止まった時をもう一度
朝の工房に、静かに「カチ、カチ」と時を刻む音が響いた――いや、それはほんの数秒だけだった。
すぐに針は止まり、長く沈黙する。
「これが……動かなくなった“時計”です」
依頼者の老婦人が、そっと差し出したのは木製の小さな置き時計だった。
真鍮の枠、透明なガラス、そして文字盤には魔法文字の刻印が淡く浮かんでいる。
「……夫が生きていた頃に使っていた時計なんです。朝食を食べる時間、散歩に出る時間、紅茶を淹れる時間……すべてこの時計と一緒でした」
「ふむ、魔力反応は……薄いな。でも、完全には消えてない」
アレンが手をかざすと、時計の奥から、かすかな“記憶の気配”が伝わってくる。
これは、持ち主と共に時を刻む、“記憶同調式の時計”。
時間をただ測るだけでなく、“過ごした時”を少しだけ記録するのだ。
「……夫が亡くなってから、動かなくなりました。まるで“時間が止まった”みたいに」
修理は慎重を要した。
まず内部の魔力回路を解体し、時針と分針を司る“魔導軸”の調整を行う。
次に、記憶同調石――過去の時間を記録する魔石の再活性化が必要だった。
フィンがガラス越しに覗き込みながら言った。
「ねえ、ここに小さく光るの、これ記憶石? すごくきれい……」
「長く使われてたからな。きっと“愛された時”が詰まってる。だが、今はその光が“閉じて”るんだ」
アレンは、老婦人に尋ねた。
「……差し支えなければ、“時計が止まった日”を教えてもらえますか」
「……夫が亡くなった朝です。6時30分。まるで、最後の朝食の時間を覚えていたかのように……そのまま」
アレンは針を6時30分に合わせ、魔導石の記憶を呼び起こす術式を展開した。
途端に、工房の空気が一変する。
風もないのに、どこか朝の匂いが漂ったような気がした。
紅茶の香り、焼き立てのパン、生まれたばかりの光――
それは、“時”が残していた記憶だった。
「……この時計、まだ“朝”を覚えてます」
アレンは記憶石に優しく魔力を送り、今の時刻――“今日”に接続させる。
「過去の時間に寄り添いながら、“いま”を生きてもらうために……この道具に“前を向く魔法”を重ねる」
夕方、修理が終わり、老婦人に時計を返す。
手のひらに載ったそれは、もう一度、「カチ、カチ」と静かに時を刻み始めた。
「……ああ、音が戻った……懐かしい音です。夫が新聞を読む横で、ずっと鳴っていた音」
「でも、この時計は、“過去”だけじゃありませんよ。これからの時間も、ちゃんと刻んでくれます」
老婦人は、時計を胸に抱くようにして、微笑んだ。
「明日からは、少し早起きしてみましょうか。……また、朝ごはんを“楽しみに”できるような気がします」
その夜。アレンは工房の時計を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「時間ってのは、止まっても、消えはしない。……誰かが、もう一度動かそうとすれば、ちゃんと応えてくれる」
フィンは、カチカチと刻まれる秒針の音に耳を澄ませながら、うなずいた。
「時計って、魔法だね。“過ごした時間”を、思い出させてくれる魔法……」
【魔法道具 修理いたします。止まった時間も、また動き出せるように】




