が軽量な羽根や草を用いる中、竹を使ったものは重く、扱いも難しい。だが、その分魔力の“通り道”が安定しやすく、静かに滑るような飛行を可能にする。
「アレンさん、この竹……中が空洞ですね?」
見習いのフィンが、興味深そうに指で撫でながら言う。
「うん。竹の魔力導管は特殊でね。まるで音が通るように、魔力も“音”に似た波で流れる。反応が遅いぶん、しなやかで静かなんだ」
アレンは魔力測定具を箒にあて、流れを確認する。
「……やっぱり。導管がいくつか詰まってる。長年の使用で、魔力の通りが悪くなってるんだろう」
「修理、できますか?」
「もちろん。少し時間はかかるけど、やりがいのある仕事だよ」
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■ 記憶を込めた道具
作業は、丁寧に、慎重に。
竹の内部にこびりついた魔力の“澱”を少しずつ削ぎ落とし、新たな魔力補助札を挿入していく。表面には補強用の薄布を巻き、柄の一部を焼き入れして亀裂を防ぐ。
「これは……手作業の刻印ですね」
フィンが指差したのは、竹の節のひとつに彫られた小さな模様。月と花、そして風を表す三つの印。
「この箒は、春の空を飛ぶためのものだったんだ」
アレンはそっと呟く。
「春の空?」
「風が柔らかく、音がよく通る季節。おそらく、音に乗せて飛ぶ“唄箒”の一種だったんじゃないかな。ふわりと浮かぶ、というのもその特性だ」
「唄箒……初めて聞きました」
「もう、今ではほとんど失われた技術だよ。だけど、道具は語ってくれる。使っていた人たちの思い出と一緒にね」
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■ 春を乗せて
修理が完了した箒は、試しに浮かべただけで、優しい音を立てて空中を漂った。
ひゅるる……。
風が抜ける音のような、誰かが口ずさんでいるような、小さな旋律。フィンはその音に、思わず顔を上げる。
「……歌ってる?」
「うん。風と竹が共鳴してるんだ」
アレンは満足げに微笑んだ。
「この箒は、生きてる。大切に受け継がれてきた記憶が、ちゃんと残ってるよ」
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■ 贈るもの
箒を手渡すと、女性はそっと目を伏せ、箒に頬を寄せた。
「……ありがとう。これでまた、春の空が見られます」
「空を飛ばれるんですか?」
フィンの問いに、女性は少し笑って首を振った。
「いえ。もう、私は飛びません。これは……孫に、贈るのです」
「お孫さんに?」
「ええ。今年、魔法学校に入るのです。初めての箒に、これを渡そうと決めていたんです。母も祖母も、きっとそうしたように」
女性は、長い竹の柄を軽く撫でる。
「春の風を飛ぶには、この箒が一番ですから」
アレンもフィンも、しばらくその言葉の余韻に沈んだ。
「……道具は、贈り物なんですね」
フィンのつぶやきに、アレンは静かに頷いた。
「うん。想いを繋ぐ手段でもあるんだ」
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■ 風の手工房の夜
修理が終わったあとの夜、工房には静けさが満ちていた。
アレンは机の上に並べられた修理記録に目を通し、最後にこう書き添えた。
「竹の箒、唄箒。伝承道具の再起動、完了」
その横で、フィンはそっとノアの箒を点検しながら呟いた。
「ぼくの箒も、誰かに繋がるかな……」
アレンは聞こえないふりをしながら、棚の奥から新しい竹の素材を取り出す。
「……試してみるか。春の風を、もう一度」
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【魔法道具、修理いたします。
春の空を、想いとともに】




