転ばないようにの杖
午後の工房は、ひとときの静けさに包まれていた。
街のざわめきが遠く、風鈴の音だけが風と戯れるように鳴っている。
そこへ、背中に大きな布包みを抱えた少女が、そっと扉を開けた。
彼女は少し緊張した面持ちで、足をそろえて中に入ると、アレンに向かって深々と頭を下げた。
「……あの、こちらで魔法道具の修理をしていただけると聞きました」
アレンは静かに頷き、席を勧める。
彼女は包みの中から、一本の杖を取り出した。
「これは、祖母が長年使っていた“歩行杖”です。“転ばないように”って、ずっと持ち歩いてて……。でも、最近調子が悪くて、ふとした時にバランスを崩すようになってしまって」
アレンは杖を受け取り、手に取って観察した。
木の表面は使い込まれた艶を持ち、持ち手には柔らかな指の跡が残っていた。
底には丸い魔力石が埋め込まれており、使用者の身体の傾きと筋力の低下を感知し、自動でバランスを補う補助魔法が組み込まれている。
「……細かく修復すれば、まだ十分使える。けれど、使用者の魔力に対する反応が鈍ってきてる。これは……」
「祖母は、最近寝ている時間が長くなってしまって。だからかもしれません」
少女は、名をエルナといった。
まだ十代の若さだが、その目には、誰かを大切に思う強さが宿っていた。
「この杖、“私が歩くためじゃない”って、祖母が言ってたんです」
「ふむ?」
「“この杖はね、あんたたちに心配かけないための道具なんだよ”って。……そんなの、反則だって思いました」
エルナは静かに笑った。けれどその目には、涙の気配がにじんでいた。
「でも……祖母は、この杖をとても大事にしていて。だから、ちゃんとまた動くようにしてあげたくて」
アレンは作業台に杖を置き、分解の準備を始めた。
木材内部に走る魔紋をなぞりながら、魔力石のひび割れを確認し、補助回路の微細なズレを調整する。
フィンも隣で補助に入った。
魔力の共鳴を安定させ、魔石の再結晶化を行うには、繊細な手作業が必要だった。
エルナはその様子を黙って見ていた。
「杖って、“支えるため”の道具だけど……支える側も、支えられてるんですね」
フィンがにこっと笑う。
「魔法道具は、気づかないくらい静かに、ずっと見てる。だから、長く使うと“その人の癖”まで覚えるんだよ」
「癖……」
「うん。足の運び方、立ち止まる場所、歩幅の変化。道具って、思ってるより“記憶”するんだ」
エルナは杖を見つめながら、そっとつぶやいた。
「じゃあ、祖母が歩いた道も……この杖は、覚えてるんですね」
修理は夕方までかかった。
杖の内部には、微かに残った“転びかけた記憶”と“立ち直った魔力”が見え隠れしていた。
最終調整を終えたアレンは、手渡しながら言った。
「これで、もう一度しっかり支えてくれるはずだ。――ただし、無理はさせないこと」
エルナは両手で杖を受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。……これで、祖母とまた庭を散歩できます」
数日後――
工房に一通の手紙が届いた。差出人はエルナだった。
『祖母は、杖を持って立ち上がりました。庭まで歩いて、小さな花を指差して、“春が来た”と笑いました。
アレンさん、フィンさん、本当にありがとうございました』
手紙と一緒に、小さな押し花が添えられていた。
アレンはそれを作業机の隅に飾り、ひと言だけつぶやいた。
「……春か」
その日、工房にはあたたかい風が吹いた。
【魔法道具 修理いたします。転ばないように――その願いは、きっと今も支えています】




