自走するトランク
その日、工房の前に「何か」がぶつかった。
ごとん、ごとん、ごとん――。重たい木の塊が階段を登り、扉を「コンコン」と叩く。
アレンが出ると、そこにいたのは、自分で歩くトランクだった。
「……また変な道具が来たな」
「えっ、誰も連れてきてないよね……?」
後ろから顔を出したのは、住み込み修行中のフィン。
そのトランクの背後から、はあはあと息を切らせた老人が遅れて現れた。
「ま、待ったかい? お前、勝手に先に行くんじゃないよ!」
彼はラゴット老人と名乗った。
かつて各地を旅した探検家で、このトランクは長年彼と共に歩いた“相棒”だったという。
「旅が終わってからというもの、こいつが勝手に動き出すようになっちまってな……止まらんのよ。まるで、“まだ旅を続けたい”みたいに」
アレンはトランクの側面に手を当て、魔力の流れを探った。
構造は複雑だが、トランクには**「目的地追跡型」の移動魔法**と、主の行動記録に基づく自律行動制御が組み込まれていた。
だがその制御部が破損しており、もはや「過去の旅先」へ向かって動き続けてしまっているのだった。
「このままだと、いつか海でも渡りそうだな」
「笑い事じゃないよ。昨日なんて川に飛び込みかけた!」
老人の心配ももっともだった。
魔力過剰な自走道具は時に危険で、しかもこのトランク、かなり古く、感情記憶が強く染みついている。
「……修理はできるが、“旅の記憶”を一部消す必要がある」
「記憶を……?」
アレンは少し言いにくそうに続けた。
「動力源と記憶石が連結してる。このままでは“旅に出る”という記録そのものが命令になっているんだ」
ラゴット老人は黙ったままトランクを撫でる。
鍵穴のあたりには、自分で彫った名前と、昔の相棒のサインが刻まれていた。
「……お前は、本当にずっと旅をしてたんだな。……なら、これからは“休むこと”を教えてやらなきゃな」
修理には三日を要した。
フィンが分解作業を担当し、アレンが回路と記憶石の調整を行った。
古い魔法言語で書かれた「旅立ちのルーン」を“帰還”の言葉に書き換え、主の魔力にしか反応しない制御符を組み込む。
仕上げに、ラゴットの“今の声”を記録させた。
「もう歩かなくていい。旅は、終わったんだ。……今度は、一緒に家で紅茶を飲もうな」
その声を聞いたトランクは、ゆっくりと鍵を閉じ、静かにその場に座り込んだ。
あの騒々しい音は、もうしなかった。
「……ありがとう。あいつが家に居てくれるのは、久しぶりだ」
ラゴットは帰り際、トランクを抱えながら、ふとアレンに尋ねた。
「お前は、旅に出たことがあるのかい?」
「……いや、逆に“帰ってきたこと”がある方だな」
その答えに老人は満足げに笑い、工房を後にした。
その夜、フィンは分厚い旅日記を開きながらつぶやいた。
「旅道具も、“帰り場所”が必要なんだね」
アレンは窓を見上げた。
空は穏やかで、星が一つだけ流れた。
【魔法道具 修理いたします。長い旅にも、終わりと居場所を】




