壊れた夢と、まだ直る手
朝の工房は静かだった。
秋の風が吹き抜け、外に吊るした風鈴がひとつ、優しく鳴った。
アレンがコーヒーを口にしたとき、ドアがそっと開く音がした。
「……久しぶりだな」
そこに立っていたのは、かつて“修理屋になりたい”と目を輝かせていた少年――フィンだった。
だが、その目に、もうあの頃のまっすぐな光はなかった。
服はくたびれ、肩は落ち、腕には工具箱がひとつだけ。
その手には、ぼろぼろになった道具袋と、小さなケースが握られていた。
「フィン……ずいぶん痩せたな」
「……道具、全部、失くしました。修理も……何度もやったけど、壊すばかりで」
アレンは黙って、彼の前に椅子を出した。
「残ってるのは、これだけです」
フィンが差し出したのは、古びた魔法コンパスだった。
彼が初めて拾った、そして大切にしていた魔法道具――方向を示すだけでなく、“大切なものがある場所”を感じ取る特殊な品だ。
アレンは手に取り、ひと目で状態を理解した。
魔力の核は歪み、指針は狂い、外装の魔紋はほとんど読み取れなくなっていた。
「まだ……直せますか」
その言葉は、道具に向けた問いというより、自分自身への希望のように聞こえた。
「……試してみるか、フィン。今日からしばらく、うちで働いてみないか」
「えっ……?」
アレンはにやりと笑い、エプロンをひとつ投げた。
「どうせ暇だしな。修理のやり方、見ていけ。……それと、壊した道具の分、働いて返せ」
フィンは、驚いたように目を瞬き――やがて、小さく頷いた。
こうして、フィンの住み込み修行が始まった。
朝は掃除から。作業台の整理、魔石の分類、錬成用の粉の調合。
昼は修理の手伝い。分解と記録、パーツの洗浄、簡単な修復作業。
夜は、アレンが過去に修理した道具の話をする時間だった。
「魔法道具は、生きてるようなもんだ。こいつの話を聞かないと、いい修理はできない」
「話を聞く、か……それが、できてなかったのかも」
最初はミスも多く、ネジを飛ばし、魔力の流れを壊しかけたこともあった。
けれど少しずつ、フィンの手は“直す”手に変わっていった。
ある日、アレンは棚の奥から魔力炉を取り出し、フィンに渡した。
「そろそろ、例のコンパスを直してみるか」
フィンは一瞬、息を飲み――大きく頷いた。
二人で作業台に向かい、コンパスを分解する。
フィンの手は震えていたが、途中で止まることはなかった。
魔力核の再構築、魔紋の書き直し、外装の再精製。
最後の指針は、アレンが静かに補助してやった。
数時間後、コンパスは――針をゆっくりと、東に向けて動かした。
「……動いた……!」
フィンの目が、少しだけ、あの頃の光を取り戻した気がした。
「それ、お前の“最初の道具”だったんだろ。次は、“誰かのために直す道具”にしていけ」
「……うん!」
夕暮れ、工房の表に出たフィンは、風の中でコンパスを掲げた。
針は確かに、揺れずに進むべき方向を示していた。
【魔法道具 修理いたします。壊れた夢も、まだ直せるかもしれません】




