記憶を失った魔導杖
坂道の途中にある《風の手工房》。
今日もまた、壊れた魔法道具が、ひとつ運び込まれてきた。
「この杖……魔法は撃てるんです。でも、名前を呼んでも、まるで反応しなくて」
そう言って差し出されたのは、黒曜石のように光る一本のまだ魔導杖だった。
装飾は少なく、柄の中ほどに古びた銀の飾り輪が一つ。見た目は重厚で、品のあるつくりだった。
持ち主は、若い魔法使いの青年――ユルという名だった。
「師匠の杖でした。形見として受け取ったんですけど……“杖の記憶”が全部、消えてるみたいで……」
アレンは杖を手に取った。重みがある。中に魔力核がしっかりと収まっている感触。
だが、まるで空っぽの器のように、何の“気配”も感じない。
「魔法は出せる。でも、返事がない。……記憶が凍結してるな」
「記憶が、凍結?」
「強い魔力衝撃や、悲しみを受けた道具は、自分の“記憶”を閉ざすことがある。心を守るために」
ユルの表情が曇った。
「……もしかしたら、それ、僕のせいかもしれません」
「詳しく話してみてくれ」
「師匠が亡くなったとき……僕、パニックになって、杖を叩きつけてしまったんです。……情けないことに」
アレンは頷いた。
その一瞬の魔力と感情が、杖の心を閉ざしたのだろう。
「大丈夫。“壊れてはいない”。思い出す方法がある」
「ほんとに……?」
「ただし、杖の“中の記憶”を、ひとつずつ呼び戻す作業になる。君にも協力してもらうよ」
修理室の灯りがつく。
アレンは杖を特別な魔法陣の中央に置いた。
周囲に小さな記憶石を並べ、魔力を通電させていく。
「この魔導杖の記憶を、外部に一時保存して、順に“読み込み”ながら解凍する」
「……それって、杖が覚えてる映像とか?」
「映像というより、“気配”だな。魔法の手触り、言葉、手の温かさ――記憶の断片を感じることになる」
アレンが杖にそっと手をかざすと、空気が震えた。
そして、部屋にほのかな風が吹いた。
「……ありがとう、って、聞こえた気がした」
「うん。思い出し始めてる。次は君の番だ」
ユルは戸惑いながらも、杖に手を当てた。
その瞬間――目を閉じた彼の脳裏に、柔らかな記憶の欠片が流れ込んできた。
「ユル、落ち着いて魔力を流すんだ。杖は“相棒”だぞ」
それは、まだ幼かった彼に、初めて魔導杖の扱いを教えた日のこと。
「間違えたって構わない。魔法ってのは、“想い”が届くことが一番大事なんだよ」
「……師匠……」
思わず、ユルの目に涙が浮かぶ。
「見えてきたな。もう一押しだ」
アレンは、杖の記憶核に“心紐”という細い魔力線を繋ぎ込んだ。
それは杖の感情回路を刺激し、封じられていた記憶を引き出す儀式的な作業だ。
最後に残っていた記憶の断片。
それは、師匠がこの杖にそっと語りかけていた声だった。
「……あの子が、ちゃんと前を向けますように。もし私がいなくなっても、支えてやってくれ」
アレンは目を閉じた。
「……思い出したな。こいつ、君を守ろうとしていたんだ。ずっと」
その瞬間――杖の飾り輪が、かすかに光った。
そして、何も感じなかった杖から、あたたかな魔力の流れが戻ってきた。
ユルがそっと名前を呼ぶ。
「……ミレア」
杖が小さく震えた。
まるで、「やっと思い出してくれたね」と言っているようだった。
工房の外は、もう夜になっていた。
ユルは修理された杖を大切に抱え、深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。……もう、離しません」
「いや、持ち主が変わっても、想いが繋がっていれば、杖は道に迷わないよ」
「はい……!」
アレンは工房の灯りをひとつ消し、空を見上げた。
静かな夜風が、看板を揺らす。
【魔法道具 修理いたします】
今夜もまた、誰かの“想い”が、静かに戻ってきた。